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 [ V i s p h e r i a ]

   act.2 黒 印 の 騎 士  2000.05.02

  緊張が解けていく。「勝てた」という安堵感が身体中に広がる。目の前に倒れた男が、ゆっくりと立ち上がる。それに手を差し伸べて、強く握る。互いに、複雑な笑みを浮かべる。
「お前の勝ちだ」
 声が聞こえる。肩を叩かれ振り向けば、そこに力強い表情がある。
「十分な強さだよ。俺が認めてやる。お前は―――――」





 波の音が耳に新しい。ラトスは窓の外を眺めながら、海を奏でる幻聴を聞いていた。故郷レスカンタを飛び出して、ファラディンに向かった後、何をしていたのか覚えていない。記憶に留めるほどの事をしなかったせいでもあるのだろう。ファラディンでは、愛用の剣を抜くこともなかった。
「パル…お前はまだ」
 俺を甘いとなじるのか?
 得られるはずのない答えを、失った傭兵仲間へと求めてみる。忘れるつもりであったのに。もう一人の仲間、リシアは、仇を無事とれたのだろうか?
 戦場へ向かった彼を、ラトスは責めなかった。羨ましかった。そうやって、一つのことだけに向かっていける純粋さが。
 自分が濁りきっていることに気付いたのは、何歳いくつのときだったろう? そんなふうにときどき、忘れた昔を顧みる。
 窓から迷い込んだ風に、自分が眠ってしまったことを知らされる。うとうとと、夢を見るでもなく、ぼんやり風を受ける。風は迷ったまま消えた。自分の心を暗示するかのように。
 ラトスはわざと、音を立てて立ち上がった。今の風は、どこから吹いた? 俺を誘う悪戯な風は。外へ出ると、舞い上がった砂や埃が、地面 に落ち着いたところだった。風は止んでいた。
「気まぐれなとこまで、似てやがる」
 故郷を遠く離れ、あてもないのに海まで渡ってしまった自分を、気まぐれでなくて何と言おう?
 ラトスは苦笑せずにはいられなかった。



  *****



 栗毛の馬にまたがった黒い甲冑が二つ、目の前に揺れている。その美しさに目を見張り、ラトスは思わず息を飲んだ。その気配に気付いたのか、二つの顔がこちらに向けられた。兜はつけていない。
 紺青の瞳をした男二人と、向かい合う位置になる。相手を見れば、一人は壮年で、一人は若く、自分よりも二つか三つ下くらいだろう、と見当がついた。二人は親子なのだろうか。よく似た顔をしている。相手の黒い甲冑の右肩に、二頭の一角獣を意匠化した紋章が見えた。
「何用か?」
 壮年のほうが口を開いた。
「立派な剣を持っているな。貴殿、何者だ?」
「旅路ルート…、まだ、道のりの途中……旅路を行く者だ。陽の熱と、砂の風を、浴びて育った」
「砂の大陸ヒュストキールの傭兵…か。このレリセファランへ、何を求めた?」
「俺の剣を振るう場所」
 ラトスは即答した。結局、戦うことにしか、己の存在意義を見出せなかった。商業の地ファラディンへ行ったとき、ラトスは強く、そう感じていた。
「よし、剣をとれ」
 壮年の男が、優雅に馬から飛び降りた。そして、腰に差した彼の剣を引き抜くのが視界に映る。
「抗う気があるのならば…な」
 不思議な構えの姿勢をとった。その迫力に気圧されるように、ラトスも自身の、愛用の剣を抜いた。
 …何に抗えと?
 褪めた心で、怪訝に思う。
「迷え。好きなだけ迷え。…結論などいらんっ」
「叔父上!」
 相手の言葉と踏み込みとが、同時にラトスの耳と腕とを襲う。声は深く、耳の奥まで響き、かろうじて受け止めたものの、剣を持つ手にしびれが走った。重なるように掛かった呼び掛けは、制止の声音を含んでいた。もう一人の紺青の瞳を持つ、若者の声だった。
「叔父上、何もこんなところで…」
 肩までの暗褐色の髪と、大人しそうな表情から受ける印象よりも、幾分か低い声をしている。彼の言葉に、叔父と甥かと、ラトスは何気なく思った。
「団長と呼べ。今はお前も、我が騎士団の一員なのだからな」
「では、ジェイノス団長。申し上げます、今すぐ剣をひいてください」
 団長だって? まさか、この王国の、騎士団の……?
 相手は、ラトスの顔に浮かんだ困惑の表情を、見逃すような輩ではなかった。気を抜いた隙に手許で何かがきらめき、気がつくと剣を落としていた。相手の剣が振るわれたのだ。両腕がひどく疲れている。
「戦闘の最中に夢など見るな。二度と目覚められなくなるぞ」
「迷えと言ったんだろう、貴方が!」
「ジェイノス・ダル・ファハットだ。ヴェルスへ行くのであれば、この名を記憶の片隅にでも残しておくんだな」
 剣を丁寧に柄に納め、ジェイノスは高圧に言い渡した。その言葉に威厳の欠片を感じてしまうのは、相手が歴戦をくぐり抜けた騎士だからなのかもしれない。
 ジェイノスは、降りたときと同じように、優雅に馬にまたがった。まるでそれだけで、絵でも見ているみたいだ。
「そう心配するな、行くぞイグルー」
 馬のひずめが地面を踏みならす音が、耳に残る。黒い甲冑に身を包んだ二人の男は、振り返りもせずに行ってしまった。背後に響いた、木戸の叩き付けられる音にも、気付かないといったふうに。



  ****



 ラトスは近くの飲食できる店に入ると、乱暴に木戸を閉めた。乱雑に置いてあった、椅子の一つに腰を下ろす。木製のテーブルに腕ごと突っ伏して、前髪の間から値踏むように、店内を見た。
 客はまばらだ。
「なぁ」
 隣に座った知らない男に、声だけで問い掛けた。
「ヴェルスへ行くには、ここからどうやって?」
「王都へか? 綺麗だよ、あの都は。森の隣りだから空気もいい」
「いや、俺が聞きたいのは…」
「…騎士志望と見受けたが?」
「そんな事は言っていない」
「なんだ違うのか。そんな感じがしたんだけどな。……騎士になるんなら、一本道だよ、剣士殿。ヴェルスに行くまでも行ってからも」
 謎めいた事をつぶやいて、男は含みを込めた笑みを浮かべた。ラトスは、それ以上会話を続けることを無駄 に思い、立ち上がった。
「礼は言っとく。……エフハリスト」
 かたん。と、椅子が軽い音を立てる。今度はゆっくりと木戸を押して、ラトスは外へ出た。潮の香が気持ちいい。迷いなどないような気にさせる。先程のジェイノス達の去った方向へ足を向けた。
 成程、一本道なのだろう、と思う。自分には、他に行く路が見つからないのだから。



  ***



 どのくらいの人間とやり合っただろう。
 どれくらいの時間、戦ったのだろう。
 忘れてしまってかまわない程、多くの人間と戦い、そのために時間を費やした。
 故郷である、砂の大陸ヒュストキールの小さな地域で、自分は結構強いほうだと思っていた。これまでに負けた事がなかったから。
 その自信が覆されたのは、あの騎士二人と出会った瞬間。
 剣を抜く前から、勝てないことがわかっていたような気がする。
 強いつもりでいた自分は、所詮、砂漠の中の小さいサソリに過ぎないのだと思った。海を越えればもう、その毒が効かない存在が、数えきれないほどある。剣を振るっても、その切っ先すら相手に届かない。
 負けるはずがないと、戦いの最後まで信じていた自分が愚かだった。
 だから、いらない妙な油断が命とりとなって、仲間を一人、失ったに違いなかった。
 自分なんか信じなければよかった。こんな自分なんか、……嫌いだ。



  +



 何度か戦った。知らない戦い方をする人や、知らない構えをする人や、知らない武器をする人や、ときには集団で襲いかかってきた人々なんかと。
 そのどれもと冷静に対峙し、自分はそうした人達と違うのだと、なんとなく思った。勝つこともあった。だが、負けることのほうが、多かった。そんなとき、適当に隙をついて逃げ出した。自分は卑怯だ、と自己嫌悪に陥りながら。
 何を思って、みんな戦っているんだろう。
「パル…お前はまだ」
 俺を甘いとなじるんだろうな。もの思いにふけりながら剣を振るう、いい加減な俺を。
 砂漠で戦っていた頃の四年間が、今頃になって無性に懐かしい。あれからもう、二年以上が経ってしまった。



  **



 彼らと再会を果たした。紺青の瞳を持つ、二人の騎士達と、だ。
 王都ヴェルスの街並みで、彼らはやはり、出会ったときと同じ、栗毛色の馬にまたがって行動していた。
「また会ったな。……ルート、と言ったか」
「お久しぶりです、ジェイノス団長」
 言い直すのも面倒で、ラトスはその名を受け入れた。
「砂の大陸の傭兵よ、今度はヴェルスへ、何をしにきた?」
「……迷いに」
「剣は振るわないのか?」
「迷っているんですよ、俺は何のために剣を振るうんだろうか、と」
 初めて真直ぐ、ジェイノスの瞳を見据えた。彼が、何を意図して「迷え」と言ったのか、その真意を知りたかった。
「ならば騎士になれ」
「俺が、ですか? 俺は他国の人間なんですよ。しかも砂の大陸の」
「だから何だと言う。我がヴィスフェリアの擁する騎士団に、その騎士となる資格に、自国も他国もない。ただ強ければいい。強い意志を持っているのならば、誰でもかまわんのだ」
 もちろん最終的には、我々の審査をくぐらなければいけないが、と付け足した。
「言っておきますよ、はっきりと。俺は弱い、と」
「俺に負けたくらいで弱いと言うのならば、騎士団に属する者はみんな弱いということになる。やってみなければわからんだろう」
 ジェイノスは、後方に控えた、よく似た顔の若者を振り返った。
「イグルー。お前が相手になれ」
「…わかりました」
 抑揚に欠けた声で返事を返し、彼は馬からすとんと降り立った。礼をし、剣を抜く。ラトスもまた剣を抜いた。
 ジェイノスが、始め、と静かに言い渡した。
 素早い身のこなしだった。年齢は下のはずなのに、経験は上のようであった。少年、と呼ぶには育ちきった体格の相手は、瞬く間にラトスを打負かした。ラトスは翻弄されただけだった。
「だから言っただろう、俺は弱いと」
 多少不機嫌になりながら、ラトスは汗を拭った。剣を柄に納め、胸に自嘲気味につぶやく。……ここのところずっと、負けてばかりだ。
「我が甥は、この若さで、騎士団の中でも類を見ない強さを持っているからな。そう気にしなくて良い」
「…気休めだな」
 聞こえない程度の若者の独り言を、ラトスはしっかりと聞いていた。反論もできずに、それは聞き流すことにする。
 ぼうっとしていたラトスに、鋭い声が飛んだ。
「ルート。俺はお前に命令しているのだと、わかっているか?」
「……何を?」
「騎士になれ、と命令している。その為に修行をつめ、とな」
「何ヶ月かかるかわかりませんよ」
「年単位の計算になるかもな」
「そうだな。お前とて三年かかったのだからな、イグルー」
 ジェイノスはイグルーの頭に手を置き、整った髪を気にもせずに、くしゃっとなでた。いつもの事なのか、イグルーは表情を変えもしない。
 つまんねー奴。
 ラトスは憮然と、そう思った。あんな奴に俺が負けるなんて。
 ジェイノスが動いた。イグルーが馬にまたがっている。彼らは王宮へ戻るのだと言う。
「また会おう、ルート……何と言う?」
 俺はただの……。言いかけてはたと気付いた。
「ルート・パリュシア、です」
 故郷での傭兵仲間のパルとリシアの名を借りて、勝手に自分の名前に変えた。これで心置きなく、彼らの存在を忘れてやることができる。
 さよなら親友。彼らとの思い出は、砂の風と一緒に、あの地を流れているのが相応しい。いつか砂の大陸に戻ったとき、思い出せるように。
「では、ルート・パリュシア。貴殿が騎士になるとき、また会おう」
 甥を従えて、人の良い騎士団長は行ってしまった。その場に残されたラトス……いや、ルートは、久しぶりに背伸びをして、こんなところで何をしているんだろうと、しみじみ思った。
 久しぶりに楽観的にそう思った。
 忘れようと思っていた、必要のない過去を、あっさりと捨ててしまったからかもしれなかった。



  *



 一年も要さなかった。たった半年で、彼は他の者に追いついた。もともと素質があったのかもしれない。ジェイノスの目にとまったくらいだから。
「よく来たな」
 すぐ目の前に、ヴィスフェリア王国騎士団団長の、ジェイノスの顔がある。
 肩が重い。何か、実用ではない、装飾の多い甲冑を、身にまとっている。渡された儀礼用のマントを、その上に羽織る。重い兜をかぶる。頭の先から爪先まで、全身が黒く覆われてしまう。
 思わず愚痴がこぼれる。
「これで戦えと?」
「これは儀式だから」
 ジェイノスに良く似た面影を持つ若者が、それに答えた。そういえば彼の名は何と言っただろう。訊いたことはなかった気もする。見れば彼も、ジェイノスも、自分と同じような格好をしていた。
 ジェイノスは、こちらの支度の終わったのを見て、うなずいた。
「イグルー、お前が相手になれ」
 これは、いつかと同じシチュエーションだと頭の中で誰かが言った。
 今度こそ負けないと、心に思う。
 聖なる黒き甲冑をまとった自分と相手とが対峙する。ともに剣を構える。団長の、「始め」の合図が告げられる前に、ルートは訊いた。
「お前、名前は?」
「イグラス・ダル・ファハット。叔父上だけは俺を、イグルーと呼ぶ」
「そうか。今度は譲らないからな、イグラス」
「これは儀式だと、言っているだろう」
 イグラスの声に、団長の合図の声が重なった。儀礼用の美しい剣が二つ、弧を描いて宙を舞う。軽く触れるだけで、二つは高い金属の音を響かせた。
 技術も速さも体力も、二人はほぼ互角のように見えた。
「腕をあげたな、あの者……」
 ジェイノスが感嘆のつぶやきを洩らす。
 イグラスは予想以上の相手の腕前に、内心舌を打ちつつ、表情を変えずに戦っていた。このままでは、おされてしまう。
 何を仕掛けるつもりなのか、相手が間合いをとった。チャンスだ、と脳が告げた。イグラスは深く踏み込み、広げられた間合いをつめた。相手の顔が近付き、何かに見とれたような瞳と目が合う。
 よく見たことがなかったため、今まで知らなかったが、相手は新緑を思わせる、澄んだ碧の目をしていた。彼の持つ剣にはめ込まれた、宝玉 と変わらない輝きを、そこに灯している。
 直後、イグラスは自分の目の高さから剣を突き出した。相手の瞳が閉じられるのを確認する。相手の、はずれていく兜の奥で消えた輝きに、勝利を予感した。そのとき。
 相手の兜が地につき、どう、という重い音がした。軽く頭を振っているのが視界に映る。相手はそのまま、全力を持って剣を振るってきた。とっさには、避けきれなかった。剣が手からこぼれ落ちた。
 しまった……。
 我知らずうめき声をあげながら、倒れ込む。儀礼用の重い甲冑に引きずられるように、地に倒れ、土の匂いをかいだ。
 ……不覚だ。いつの間にこいつ、こんな強くなった?

 相手の剣が、陽にきらめいて舞った。地に落ち、金属の澄んだ音が響く。
 一瞬の間と、沸き上がる歓声。
 自分の瞳と同じ色、澄んだ碧の輝きを持つ石のはめこまれた、愛用の剣が、手の中にある。疲労した身体を支えるように、それを垂直に地に突き立てた。
 沸き上がる歓声を、全身で聞いた。
 俺の…勝ちだ…。
 そんな実感がある。例えようもなく、自分が身軽になった印象を受ける。こういう気分を何と言うのだろう。気分がいい。
 こんなに清々しいのは初めてだ。
 ルートは手の中の汗を握りしめた。

 緊張が解けていく。



  +



 倒れたイグラスに手を差し伸べた。重い甲冑に閉口しながら、彼の体を引き上げる。
「お前の、勝ちだ」
「ああ。俺の勝ちだ」
「短期間で、よくこれだけ腕をあげたな。死活問題だということか」
「褒め言葉と受け取っておくよ」
「褒めているさ、もちろん」
 イグラスが笑みを見せた。嫌な感じのしない、本物の笑み。彼の笑ったところは、見たことがなかった。
「じゃあ礼を言っておこう。……有難うエフハリスト
「今後、よろしく、ルート・パリュシア」
 二人の間に握手が交わされた。遠くでジェイノスが、それを見守る。



  ++



 緊張が解けていく。

 声が聞こえる。
 肩を叩かれ振り向けば、そこに力強い表情がある。
 自分を、騎士へと誘った者の、歓喜に満ちた顔がある。
「俺が認めてやる。お前は、たった今から、ヴィスフェリア王国の騎士だ。砂の大陸ヒュストキールに育った者よ、ル−ト・パリュシア・ヴィスフェリアルス。貴殿に、我が騎士団たる証、【黒印の騎士】の称号を与える」

 ――――――――――――――かくして、ここに一人の騎士が誕生する。
 そして、ルートとイグラス、彼ら二人はこれから三年後、ヴィスフェリア王国に隣接する樹海を、親書を携え、抜けることになる。
 彼らのよく磨かれたその黒い甲冑には、右肩に二頭の白獅子を意匠化した紋章が、刻まれている。


      ...the end.





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