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 [ Wood has sprites ]

   妖 精 の 育 む 森  1999.02.16


 黄色い花が咲いていた。
 大きな森の小さな一角に、いつからか、小さな黄色い花が咲くようになった。




 国境をまたぐように、樹海が広がっていた。得体の知れない物が棲むからと、古く恐れられてきた場所だった。その森に入った者は生きて帰っては来れない。そう言われ、誰も近付かない地であった。
 だが先日、その言い伝えを覆すかのように、たった二人の若者が森を抜けた。親書を携えたその騎士達のおかげで、森の実体があきらかになった。森には盗賊が潜んでいるだけなのだという真実が。そしてその半数を、二人で倒してしまったことも一緒に。
 樹海に隣接するオセフィート王国では、この騎士達の話をもとに、盗賊征伐を決めた。数人の聖騎士団が、まもなく森へ向けて出発するはずであった。




 森に暮らす盗賊達は、存続が危ういということを、ひしひしと感じていた。このままでは絶滅してしまう。残った数十人は、揃ってどうするかと悩んでいた。一人の男が、仲間に向かって非難するように言った。
「だから言っただろうが。あの娘に手を出しちゃいけない、とな」
「俺たちの標的はあのいけすかない騎士どもだったんだ!」
 他の誰かが反論し、残りもそいつを睨んだ。なかでも盗賊の頭が、ぼそっとつぶやく。
「お前はもう俺達とは関係ねぇんだよ。たかが二人の騎士を恐れるような奴は、さっさと消えな」
「てめぇ戦いのときいなかっただろ!」
「臆病者!」
 次々にあがる罵り声に、男は腰をあげた。盗賊達は思わず身構えたが、男は静かに言った。
「そうだな。部外者は去るとしよう」
 さらにあがった罵声を背に、男は森の中へと消えていった。頭の「莫迦野郎……」というぼやき声が、聞こえたかもしれなかった。




 盗賊団から離れた男は、森の中をあてもなく歩いていた。森の外に出ても行き場所がないことはわかっていた。それどころか、追われる身になるだろうことも。だからこそ森の盗賊団に入ったのだから。
 彼はソルアという通り名を使っていた。他にも幾つかの偽名を使っているが、本名は彼のみぞ知る。
 ソルアはあてもない森の中で、それこそどうしようかと思っていた。盗賊団にいれば明日の食べ物にも困ることはなかったのだが、一人ではそうもゆくまい。
 と、前方より落ち葉の積もった地面を踏み締めて、歩いてくる女性がいた。彼女はソルアの前まで来ると言った。
「いいこと教えてあげようか? この森へ聖騎士達が向かっているよ。もうすぐ着くだろうね」
「オセフィートのしつこい連中か……。って、なんでそんな事わかるんだ?」
「私はこの森に住んでいるの。この意味、わからない?」
「…古代より森を育みし、永遠なる妖精族、か」
「その通り。私はネファというの。貴方に、いいこと教えてあげようか?」
「なんだ?」
 ネファと名乗った女性は、ソルアに幾枚かの葉を見せた。
「これ、ルプリナの葉というの。死ぬときに口にくわえていると、転生できるのよ」
「いいのかい? こんなもの人間の俺になんか見せて?」
「あの子を救ってくれたお礼。だから聖騎士達を追い払って。ここは私達の最後の聖域なのだから」
 どうせ他にすることなどないし、とソルアは考えた。
「あぁ、いいよ。その葉を何枚かくれるかい? さっきまで仲間だった連中を上手く騙せそうだな」
「これ、全部あげるわ」
「そりゃ有り難い。そうだな、お礼に俺の名を教えてやるよ。リーア・コッキネア。冗談抜きで、本名さ」
 ネファにもらった葉をポケットにつっこみ、ソルアはもと来た道を引き返しはじめた。その姿を見送って、ネファは森の中へ戻っていった。




 森を抜けた騎士の一人、珍しい銀髪を持つ若者ルートは、再び森へとやってきていた。森を抜けるときに世話になった女性と、会う約束をしていたからだ。その女性は、約束通り森の出口で、ルートを出迎えてくれた。
「おかえりなさい、ルート」
「ただいま。なのかな、この場合」
 ルートは苦笑しながらその女性、ティアを抱き締めた。
「さぁ行こうか、ティア。また案内してくれるんだろ?」
「うん。そのつもりよ」
 ティアは嬉しそうに、ルートを森へ誘った。




 森を抜けたもう一人の騎士、ルートよりいくらか真面目な若者イグラスは、オセフィート王国の聖騎士五人を連れて、再び森へとやってきていた。聖騎士達は、森に潜む盗賊団を壊滅させる使命を帯びていた。イグラスは、その案内役を任されていたのだ。自分でも、あのときの盗賊達を今度こそ息の根止めてやると、張り切っていた。
 森の中に入ってしばらくもいかないうち、目的の人物が出てきた。かつて百人あまりいた盗賊も、今は三十人ほどしかいない。長らく恐れられていたわりには、そう強いわけでもないのだろう。旅人ばかりを襲っていたために、昔より腕がおちてきているのかもしれなかった。
 聖騎士が構えるより早く、盗賊達が飛びかかった。先手必勝というつもりなのか、剣を抜く暇をあたえない。口に何かくわえているようにも見えたが、それどころではなかった。聖騎士の一人がやられて、誰かが舌打ちした。
 それでも正規の訓練を受けているだけに、彼らは強かった。残る四人が、勇敢に剣をふるう。イグラスもまた、負けてはいない。屈辱をはらしてやるとばかりに、積極的に相手を倒していった。
 そしてしばらくたった頃。騎士サイドでは、盗賊達の異変に気付きはじめていた。殺した盗賊の体が、もやのような白い煙りに包まれていき、その白さから野獣がうまれたのだ。思わず後ずさるように、聖騎士達の動きがとまった。
「おい、黒印の騎士、あれは何だ?」
「わからない。前に殺した時は何でもなかった」
 イグラスはそう答え、幻覚かと思われるようなその光景に首を振った。やがて何体かの野獣が、こちらをその紅い瞳で睨み付けてくる。刹那、一声咆哮をあげるが早いか、一気に襲い掛かってきた。
 とっさに剣を突き立て、イグラスはそれをなんとか避ける。防ぎきれなかった聖騎士が二人倒れ、残る二人も傷を負う。一人が、叫んだ。
「応援を! 呼んできれくれ、頼む! 貴方が一番速く行けるだろう、行ってくれ!」
「あ、あぁ、わかった!」
 躊躇する間もなく、イグラスは答えていた。この状況は不利だと、自分の中で理性が訴えていた。その場に二人の傷ついた聖騎士を残すのも気がひけたが、行くことにした。走り、出す。
 聖騎士二人は、覚悟を決めた。胸中で聖なる言葉を唱え、剣を構え直す。再び襲い掛かろうとする野獣達に、自ら斬り掛かっていった。ほとんど相打ちのような格好で、双方ともに命潰えていった。




 戦いの喧噪と獣の咆哮が幾度となく聞こえ、ルートはその方向へ駆けていた。言い知れない不安が、彼の足を速くしていた。
 現場に着いたとき、時すでに遅かった。幾つかの獣の死骸と一緒に、四人の人間が倒れていた。その一人に駆け寄り、抱き起こすも意識は戻らない。やりきれなさに目をつぶり、弔いの言葉をかけた。
「これは…これはルプリナの葉……!」
 ティアの驚愕の叫び声に、ルートは慌てて振り返った。
「どうした、ティア?」
「この獣達…元は人間だったはずよ。この口にくわえているものはルプリナの葉だもの」
「ルプリナの葉?」
「妖精が死ぬときに、口にくわえているものなの。森の植物や動物に、生まれ変わることができるから。でも人間なんかだと醜い獣にしかなれない…きっと名前も言ってもらえなかったのよ」
 名前をつぶやいてもらわないと、上手くいかないの、とティアは続けた。そして聞き慣れない言葉を歌うように呟いた。この葉が揺れ、人と獣の骸が少しずつかすれていく。やがてそれらは土へと還るように、浄化されていった。
 またもとのような森が戻り、二人は一息ついた。




 戦いの場から少し離れたところに、難を逃れた盗賊達がまだ残っていた。ネファを連れたソルアも、その中にいた。彼は非難の嵐を、再びあびることとなった。
「どういうことだぁ? これは。生き返られるだって? 嘘ついてんじゃねぇ。あの獣は何だ!」
「危なく俺たちもああなるところだったぜ。さぁ、どうしてくれるんだ、裏切り者さんよぉ」
 ソルアの背中に隠れるように、ネファが小さくなっていた。まさかこんな事になるとは思わなかったのだ。全員獣になってしまえば、あとは聖騎士達が倒してくれるだろうと思っていたのに。これからどうすればいいのかと、ネファは必死に考えていた。
「まずはその娘、渡してもらおうか」
 盗賊の一人が、ソルアの後ろへあごをしゃくった。ネファの事を言っているのだ。そのネファを渡すわけには行かないと、ソルアは唯一持つ武器、愛用の短剣をそっと右手に握った。隙あらば、一突で相手を殺せるように。用心深く狙いすまし、数人の盗賊達が余裕の体なのを良い事に、ソルアはいきなり行動に移った。
 まず目の前の者に飛びかかる。首をねらって短剣を突き出し、一撃で相手をしとめた。続いて横に飛んで近くの者を倒し、そろそろ攻撃体制を整えた者達へ、制裁を加える。あらかた倒して振り返ると、しとめ損ねた一人が、ネファの首筋に短剣を突き付けていた。
「動くな、さもないとこいつの命が保証できねぇぜ」
 そいつが薄笑いをうかべたとき、森に高い悲鳴がこだました。




 女性のかん高い悲鳴にルートは冗談だろうと首をふった。もういい加減、戦うことに飽きていた。これ以上続けざまに死体を見たくないと、心底思う。しかし放っておくわけにはいかなかった。騎士として、人として、女性を見殺しになどできない。
 ティアに目で合図をすると、悲鳴のあがった左手の茂みへ、慎重に進んでいく。しばらくも行かないうちに、女性を人質にとった男と、それに対峙する男が見えた。女性の姿を見つけると、ティアは思わず叫んでいた。
「姉さん!」
「…何だって?」
 ルートとソルアは同時に聞き返していた。一瞬、わけがわからない盗賊に、隙ができる。考えるより早く、ソルアは動いていた。ほとんど息をとめたまま相手に近付き、そのまま渾身の力を込めて短剣を薙いだ。
 返り血をあびたソルアのわきで、ルートがネファをかばうように立っていた。
「終わったな…」
 笑いかけたルートに、ソルアは警戒するのをやめた。ティアとネファが、再会を喜びあっていた。そこへ、イグラスを先頭に、数人の聖騎士が駆け付けてきた。
「ルート!」
「また会ったな、イグラス」
 呼び声に答えるように、力なくルートが答え、近付いていった。
「イグラス、来るのが遅いんだよ。もうとっくに盗賊は全滅したぜ」
「そうか。それは良かったな」
 幾分残念そうに答えたのを、ルートは見逃さなかった。
「で、そいつは誰だ?」
「ああ、盗賊を倒した偉大なるお方さ。怪我してる見たいだから手当てしてやらないと」
 冗談めかしてルートは答え、ソルアの顔を振り返った。彼は、不思議な笑みを浮かべていた。
「悪いが、俺はお尋ね者なんでね。聖騎士殿とは仲良くなれないな」
「もしや貴様! フィクスだな? この場で成敗してくれよう」
 数人いる聖騎士達が、ゆっくりと剣を構えていった。覚悟を決めたかのように、ソルアは口にルプリナの葉をくわえた。はっとしたネファが、その意味に気付く。ルートのとめる間もなく、聖騎士達はソルアに一斉に襲い掛かった。
 反撃すらも出来ない状況で、体中に切り傷を負ったソルアが、ゆっくりと倒れていった。
「リィーアァァっ」
 ネファの叫び声が、さっきよりも長く森に響いていった。




 たった一人の人間に、数人が襲い掛かるなど人として間違っていると、ルートは怒りにその身震えていた。オセフィート王国の聖騎士団に一言言ってやろうと、彼は数人の聖騎士とイグラスとともに、王国への道を歩いていた。
「ところで、あいつは何者なんだ?」
「王女さらいのフィクスと言えば、王国じゃ有名な盗賊だよ」
「五年前、今の王妃であるルエリア様を城からさらった事があるのさ。姫はすぐに連れ戻せたがね、奴はまんまと逃げおおせた。…まさかあの森に隠れているなんてな」
 これで国王の悩みの種も一つ消えたさ、と聖騎士達は笑って答えた。




 黄色い花が咲いていた。
 ソルアの死んだ場所から芽生えた草は、今やちょっとした茂みを形成するまでになった。森に住む妖精のネファが、その植物を大事に大事に育てていた。
 あれから何ヶ月かたった夏、その植物は黄色い花を咲かせた。彼女はそれに、リーア・コッキネアと名付けた。
 大きな森の小さな一角に、そのときからか、小さな黄色い花が咲くようになった。


      Fin




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