砂 漠 の 風 に 吹 か れ て 2001.01.30 |
細かい砂粒が地面を流れていく。
強くはない風が、砂の地を滑るように遠ざかっていく。
ああ、まだこの大地に、懐かしい匂いを感じる。
目を瞑り思い出すのは、忘れていた思い出。
下弦の月がすっかり痩せて、細くその姿を空に浮かべている。
穏やかな天の下、駱駝ドロメダリオにまたがった少年達の姿が影になって見えていた。その数は十にも満たない。彼らはこれから、薄明かりの中、集落を離れ砂漠へと出て行く。
全員が、腰には剣を下げている。長短二つ持った者、頭や腕に、布を巻いた者もいる。駱駝ドロメダリオのこぶの後ろに下げられた革袋には、二週間分の食料と寝具用の布が入っている。矢筒を弓とともに括りつけて下げている者もいる。あとは皮の水筒に入った、充分な飲料。
一歩外に出れば、そこはもう知らない世界だった。
「皆、いるか?」
隊長を任された、一番年上の少年が声を飛ばす。
それに答えるように、次々と声が上がり、その数を確認して、少年は了解、と言うように手を振った。厚く着込んだ服が、少し動きづらい。
水が凍りつくほどの寒さの中を、手綱を握りしめて、八名が進んでいく。人の歩行速度とさほど変わらない歩みで、駱駝ドロメダリオはゆっくりと、騎手の操るまま集落を離れた。
*
砂漠の道なき道を進んでいく。
星空の模様だけで場所を知りながら、少年達が旅に出る。
その目的は、自らを鍛えること。
*
砂漠の中のわずかなオアシスを囲んで、そこに住まう彼らは、自らの集落をテラ・ラロと呼んだ。
古い言葉で「珍しい地面」という意味だと言う。
しかし何が珍しいのか、今の人々にはわからない。この地に珍しい植物でも生えていたのか、絶滅した動物でも棲んでいたのか、それは想像でしか語ることはできない。
オアシスには何処にでも生えるような植物が育ち、外の砂漠には、何処にでもいるような動物が棲んでいた。
その動物を狩って食料としていたテラ・ラロの人々は、ここ何年かの間急に増えた獣からの攻撃から、自分達の集落と身とを守らなければいけなくなっていた。
以前から、砂漠の獣に襲われることが無かったわけではない。
多い時で年に数回。何年も来ないこともあった。砂塵や熱風から生活を守るため、家に周りには土壁や日干し煉瓦を積み上げた、人の背丈の二倍近くある塀が巡らしてある。獣が襲ってくる度、それが彼らを守ってくれた。
けれど、こう続けざまに何度も襲われると、不安も募るというもの。防ぐだけでは心もとないと誰かが言い出したとき、人々は積極的に追い払うことを提案した。
そこで考え出されたのは、集落の中で幾つかの自衛団を作り、交代で警備にあたろう、ということだった。
十五歳以上の全ての男女で、これを構成する。例外として、病気や怪我や妊娠などを抱えた人は、これから除外されることになっていた。
また一つ掟が増えて人々は安心しかけたが、しかしそれがすぐに動きだすわけにはいかなかった。人々は戦い慣れていなかった。
だから自らを鍛える為に、砂漠の旅をすることを思い付いた。戦い慣れた者を隊長として、砂漠に住まう獣を殺し、その肉を持ち帰る。
その何十回目かの出陣に、彼ら八人が選ばれた。
*
年の順に並べれば、ケミル、ペイロス、パル、トーレン、シーマ、リシア、フェル、ミット。このうち、トーレンとフェルが女の子、他は皆男の子だった。
ケミルを先頭に、駱駝ドロメダリオに乗った少年達が続いていく。
夜が深まる頃、砂の山の影に隠れるように陣取って、ようやく落ち着いた。それぞれの荷を解いて布を取り出す。先染めの糸からなる紋織の布は、家々で異った彩色が鮮やかだった。初っ端から緊張した彼らは、その布を被り、皆すぐに眠りについた。
七つの夢を見たのも忘れるほど瞬く間に朝になり、顔を出した陽の光りを浴びて、まぶたの裏まで眩しさを感じた。
最初に目覚めたのはケミルで、彼が見たのは、陽射しの中に幸せそうに眠る仲間達の寝顔だった。
「ミット、朝だ」
一番近くに寝ていた最年少の少年に、無造作にケミルが言う。呼ばれたミットは、はっとして目を覚ました。同じく、眠っている仲間達の寝顔を見つけて、ちょっと得した気分になる。
「直ぐに立つぞ、他のやつらも起こしてやれ」
「おっけー」
ミットは明るく言って立ち上がり、眠っている年長の者達を起こして回った。
「パル、朝だって」
ケミルに次いで年長のパルは、弟のリシアと一緒に眠っていた。女みたいな綺麗な長い髪が、その顔に絡みついていた。パルが目を覚まし、邪魔な髪をかきやりながら、リシアの頭を小突いて起こす。
「リシア起きろー。起きないと…置いてくよ」
一方、ケミルは、並んで寝ていた少女二人の足下に立っていた。
「フェル。トーレン。おい、朝だぞ」
二人が揃ってまぶたを擦っていると、その向こうで、兄の髪を束ねてやりながら、リシアが叫んでいた。
「ペイロースっ。おい、起きろってば」
ミットがようやく最後の一人、シーマを起こす頃、パルは既に、弟と二人分の荷を作り直していた。
「フェルー、行っちゃうよー」
まぶたを擦り、寝ぼけていたフェルも、トーレンの声に立ち上がる。すぐに皆が支度を整え終え、駱駝ドロメダリオにまたがった。
「いいな、行くぞ」
ケミルを先頭に、八つの駱駝ドロメダリオが東へ向かう。
*
砂漠の気温差が激しい事は、皆身にしみてよく知っていた。日中の気温は凄まじかったが、暑いからと言って、着ているものを脱ぐわけにはいかなかった。そんなことをすればすぐに、肌が焼けてしまう。
出発時に夜のものと着替えた手首まである衣装は、陽射しをさけつつしかも暑くないよう、風通しよく作られていた。寝具の布と同じような紋様が織り込まれていて、テラ・ラロの大人達の職人芸がうかがえる。
水筒の冷たい飲料を時々少しだけ口に含み、のどを潤しもした。たくさん飲んでも汗に変わるだけ。だから渇きが癒える程度で丁度良い。
駱駝ドロメダリオの、人の歩行ほどの遅い速度にいらつく者はいなかった。
「乗り心地いいよね」
「思ったよりはな」
「でも…もうちょっと早く歩けないのかな」
人の言葉を解さない動物は、そんな主人達の台詞を気にもせず、ただのんびりと足を上下させるだけ。
*
夜になると、気温は急激に冷え込んだ。昼間の衣装の上に、厚手の上着を羽織って旅を続け、星が満遍なく空を覆うようになると、砂丘の影に身を潜めて休んだ。
月のない夜は、本当に星が綺麗だった。あまねく続く天と地とは、あまねく続く先の時間を予感させてくれる。
空に描かれた神話が、地にいる者たちへと何かを語りかけてくる。
「そんな事無いはずなのに、天が降ってくるような恐怖に捕われる」
そっとパルがリシアにこぼし、リシアは珍しくらしくない事をいう兄を不思議に思いながらも、とっさに思い付いたことを答えた。
「天が降ったら逆に地が昇るだけ」
俺達が空へ行けばいいのさ。そう答えるリシアに、パルは母親の面影を重ねた。昇ったらまた会うことができるだろうか。
――――――――――――――――細かい砂粒が地面を流れていく。
強くはない風が、砂の地を滑るように遠ざかっていく。
目を瞑り思い出すのは、忘れていた思い出。
故郷、砂の大陸に一人で佇んでいた、かつてそうしたように呆然と。この砂の地を走り、ここで剣を振るい、戦っていた男は、風の弄ぶままに髪も衣装も揺らしていた。
あの頃と今とでは、すっかり私も変わってしまった。と、嘆くように思った。なんと長くかかったのだろう。
思い出す、忘れていたここでの記憶を。砂の風と一緒に、この地を流れていたものが、溢れ出すように蘇ってくる。旧い親友達の顔が、笑ってこちらを振り返る幻覚が見える。
暫く故郷を離れていた間に、私は変わってしまった、名も心も。
迷いが晴れぬまま、けれど、やっぱりこの地に戻ってきてしまった。
ああ、まだこの大地に、懐かしい匂いを感じる――――――――――
またある晩は、ほっそりとした三日月が、申し訳なさそうに、星々の合間に佇んでいた。月の周囲の星々が、彼女の光りの中に消えて、その姿を隠されていた。
何処が北で南なのか、見上げれば一目瞭然であったのに、どこにいるのだかわからないような錯覚に捕われる。
四方見渡す限り続く砂の大地。風が荒れ、砂が舞い、ときに雪が降って一面の銀世界をもたらす。陽射しは強く、また暗闇は冷え込む。そんな地で育った者たちを、満天の星空が祝福する。
夜は好きだな、と二人して思う。
ひとときの間、現実を忘れることができるならば。
*
そうやって日々が過ぎていった。行けども行けども、灰色の砂の大地が延々続いているだけで、獣に遭うことはなかった。
「全然いないね。どこ行ったんだろ」
「いつも来る連中、何してんのかな」
「もしかして、テラ・ラロに行ってたりして」
「いや…だったら何処かですれ違うはずだ。本来やつらは、ここには棲んでいないのだからな」
答えながら、確かに全く見ないのは変だ、とケミルは思った。
「隊長ー、あとどのくらい?」
「俺に聞くな」
リシアの問いに素っ気無く答えて、ケミルは口をつぐんだ。何か、音が聞こえる。聞いたことのある、独特の音が。
「ひどいな、知ってるんだろ。住処とか、そういうの」
「待て」
短く発する、静止の言葉。
「聞こえないか、砂を擦る音」
「…?」
リシアの怪訝な顔をよそに、音のする場所をつきとめようと、ケミルは耳を済ました。右手は手綱を離し、腰に下げた剣ではなく、駱駝ドロメダリオの背に括りつけられた弓にすでに伸ばされていた。
「来るぞ、皆、武器を取れ!」
駱駝ドロメダリオを止め、矢筒から矢を取り出しつがえる。ケミルの言葉で、八頭の駱駝ドロメダリオが歩みをとめると、その音は更にはっきりと聞こえてきた。
姿を現したのは、灰色の毛に覆われた狼のような生き物。体長は人の背丈の二倍以上もあった。
まずいな…砂渡りザビアコルレーレか。心に呟きながら、その名にケミルは顔をしかめた。初陣として、いい相手ではない。呆然としたままの仲間に向かって改めて叫んだ。警報の意を込めたつもりで。
「武器を取れ!」
言葉に我に返って、七人が各々の武器を手にした。
「パル、右へ! トーレンもたもたするな、ミットは下がってろ!」
叫びながらケミルが矢を放つ。飛んで、眉間をわずかにそれ、耳をかすめて背に刺さる。獣が高く咆哮をあげた。
駱駝ドロメダリオから降りたリシアが、剣を構えて走った。パルが叫ぶ。
「リシア、気をつけろ! まだそいつは!」
「わかってるって」
全く怯まない様子の砂渡りへと、剣を構えたリシア、ペイロスが駆けていく。それを追うようにパルも駱駝ドロメダリオを降り、ケミルのように矢をつがえた。狙い済まして放つ。
その矢が目に突き刺さったとき、はっとしてケミルは叫んだ。
「ペイロス、リシア、戻ってこい! 降りてる奴は早く駱駝ドロメダリオに乗れ!」
最後の一人が手綱を握り直すのと、ケミルが合図をしたのと、砂渡りのもうひとつの瞳が怒りの色に染まったのとは、ほぼ同時だった。
「走れ! できるだけ早く!」
ケミルの駱駝ドロメダリオが走り出す。のんびりしていた彼も、ただならぬ気配を感じたようで、颯爽と、とまでは言わないまでも、速度をあげた。合図と同時にペイロスも駱駝ドロメダリオを急がせた。続いてシーマ、ミットの駱駝ドロメダリオが続き、フェルとトーレンがそれを追い、最後にリシア、そしてパル。
逃げていく八つの駱駝ドロメダリオの後ろを、砂渡りザビアコルレーレが追い掛けた。
ときどき振り返っては、パルは器用な手付きで矢を放ち、その都度、砂渡りザビアコルレーレは速度を落としていった。深手を負ったその獣がついに倒れて動けなくなったのを確認してからも、更になお遠く走っていく。
充分に距離をとったことを感覚で掴み、ケミルは振り返って言った。
「皆、止まれ」
ゆっくりと速度を落としていく。息を切らすことなく静かにケミルは告げたが、駱駝ドロメダリオを止めた時、他に息の整っている者はいなかった。
すぐに回復したシーマが、とがめるようにケミルを見た。
「なんだったんだよ、あれ」
「たちの悪い獣だな。関わらんほうがいい」
「もう追ってこない?」
「あの傷なら、回復までにかなり時間がかかるし、大丈夫だろう」
「もう来ないといいな」
「そうだな。…よく頑張ったな、パル」
「…見てたの?」
「当たり前だ、お前がやらなきゃ、俺がやってた」
ケミルに誉められても嬉しくないや、とパルは意地悪く思った。
「それより、大丈夫だった、リシア?」
「どうってことねえよ。あとちょっとでやっつけたんだけどなー」
冗談めいてリシアは答え、これからどうすんの、とケミルに聞いた。答えて彼が言うには。
「そうだな。肉を持って帰らんといけないから、どこかで灰褐鳥ウセロセネレオでも調達しないと行けないな」
「買うの?」
「まさか。捕まえるのさ。場所は知ってる」
ケミルは場所までは言わなかった。言っても砂漠に慣れていない者にはわからない事もあったが。
ケミルは駱駝ドロメダリオを降りて、荷を解くと寝具用の布を出した。リシアは、他の誰よりの布よりしっかりとした布だな、と感じた。
それから他の者達も荷を解き、そろそろ残り少なくなった食料を口にした。飲料はまだ充分残っていたが、食料の心配をしなければいけない気がして、パルは美味しくもない干し肉をかじりながらケミルを見た。
視線を感じたケミルがパルを見やり、笑みを浮かべて言う。
「だから大丈夫だって。灰褐鳥ウセロセネレオの一羽や二羽はすぐに捕まえられるし、そうしたらテラ・ラロに帰れる。幸い、巣は帰り道にあるしな」
「だったら最初から其所にいけばいいじゃないか」
「それじゃ訓練にならんだろ」
ケミルが笑うのを、憮然とした表情でパルは見ていた。
*
集落へと戻る長い行程の途中で、予告通りケミルは灰褐鳥ウセロセネレオの巣に寄った。小さな、とても小さなオアシスの側に、彼らの巣はあった。
駱駝ドロメダリオと荷物とをオアシスに残し、そこで水を飲ませておいて、その間に少年達は狩りをした。
翼を広げれば人が腕を伸ばした長さと同じくらいになるその鳥は警戒心が非常に強く、近付くと鋭く鳴いた。翼を広げ、威嚇するように嘴を開いて、独特な声をあげた。
けれど灰褐鳥ウセロセネレオが自らの巣を飛び立つ前に、弓を持つ者達が矢を放ち、落ちてきたところを剣で突くと、あっという間に動かなくなった。そうやって二、三羽が地に倒れたところで、ケミルは矢を放つのを止めさせた。シーマが、ペイロスにくっついて様子を見に行く。
動かないとはいえ、大型の鳥を近くで見て怯えたのか、恐る恐る剣で突いてみた彼は、それが死んでいることを確かめてほっとした。
「大丈夫、もう死んでる」
「当たり前だ」
ケミルが何事も無かったように答えた。
何人か交代で、灰褐鳥ウセロセネレオを駱駝ドロメダリオと荷物のある場所まで引きずって帰る。
旅の間に痩せてしまっていた駱駝ドロメダリオ達は、水を飲んで回復したらしく、少年達が狩りをし、休んでいた数時間の間に、また元のように太った、出発前と変わらない体型で彼らを待っていた。
順番が回ってきて、灰褐鳥ウセロセネレオを引きずっていきながら、物足りない、とリシアは感じ、パルは先日のケミルの言葉を思い出してその通りだと頷いた。これじゃ呆気無さすぎて、獣の恐ろしさはわからない。
こんな、砂塵が荒れて陽の熱に晒された地を、何故彼らの父が好んだのか、パルにもリシアにもわからなかった。…いや、わかってはいるつもりなのだ。父が此処へ来る前、その理由を二人に言ったのを、記憶の片隅でぼんやりと覚えている。
けれど、理解することはできなかった。思い出す為に忘れるというその矛盾した行為が。
空のまま持ってきていた革袋に、灰褐鳥ウセロセネレオの死骸を詰め込む。それをケミルの駱駝ドロメダリオに載せ、置く場所を失ったケミルの荷物を、ペイロスの駱駝ドロメダリオに積んだ。これで万事完了、あとは帰るだけだ。
「なんか、長かったよね」
「きっと戻ったら、懐かしい感じがするよね」
「ていうか忘れられてたら笑い者だよね」
口々に帰郷の喜びを表わす仲間達を端で見ながら、パルは同じように無邪気に喜べないでいる自分を感じていた。この砂の地が、もともとパルやリシアの本当の故郷でないことも、その原因のひとつであるように思えた。彼らの本当の故郷は、海を越えた遥か向こうで僕らを待っている。待つには時間のあり過ぎる、一人きりの女性の影とともに。
故郷を離れている時間が、二週間などというものではなく、もっと長いものであったら、懐かしさは溢れる程になるのだろうか。思い出が恋しい感情に変わることができるのなら、記憶は過去へと追いやりたくなるのだろうか。だから忘れたくもなるのであろうか。
来て住み始めてから間も無い集落テラ・ラロへと戻る間、パルもリシアも、そう思わずにはいられなかった。
第二の故郷ヴィスフェリアの、もっとも高いとされる丘に立つ。
傍らに二つの子供の姿、そして一つの女性の影。
見晴しのよいこの場所からなら、見ることができる碧。
緑の樹海が連なる先に、碧い水をたたえた海が続いている。海の向こうにある地を、レリセファランの者はこう呼ぶ。
砂の大陸「ヒュストキール」、と。
かの地は砂塵が吹き荒れているのだと言われている。
まだ幼さを残したままの、自分と同じ碧の瞳を持つ子供が、自分を見上げて不思議そうに言う。
「なぜそんなところへ行くの?」
すると私は、目を優しく細めて疑問を晴らしてやる。
「砂の風と一緒に、あの地を流れているものを、思い出すために」
「それは俺達の名前と関係あるんだ?」
別の瞳が、興味津々の色を浮かべる。
「ああ、そうだ」
名前だけでは忘れてしまった彼らを、あの風が思い出させるのだ。
『ねぇ、あなた』
二度と聞くことのできぬ声が、風に乗って運ばれてくる。
女性の影。
自分を養子に貰ってくれた人の、妹夫婦の愛娘。
「…アジアンタム?」
名を呼ぶと、彼女の微笑みが見えたような気がする。
「さようなら、アジアンタム。俺は俺の最初の故郷へ帰るよ。陽の熱と砂の風を、また浴びて暮らす」
一歩踏み出す。彼女に触れる事は叶わない。だからせめて、天へと手を伸ばす。何か、掴めればよかったのに。
「どうしたの?」
「何やってるの?」 ラトス
子供達が真似をして、手をあげた。穏やかな光景が傭兵であった頃の自分の胸に刺さる。砂の大陸ヒュストキールが眼下にあるような錯覚に捕われる。
「行くよ、パル、リシア。船が出てしまうから」
走り出す、その小さな背中を見ながら、丘を下りていく途中で、最後にと、もう一度だけ振り返る。
微笑む彼女の幻影が見えた気がした。
『行ってらっしゃい、あなた――――――そしてさようなら。ルート』
優しく呼ばれた今の自分の名を、二人の子供達に向けて繰り替えす。
「さようなら、ルート・パリュシア。俺はもう…忘れてやらない」早く来いよと、仲間二人の誘う声がする。
...the End
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