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 [ V i s p h e r i a ]

   act.1 銀 髪 の 傭 兵  2000.03.20

 深く踏み込まれ、広げた間合いをつめられた。相手の顔が近づき、兜の奥の瞳につい見とれた。直後、その真横から突き出された剣を避けきれずに、衝撃に一瞬、目をつぶった。首をすくめた格好で後ろへ飛ぶ。
 とたん顔に風が触れ、自らの髪が乱雑に流されるのを肌で感じた。顔と頭と首を守る銀製の兜が、相手の剣により弾き飛ばされたのだ。
 重い音が背後からした。頭に走る軽い衝撃の余韻に我に返り、とっさに全力を持って剣を振るう。うめき声が耳に残り、改めて見ればそこに、つい今さっきまで戦っていた男が倒れていた。
 勝ったのか…?
 自分の瞳と同じ色の輝きを持つ石のはめこまれた、愛用の剣が手の中にある。疲労した身体を支えるように、それを垂直に地に突き立てた。沸き上がる歓声を、全身で聞いた。
 俺の…勝ちだ…

 


 緑の樹海が連なる先に、碧い水をたたえた海が続いている。海の向こうにある地を、レリセファランの者はこう呼ぶ。砂の大陸「ヒュストキール」、と。
 かの地は砂塵が吹き荒れているのだと言われている。



  *



 広大なヒュストキール大陸の北の地にあるヘテルナは、王国内での争いが絶えないことで有名だった。陽炎と風塵の砂漠に領土を持つ、セパラティ公国とレスカンタ公国は、境界線の曖昧なことから、特に争いが盛んだった。
 腕に自身のある者は、十五のときから戦場に立った。頼れるのは剣と自分の技量 のみ。だから平均寿命も決して高くはなかった。
 ラトスという名の青年がいる。レスカンタ生まれで、珍しい銀髪を持つ彼もまた、弱冠十五にして戦いに身を投じた者の一人だった。あてもない戦の中で、四年という歳月を生き抜き、信頼できる仲間を二人ばかり作った。
 友の名はパルとリシア。やはり若くして戦いの中に身を置いている。三人は、お互いと自分の身のために、日々剣を振るっていた。



  **



 戦う毎日に、最初に疑問を抱いたのは誰だったか、それはもうわからないが、あるときリシアが問いかけた。
「こんな生活は、俺達にとって何の意味がある?」
「意味なんかないよ。誰かの明日を奪って生きる。それだけのこと」
 もの静かに、パルが応じた。ラトスは答えられずに黙り込み、二人の言葉を反すうした。こんな生活は…奪って生きる、それだけのこと。何に憧れていたのだろうと、昔の自分を嗤った。



  ***



 戦いがいよいよ激しくなってきていた。そろそろ決着をつけたいのか、両者に焦りが見えている。それとも様子をうかがってでもいるのか。一進一退の攻防が続く。前線で戦う若い傭兵達が、先を争うように倒れていく。
 ラトスはそんな状況の中で、あの言葉が片時も忘れられないでいた。こんな生活に何の意味が…。
 剣を振るう。相手の動きを正確に読んだ身のこなしで、剣を振るい相手を傷つける。切っ先に触れた相手から紅い飛沫があがり、その体が傾くのを見守る。…誰かの明日を奪って生きる。それだけの。
 背後に気配を感じて、ラトスは右にステップを踏んだ。果たして、一瞬前までいた場所を、その宙を薙ぎ払った剣の持ち主が、そこに立っていた。目が合う。お互い同時に間合いをつめ、剣を振るう。ラトスのほうが正確だった。相手の剣を避けつつ放った一撃が、狙い違わず決まっていた。倒れてくる体の下敷きにならないよう、その場をすぐに離れる。
 無感情のままに、ラトスは戦うことができた。何も想わないまま、適格に判断し対処していく。灰色の情景の中で戦う自分を、遠くからただ眺めているような感覚だった。
 手の中に剣の重さがある。相手を斬ったときその鈍さがある。踏み込んだとき地の固さがある。だが音は遠く耳の中で響き、ものは目にゆっくり動くように映る。…生きる、それだけのこと。
「俺は…本当に生きているのか?」
 ときどきそんなことを考えている自分に気付く。周囲で起こる、剣と剣のぶつかり合う音が、聞こえないほど独りになる。



  ****



 あるときラトスは、偶然パルの近くにいた。戦うときはいつも、三人は別々の場所に配備されている。だから戦場で会うことは決してなかったのだが、戦ううちに近くまできてしまったらしい。
 慎重な性格のパルは、戦いながらも、周りに気を配ることを忘れない青年だった。自分だけを頼りとする傭兵達の中にあって、彼は不思議で、そして貴重な存在でもあった。ときとして自分自身のことを忘れがちなパルを、リシアがいつも、さり気なくフォローしていた。だが今は、リシアも他の場で戦っている。パルは自分を守ることも忘れないように努めていた。
「俺は生きて…?」
 考えながら、ラトスは対峙する相手を観察していた。不必要に長い髪のせいでまるで女のようだと、余計なことを考える。首をわずかに傾げたとき、それが相手の目には隙があるようにでも映ったのか、踏み出すのが見えた。
 やや遅れて剣を握り直し、正面に構えて相手を見つめる。相手の剣がすぐ側まで近づき、かけ声とともに振り降ろされた。その時にはもう、ラトスは身を返していて、外見の割に低い声だ、とまで考える余裕があった。怒りをあらわにした相手が、なおも斬りかかってくるのを冷ややかに読み、相手の懐に飛び込んだ。高い声が響き、うめいた相手が砂ぼこりをあげて倒れた。
「ラトス!」
 声が、自分を呼ぶ友の声だと気付いたとき、ほおに鋭い痛みが走るのを覚えた。左手の甲でぬぐうと、血がついた。
「ラトス、君って人は…」
 かけよってきた友の声に振り向き、ラトスはそこに立つパルを認めた。先程の高い声は彼のものだと脳の中で誰かが告げ、ラトスはもう一度ほおをぬ ぐった。すでに血は出ていない。
「大丈夫だ。このくらいならすぐに治る」
「痕が残ってしまうよ。もう少し早く避ければ平気だったのに」
「あの男、やけに勇み立ってた気がした。何か、守るものでもあったんじゃねぇかと…」
「そんな事を考えて戦ってるのか、君は。守りたいから奪う。向こうもこっちも理由は一緒だって。所詮、俺達は傭兵なんだしさ」
 答えられずに、口をつぐんだ。自分より二つばかり若いこの青年が、ラトスは時々わからなくなる。自分達には、守るものなど何もないと言うのに。
「そうだ、ラトス。一つ言っておこう。守るものが欲しいなら、君自身と、俺と、あとリシアを守れ。これって、条件は悪くないよ?」
「そうだな」
 心の中を見透かされたようなパルの言葉に、軽く笑いを洩らし、ラトスはパルに背を向けた。戦いはまだ、終わってはいない。剣のぶつかり合う音はすぐ近くで起こっている。誰かが近付いてくる音がするのは、相手側の援軍が来たからに違いない。
 相手の明日を奪って、自分が生きるために、とりあえずラトスは剣を振るう。彼の前に、敵、と呼べる相手が倒れていく。技量 だけを言うなら、十九の若者にしてはかなりの腕前だった。
 ときどき、名を呼ぶ声が耳につく。力量から言えば余裕はあるのに紙一重で戦うラトスに、遠くからパルが警告しているのだ。そのせいでパルの身に危険が高まっていくことも、ラトスは頭の隅で理解していた。それでも、自分の戦い方を変えることができなかった。
「ラトス!」
「まだそんな余裕があるのか、この若造が!」
「…くっ…」
 パル以外の声が脳に響き、ラトスはとっさにそちらを見やった。こちらに注意を促すように顔を向けていたパルと目が合う。そのパルの口から溢れる鮮血に、ラトスは凍ったように動けなくなった。
 あれは何だ…?
 パルの前に立つ者が、重みのある棒状のものを振り上げ、振り降ろすのが視界に入る。パルが倒れる。
「貴様の敵は、この私だ!」
 耳元に騒音を感じ、ラトスは正面を見た。今にも飛びかからんとする相手を冷たく見下ろし、その腹に剣を突く。相手が叫び、倒れることに関心はなかった。ラトスはパルのほうへ、一歩踏み出した。
 別の者が割り込んできて、戦いになる。何度か剣を合わせ、隙をついてのどをかっ斬る。声もなく相手が倒れる。視界の端にパルを捕え、その方向を向く。更に前に立ちはだかる者に、ラトスは初めて苛立ちを覚えた。
「…どけよ」
 静かな怒気をはらんだ声に、相手が一瞬怯むのを逃さなかった。素早く斬りかかり、倒す。ようやくパルの元に立つと、横からきた最後の一人も斬って捨てた。砂ぼこりがおさまって、周囲が水を打ったように静まり返った。
「…パル?」
 返事はなかった。ラトスは立ったままで考えていた。
 パルはもう生きて…?
 どのくらいの沈黙を感じていたのだろう。
 遠くから足音と、自分とパルを呼ぶ声が聞こえる。別の場所で戦っていたリシアが、いつまで経っても戻らない二人を探しに来たのだ。リシアは、血溜まりの中に横たわるパルを、目ざとく見つけた。
「…パル? …おい、これはどういう事だ? てめぇ…」
「パルは、死んだ。…俺が殺した」
「何だと!?」
 自分のせいで死んだのなら、自分が殺したのも同じだと思い、ラトスは目をつぶった。そんなラトスの服の襟元を掴み、リシアが大声でどなるのがわかった。ラトスはただ黙って、彼の好きにさせていた。パルの死に対し、怒り、泣く権利くらいリシアにもあると、考えていた。



  *****



「俺は、行く」
 あれから何度か陽が昇り沈んだ。相手の領土へ攻め入る計画が知らされた夜、リシアは強く言い切った。
「『輝きの丘』にでも行くのか」
 ラトスは冷たく応じた。戦いの中で命を落とした者は、『輝きの丘』 なる地に行くのだと言われている。リシアはどなった。
「死んだってかまわねぇよ。仇がとりたいだけなんだ。もうあいつを守ることは、俺には出来ない。何もできない。…こんな生活は、俺達にとって何の意味がある?」
 あのときの問いを繰り返され、ラトスはパルの言葉を続けようとしてやめた。他人の台詞を吐くのは性に合わない。
「勘違いするな。お前は、自己を守る責任がある。…あいつを、泣かせなくねぇのなら」
「あの気配り男が泣くものか」
「……にしても、再会するには、別れてからまだ早すぎるぜ」
「遅すぎるくらいだ!」
 リシアは再びどなり、地に横になると聞く耳持たずとでも言うかのように顔を背けた。ラトスも同じように横になると、やはり反対を向いて目を閉じた。胸の怒りはおさまらなかったが、程なくして、夢の地に落ちていった。



  ******



 夢の中で、黒い甲冑に身を包んだ自分が、森の中を進んでいる風景をかいま見た。すぐに目が覚めたと思ったらもう朝で、陽がまぶしかった。隣にリシアはいなかった。朝早く、他の傭兵達とともにセパラティ公国へ向かったのだろう。だが、そこにいるのは敵なのか? …わからない。
 ラトスは砂の舞う空を見上げた。視界が歪んだのは、目に溜まった水滴のせいだ。それをぬぐい、ラトスは立ち上がった。
「これからどうするかな」
 ここに留まる気はなかった。以前以上に独りを感じてしまう戦場へは、行きたくはなかった。怒り、泣く権利は自分にも、ある。それでも、その事でいつまでも沈んでいたくはなかった。
「ファラディンへ…行ってみようか」
 誰にともなしにつぶやき、それでいいと脳の中で誰かが告げた。同じヘテルナ国内にあるファラディンは、ここレスカンタや隣のセパラティと違って商業の地だ。戦いはない。だから傭兵など必要としていない。行っても意味はない。だが、どうせ理由などどこにもないのだ。
 自分の影が導いてくれるような錯覚に陥り、とりあえず何でもいい、と、ラトスは楽観思考に切り替えた。未だ戦乱の続く故郷レスカンタをあとにして、ここから西にあるファラディンへと向かうことにした。
 辿り着いてみれば、また何か別のことを考えることができるだろう。二人の友を忘れようと、ラトスは砂の地に足を踏み出した。


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