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 [ Wood has sprites ]

   妖 精 の 住 む 森  1999.02.01


 黒い甲冑に身を包んだ二人の若者が、馬にまたがり進んでいた。よく磨かれたその甲冑には、右肩に二頭の白獅子を意匠化した紋章が刻まれている。二人は騎士だった。国王から預かった親書を携えて、隣のオセフィート王国へ向かう途中の使者達だった。
 国境近くには、一面の樹海が広がっていた。この森があるおかげで互いに領土侵略ができないと言われるほどの、広い広い森林だった。にもかかわらず、国境を越えるためには森のわきを通り、遠回りをしなければならない。広すぎるその森は暗く、得体の知れない動物が棲みついているというのが、もっぱらの噂だった。
 騎士のひとり、珍しい銀髪を持つ碧眼の若者は、迷信や噂をあまり気にしない性格だった。森のそばまで来ると、彼はもうひとりに声をかけた。
「なぁイグラス。この森、抜けていこうぜ」
「莫迦なことを言うな」
 イグラスと呼ばれた若者は、馬の向きを変えさせ、銀髪の男と向かい合った。
「この森がどんな森か、お前だって知っているはずだ。それに俺達は親書を預かっている。身勝手な行動をとれば、ただでは済まないんだぞ、ルート」
「……俺は知っているんだぜ」
 ルートと呼ばれた若者が、楽しそうな笑みを浮かべた。ややあって、イグラスが問う。
「何を?」
「クコル候のご息女エリア様とお前が、候に内緒で恋仲だってことだよ」
「なっ……」
 とたんにイグラスの顔が赤くなる。それはまだ誰にも言ったことのないはずなのだ。
「まぁ貴族の娘に国王直属の騎士だろ。悪くない組み合わせだな」
 空に向かってわざとらしく、ルートはつぶやいてみせた。
「明後日、弟の誕生日なんだ。早く帰りたいんだよ。黙っててやるからさ、森、抜けていこうぜ」
「……仕方ないな」
 イグラスはしぶしぶとうなずいた。それを見たルートは、手綱を握ると意気揚々と森へ入っていく。親書の封印された箱に手を触れ、信仰する神の御名を小さくつぶやき、イグラスもまたその後に続いた。何事もなければ良いと祈りながら。




 思った以上に森は暗かった。夜が明けてかなり経つのに、薄暗い森が先のほうまで続いている。こずえは高く、好き勝手にのびた枝が天を覆っていた。幾枚もの葉がところせましと枝をうめつくしている。それが、太陽の光を遮っているようだった。
 見え隠れする太陽を頼りに、ルートとイグラスは西へ向かっていた。何が潜んでいるのかもわからない森で、慎重に馬を進めていく。
 二人の身を包む甲冑には、装飾品がほとんどない。それは戦のときにつける、実戦用の甲冑だった。儀礼用のものとは違い、黒光りするそれは立派な防具となりうるのだ。よほどのことがなければ、貫くことは難い。
 突然、何かが風を切ってやってきた。飛んできたそれが近くの樹に突き刺さる。完全に直線とは言えないその棒は、一本の矢だった。二人の乗る馬が、驚いて暴れ出した。いつもならすぐに大人しくなるはずなのに、いくらなだめても言うことを聞かない。
 あきらめて、二人とも馬から飛び降りた。馬はそのまま、森の奥へと駆けて行ってしまうが、二人はそれに目もくれない。かわりに、腰の剣を利き手で抜くと、それを両手で構えた。
 手に馴染んだその剣で、これまでにも戦の度に人を斬ってきた。今さらためらうこともない。たとえ五十人出てこようと、二人だけで勝てる自信があった。それでも、ちらりと頭の中をかすめる思いがある。
 二人がそれぞれの剣を構え、背中合わせに陣を組んだとき、しげみが動いて人の姿が現れた。手に手に短剣やら弓矢やらこん棒やらを持ち、こちらを威嚇するように、咆哮をあげた。そして一斉に飛びかかってくる。
「できれば双方武器を納めて、何事もなく立ち去りたかったなっ!」
 イグラスのつぶやきが叫びに変わる間に、二人は動き出していた。
 相手の人数は、ざっと見て二十。……いける。迷いなどなかった。ルートもイグラスも、構えた剣をなぎ払うように敵陣へつっこんでいった。
 ルートはそのまま囲いの外へ抜けた。矢をつがえた者たちが矢を放つ前に、斬りかかる。すべてを倒すのは間に合わず、放たれた矢もあった。ルートは気にせず剣を振るう。
「このやろぉーっ」
 その声に、敵に背をとられたと舌打ちし、目の前の敵に突いた剣を抜きざまに振り向いて、ルートは間一髪で相手をとらえた。右肩に当たった短剣の刃を甲冑がはねかえし、ルートは勢いにまかせて剣を振り降ろした。数秒後、敵の返り血を思いきり浴びてしまって顔をしかめる。
 イグラスもまた剣を振るっていた。幾つもの敵の短剣を同時に相手にし、次々と勝利をおさめる。こん棒を振り回す者にあえて近寄らず、飛んできた矢を剣でたたき落とした。そして弓を構えたままの者へ駆け寄る。
 フェイントをかけるように、ルートは身を沈ませた。唯一こん棒を振り回していた男が思わず空を殴ったとき、深く踏み込んで斬り付ける。そいつが倒れるより早く、ルートは別の敵に向かっていった。
 飛び道具を持つ者がすべて絶命し、イグラスは一呼吸ついた。そこへ、やや長めの短剣を振りかざして敵がつっこんできた。すばやく反応し、紙一重でそれをよける。イグラスは相手を見定めると、すぐに応戦しはじめた。
 あらかた倒してルートは辺りを見る。すでに幾つもの死体から血の臭いがただよってきていて、かばうように鼻を左手で覆った。剣と剣のぶつかり合う澄んだ音に、ルートは振り返った。見れば、イグラスが一騎討ちを演じていた。
 相手は生き残っている最後の一人だった。強さはイグラスのほうが上だろうが、スピードでは相手が優っているように見える。
「珍しいな、イグラスが手こずるなんて」
 ルートは剣を構え直した。手伝う気はなかったが、万一相手がこっちへ向かってくれば、即座に斬りつけるつもりでいた。その動きに気付いたのか、イグラスが目でサインを送ってきた。あと一人だ、と。
 その隙をつくように、相手が斬り込んできた。あっと思う間に、そのまま相手が進む先は、森の奥であった。暗がりへ消えるそいつを追うように、イグラスが続く。
「おい! 待てよ、イグラス!」
 叫んだところで無駄なのはわかっていた。ルートは剣を右手だけで握り、抜き身のまま下を向け、そして自分も駆け出した。




 ようやくルートが追いついた頃、イグラスは近くの樹の葉で剣についた血を拭いていた。ルートもそれにならう。
「ところで、身勝手な行動をとれば何とかって、言ったの誰だっけ」
「……ああいうのは逃がすと後で面倒なことになる。だから追った」
 言い訳めいたことをイグラスがつぶやいた。
「まぁ、いいけどさ、そんなことは。それより、これじゃかなり森の奥入っているよな」
 ルートが見渡しながらそう言った。馬もいないし、これからは徒歩で進まなくてはならない。今日のうちに森を抜けなければ意味がないと言うのにだ。
「これなら遠回りしたほうが、早く着いたかもしれんぞ」
「だからみんな森に入らないわけだ」
 皮肉を軽く受け流し、ルートは視線をそらす。どうしたものだと自分で自分に問う。
 と。水の流れる音を聴いた気がして、ルートは耳をそばだてた。森は暗い。わずかな光のさすこの森で、左手のほうから確かに水の音がする。
「川だ! イグラス、行ってみようぜ」
 音のほうへと、しげみをかきわけながら、二人は歩いていった。




 木々がまだらになり、太陽の姿も見え、開けた場所にそれはあった。さらさらと、音を立てて。大して大きくない川に手をひたすと、冷たい水が気持ちよかった。二人は手と顔を洗い、タオルを水に浸してしぼると、それで甲冑についた血のりを拭いた。すっかりきれいになって、やっと一息つく。
 見上げれば、太陽が少し傾きはじめていた。川の、流れていく方向に向かって。
「この川を下っていけば、なんとか森から抜けられそうだな」
「ああ。……よし、行こうぜ」
 ルートが立ち上がり、イグラスも立ち上がった。森は暗くない。木々は川の近くにははえていないせいだ。
「この分なら太陽が沈む前に着くかもしれないぜ」
「そうだな」
 イグラスは逆に皮肉られて苦笑した。親書の無事を確かめ、二人は川に沿って歩き出した。川の流れを見せるように、何枚かの葉が水面に揺れていた。




 突然知らない者に襲われて、命からがら逃げてきた女性がいた。彼女は腕に傷を負っていた。大した傷ではないが、放ってはおけない。彼女はいつも使う川へ来ると、傷口を洗った。近くに落ちていた鋭い小石を拾い、服のすそを裂く。
 その布を川に流すようにすすぎ、固くしぼった。汚れがついていないのを確かめてから、傷口に巻く。血が少しにじみ出て布を染めたが、もう大丈夫そうだった。
 女性は、ほっとすると同時に、何故襲われたのだろうと思った。自分は、ちょっと集落から離れて散歩に来ただけであったのにと、首をかしげる。
 と、幾枚かの葉と一緒に、汚れた水が流れて行くのが目にとまった。誰かが、上流のほうで川に入ったのかしらと、そんなことも考える。葉と濁水はまもなく水流にのまれていって見えなくなった。川辺の砂利を踏む音が、後ろのほうで聞こえたような気がした。




 若い二人の騎士は、緩やかに流れる川のそばを、ほとんど無言のまま歩いていた。それは疲労のせいだけではなかった。単調な風景に飽きはじめていただけのことである。何度めかのため息のあと、ルートは何気なしに前方に目を凝らした。
 視界の中に、ふと一人の二十歳くらいの女性が映った。幻覚かと思ってまばたきするが、女性の姿は消えなかった。
「お、おい、イグラス! あそこ!」
 思わず大声をあげてしまった。イグラスは女性に気がつき、その女性もまたこっちに気付いたようだった。おびえる様子もなく、二人が近づいてくるのを不思議そうに見つめていた。ルートの銀髪が、物珍しかったのかもしれない。見れば、左腕に簡単な応急手当てがしてある。
「君、この辺に住んでいるのか?」
 近づき、イグラスが女性に言った第一声はそれだった。女性は、一瞬、意味がわからなかったのか、きょとんとしている。ルートは苦笑をこらえつつも、挨拶を述べた。
「はじめまして。我々はオセフィート王国へ行く途中の者ですが、貴女はこの森にお詳しいですか?」
 言葉は丁寧でも、口調と物腰はふざけていた。ついでにウィンクなどしてみせる。女性はふきだし、笑いながら答えた。
「……私はティアと言うの。そう、この森に住んでいるわ。オセフィートへの道もわかるわよ」
「それは有り難いな。案内してくれないか?」
「ええ。いいわよ」
 女性もまたウィンクを返し、その頃になってイグラスは自分がからかわれているのだと気付いた。
「ルート!」
「そう怒るなよ、イグラス。淑女ってのはこう扱うもんだ」
 エリア様にもご無礼のないようにな、と耳元でルートは続けた。イグラスの赤くなる顔にもウィンクを送る。頑張れよ、と応援を込めたつもりで。
「聞いていたと思うが、俺がルートで、こっちがイグラスだ。よろしくな、ティア」
「ええ。それじゃ、行きましょう」
 ティアに誘われるように、若い騎士達が続く。ルートとティアは気が合うのか、すっかり仲良くなってしまって、談笑などしている。おもしろくないのはイグラスだが、自分にはエリアがいるじゃないかと、そっと自分をなぐさめていた。




 三人は川からだいぶそれて歩いていた。森の中は相変わらず薄暗く、前方のこずえに太陽の白さがちらちらと見えるだけ。ルートとティアの声が木々に反響し、こだましていた。
「ところでその腕、どうしたんだ?」
「さっき……ルート様に出会う前に、襲われたんです」
「ルートでいいってば」
 男達が騎士だと知って、ティアは律儀に「様」付けで呼んでいた。自分はただの娘だからと。と、ルートは苦笑しつつ、続く言葉の意味に気付いた。
「……襲われた? 誰に?」
「わかりません。知らない人たちでした」
「俺達も襲われたぞ。関係あるんじゃないのか?」
 横からイグラスが口をはさんだ。真剣な面持ちである。ルートがティアに聞く。
「何人?」
「三人……ですけど、一人は反対していました。私が助かったのも、その人が仲間をとめてくれたおかげですから」
「仲間割れか……」
「単に女性だったから逃がしてくれただけだろ。俺達なら関係なく襲ってくるだろうな」
 イグラスのつぶやきに、つまらなそうにルートが答えた。そしてしばらく考えていたが、やがて思考を中断した。
「要はこの森を早く抜ければいいんだ。考えてないで、行こうぜ」
「そうだな」
 イグラスもうなづく。承知したように、ティアは足を速めた。再び襲われないことを願いながら、森の中を進んで行く。森の終わりまで、そう遠くないはずだった。




 樹の陰に隠れて、ささやき声がする。
「見たか?」
「あいつらか。例の二人組ってのは」
「女は情報外だったけどな」
「許さねぇ」
「早くやっちまおうぜ」
 彼らはこの森に住む盗賊たちだった。この辺一帯を縄張りにしていて、森に入ってきたものはもちろん、森の外でもしばしば旅人を襲っていた。相手を一人残らず殺してしまうために、誰にも知られず、百人あまりの人員を抱えて森に暮らしていた。
 森に入った人間たちが帰ってこないのは、彼らが原因であったのだ。しかし生きて帰った者がいないために、森の近隣に住む人々は、森には何か恐ろしい生き物が棲んでいるのだと信じて疑わなかった。
 盗賊たちが唯一手を出さないのは、森の中に幾つか点在する集落だけだった。その昔ひどい目に遭っているので、珍しくも一度で懲りたらしい。集落と集落をつなぐ道すら使ってはいけないはずだが、今、彼らは総員で道のわきに隠れていた。
 つい先程、二十人ほどの仲間が殺されたという二人組が、その道を通って森を抜けるところだと、伝令が盗賊たちの間をめぐったからだった。彼らは仲間意識が非常に強い。仲間を殺された怒りに、燃えていた。



 ティアの集落の者が使っているという道を、三人は歩いていた。それはほとんど獣道に近く、足元の草々は踏まれて平らになっていた。よく見なければわからないような道を、ティアは迷うことなく進んでいた。ルートもイグラスも、道の両脇にうっそうと生い茂る背の高い草に閉口しているというのに、だ。
 話すこともなくなって、ルートはぼうっと歩いていた。弟の誕生日に何をやろうかなどと、呑気なことを考えていた。
「……待て!」
 突然イグラスが叫んだ。何事かとティアが振り返る頃、ルートはそれに気付いていた。
「お待ちかね、ってところか」
「ルー……」
 ト、と続けようとしたティアの口を、ルートは手で塞いだ。右手で腰の剣に触れつつ、ティアの耳もとにそっとつぶやく。
「むやみに名を呼ぶな。どうしてもの場合は……そうだな、ラトスとでも呼んで」
「ラトス?」
 ティアが聞き返す。ルートは口早に答えた。
「傭兵やってた頃に使ってた」
「傭兵だったの?」
 驚いたティアは、口調がついいつものものになってしまう。しかしルートはもう聞いてはいなかった。剣をゆっくりと抜き、目の前に構える。イグラスもすでに構えていた。道のわきの茂みに向かって、ルートは言った。
「出て来いよ……」
 その言葉に反応するかのように、茂みから次々と人が現れた。全員、短剣を手にしている。ティアをかばうように、二人は陣を作った。
 盗賊の頭が、右手をさっとあげた。それを合図に盗賊達の間からうなり声が起こり、戦いが始まった。




 若き騎士は、黒き甲冑に身を包んだ二人の騎士は、国王直属だけあって腕も確かだ。一人、また一人と葬り、徐々に敵の数を減らしていった。盗賊も負けてはいない。普段、旅人を襲っているだけに、戦い慣れしているようであった。
 倒れた盗賊が全体の半数を越えた頃、ルートは息があがりはじめていた。いくら何でも敵の数が多すぎるのだ。まだあと三十人以上いるだろう。不利になってはいけないからと、肩で息をするのをなるべく抑えていた。それがわかれば、相手は意気込むに違いないのだから。
 しかしイグラスはそんなルートに気付いていた。誰にも気付かれぬよう、顔を向けずに声をかける。
「大丈夫か?」
「あぁ。……まだくたばるわけには、いかねぇだろ?」
 不敵に笑って、ルートはそう答える。
「その分ではまだ、大丈夫そうだな」
 イグラスもやり返し、敵に神経を集中し直す。
 そんな二人の戦いぶりも疲れも会話も、ティアは全部見ていた。二人のおかげで傷ひとつなく、なんとかまだ生きていた。自分だけが何も出来なくて、それが不安から焦燥感へ変わる。何かしてあげたいと、心に祈る。
 そしてティアは思い出した。子供の頃に、母から教わったおまじないを。身の危険を感じたら、いざというときに使うためのおまじないを。その言葉を、そっとつぶやいてみる。
「森に住まいし、我らが守護神……」
 ざわめきがやんだ。一瞬の沈黙。そして、木々が静かに揺れはじめた。
「な、なんだ?」
「どうなってるんだ!」
「これは…一体?」
 盗賊たちが慌てはじめ、ルートとイグラスはティアを見やる。ティアは言葉を続けた。
「原始なる木々の、古代の王……」
 木々の揺れが大きくなっていき、幾枚もの木の葉が舞い降りてきた。それを払いのけ、騎士二人はティアのそばに寄った。そのとき、盗賊の頭は何か気付いたようだった。口を開け、閉じてまた開く。そして叫ぶ。
「逃げるんだ、お前ら! こいつはいつかの呪いと一緒だ!」
 声と同時に、自ら先頭をきって逃げ出した。口々に叫びながら、盗賊たちも散り散りになっていく。ティアはそれでも言葉を紡いだ。
「夢も現実も、虚空の彼方へ……」
 木の葉がそろって流れていった。風もないのに、まるで生きているかのように。まだいた盗賊達も、それを見てさすがに逃げ出した。あっけにとられる二人を残し、まもなくして誰もいなくなった。
 言葉を途切れさせたティアが、小さく微笑んだ。




 国境にまたがる広大な樹海には、遠い昔から妖精が住んでいるという。いくつもの集落に別れてくらす彼らには、不思議な力があるらしい。その源は森そのもの。自然に育てられた彼らは、森を守り、また森に護られて生涯を過ごす。
 不思議な力は、人間には勝てない。かつて妖精達を抹殺しようと企んだ残忍非道な盗賊団すらも敗れた力は、普段はあまり使われない。あまりにも強い力であるがために。森そのものを源とする、強大な力であるがために。




 若くて強い騎士二人は、目の前で起きたこを完全には理解できなかった。逆に助けられたような気がして、ルートが礼を述べる。
「ありがとう、ティア」
「どういたしまして」
 嬉しそうに笑い、ティアはルートの手を引いた。
「私はこの森に住んでいるのよ。森を守るかわりに、森の恵みを受ける。森に護ってもらえるの」
「俺達もそのおかげで助かったのか」
「感謝するなら、この森に」
 ティアが両手を広げてくるりと一回転する。肩までの髪がふわっと舞った。まるでおとぎ話にでてくる森の妖精のようだ、とルートは思った。そして自分の考えを笑いながら否定する。そんなはず、ないだろう、と。
「何を笑っているんだ?」
 イグラスが不思議そうにルートに尋ねる。ルートは笑いをかみ殺し、答えた。
「莫迦げたことを考えてしまったからな」
 そして、ティアの手に触れた。白い、透き通るように白く美しい肌に。
「行こうぜ。ティア、案内よろしく」
「わかっているわ。ほら、こっちよ」
 笑みを浮かべたままの妖精ティアに導かれ、暗い森の中を二人の騎士が進んでいく。




 太陽がかなり傾いた頃、ティアが前方を指差した。
「もうすぐ森の出口よ」
 その言葉を裏付けるかのように、暗かった森に光がさしてきた。樹がまだらになってきた証拠である。
 そして。しばらくもいかないうちに森が開けた。眼下に広がる街並は、まさしくオセフィートのもの。前にも親書を届けたことのある二人には、それが一目で見てとれた。イグラスの顔に安堵の表情いろが浮かんだのを、ルートは見逃がさなかった。
 と。ティアの前にルートが片膝をついた。
「な、何?」
 少し慌てたティアの手をとり、ルートはその甲に軽く口づける。そしてかしこまって言った。
「ここまでのご案内、感謝します。ありがとう、ティア」
「ど、どういたしまして」
 顔を赤らめ、ティアが答えた。ルートは笑い、イグラスがせかした。
「行くぞ。早く親書を届けるに、越したことはないからな」
「あぁ」
 答えて、ルートは立ち上がった。イグラスに並び、オセフィートへ歩き出す。その背中にティアが呼ぶ。
「ルート!」
 ティアはそのまま駆け寄ると、振り向いたルートの頬に小さいキスを残す。微笑んで、早口に言った。
「帰りも森を抜けていかない?」
「いいよ」
 あっさりと答えて、ルートは反論しかけたイグラスを制した。
「帰りはフリーなんだから別行動でも構わないだろ。……ティア、明日の正午に、ここで」
「わかったわ」
 ティアの顔が嬉しそうにほころんだ。
「きっとよ。待っているから」
「あぁ、約束する」
 最上の笑みを返して、ルートは久しぶりのオセフィートへ向かった。若い騎士二人は、王都へと親書を携え進んでいく。
 まっかな太陽に照らされたように、顔を赤らめたままのティアが、小さくなる影にずっと手を振っていた。見えなくなるまで、ずっと。次の日にまた会えるだろう、恋しい騎士を想いながら。








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