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 [ Wood has sprites ]

   妖 精 の 拒 む 国  1999.03.31


 少し小高い丘の上に、それは建っていた。白いレンガ造りの、いかにもといった感じの城である。顕然たる城の周りは深い堀が掘られ、城と外を結ぶ唯一の橋をあげてしまえば、何人たりとも侵入できぬように設計されていた。
 城内には、三つの建物があった。中央に構え、一番大きい館。そのわきにある大きな倉。そして、少し離れた場所に建つ、塔。外壁にはつるが這い、下部に茂る木々が枝を伸ばしてはいるが、その塔にも人が住んでいた。
 子供の域は抜けても、まだ成熟しきっていない女性。その名をルエリアと言う。王城の主人あるじである現国王の長女で、つまりは王女という身分だった。

 塔は、歴代の王女たちが育った場所だった。国王の娘として、最高の礼儀と教養をここで学びながら大人になる。そして最高の貴族のもとへと、嫁いでいくのだ。その貴族が政治的権力を持たぬよう、結婚した時点で王女という身分を失うため、娘達は貴族に気に入られるような完璧な女性でなければならなかった。
 だが、今回の王女は特別扱いだった。不運にも男児に恵まれなかった国王は、娘婿に王位を譲る気でいたからだ。婿選びは慎重に行わなければならなぬだろう。そして王妃となる娘もまた、それ相応の女性でなければならないのだ。
 かくしてルエリア王女は、今までに類をみない厳しさの中に身を置くこととなった。彼女自身は、この連日連夜にくり返される生活に、いささか窮屈さを感じるようになっていた。


   ■ ■ ■


 オセフィート王国は、大陸でも一、二を争う豊かで強い国だった。何百人もの聖騎士で構成される騎士団を抱え、その広大な国土では主に商業が盛んだった。地方に数多残る大自然をそのまま生かし、農業にも力を入れていた。唯一手のつけられなかったのは、隣の王国との国境にある樹海くらいのものだったが、これは魔境と名高い場所なのであきらめるしかなかった。
 その魔境を身近に見下ろせる少し小高い丘の上に、王城は建っていた。丘のふもとには街が広がり、商人の多いその街はいつもにぎわいを見せていた。
 商う者がいれば、その恩恵をただで受けようとする者もいる。商人の街アスフェンには、闇の盗賊団イボリィクロウの影もあった。暗殺を請け負うこともあり、商人達は自衛団を作って厳重に警戒していた。だが中には戦利品を貧しい人に分け与えたりする者もいるため、見つかることもなくてほとんど捕まることもなかった。

 二十歳を少し越えたばかりの若者フィクスも、そんな盗賊の一人だった。孤児のフィクスは幼い頃に盗賊団に入り、そのままその集団の中で暮らしていた。自分達の職業が正規のものではないとわかってはいたが、それなりの不文律が守られるこの盗賊団が好きだった。
 ならず者ばかりの寄せ集めだったが、団結力だけは強かった。独りでこなす仕事がほとんどだったが、集団で商人の家を襲ったこともあった。仲間を思う心だけは、他には負けない自信があった。
 そしてフィクスは、仲間と共に今夜も街へ出る。久々に何十人かで、とある大富豪の倉庫を狙おうと、計画された襲撃だった。



「わくわくするよな」
「久しぶりだよなぁ。集団で行動すんのって」
 血気盛んな二十代前半の若者達は、すっかり興奮していた。彼らより幾分若いフィクスは、すでに何度も経験していたので落ちついていたが、最近加わった中には初めての者もいるのだ。
「緊張するよ」
 そうもらしてきた相手を、フィクスはちらりと振り返った。自分と同じか、一つ下か。長く黒い髪の下に、楽しそうな黒い瞳が見えた。見なれない顔。言葉の意味するところから考えてみても、初めてなのだろうと見当をつける。
「人を殺したことはあるけど、奪いに行くのは初めてなんだよ」
 まだ若いくせに、物騒なことを口にした。フィクスは顔をしかめ、諭すように言った。
「あまり興奮しないほうがいいな。これは仲間を巻き込んだ企てなんだ。自分一人のときだけと違うんだぜ」
「そうだな、肝に命じておくよ。俺はウォルト。そう言うあんたは?」
「フィクスだ。盗賊経験はお前より遥かに長いようだな」
 なんとなく投げやりになって、フィクスは途中で口をつぐんだ。
 その時、今回の襲撃のリーダーを勤める男が右手をさっと振り降ろすのが見えた。計画実行の、合図である。
 盗賊達はそれを見るや否や、話をやめて声をひそめた。そして一斉に四方へ駆け出す。夜の暗さに紛れながら、単身で目的地を目指すのだ。



 半月の淡い光が雲に遮られ、今夜は道が暗い。普通なら出歩かないこの夜道こそ、盗賊達が得意とするものだ。彼らは闇の中を、一点目指して駆け抜ける。一般人と会うこともなく、やがて全員が無事たどりついた。
 その商家は、街でも無類の歴史と財産を持っていた。ラレス・クライリールという名の若者が、今は当主をしている。父親が早くに亡くなったため、祖父から孫へと直接継がれたのだ。
 ラレスは商売は上手かったが、性格は冷たかった。頭にあるのはお金と商いのことばかりで、感情を表すこともめったにない。多少けちなところもあり、そのおかげで成功している部分もあった。一部の盗賊団から見れば、悪人として申し分のない絶好の相手だった。
 だから襲うのだ。たとえラレスが時期国王候補の一人であろうと、代々の当主達が善人の塊であっただろうと。

 盗賊団の者達は、こっそりと敷地内へ降り立った。アスフェンの街でも指折りのクライリール商の倉庫は、想像以上に大きかった。一人がすばやく鍵穴に針金を差し込み、しばらくがちゃがちゃやって、開ける。扉の向こうに山積みされた財宝に、感嘆のため息すらもれた。
 その時だった。
 けたたましい警報がなり渡ったのは。
「イ、イボリィクロウだぁっ」
 誰かの叫び声で我に返った盗賊達は、直ちに行動に移った。財宝を運び出す者と、囮となって相手を牽制する者に別れ、それぞれの役割を果たすために散っていく。あらかじめ決められていたことだった。

 フィクスは囮役だった。腰にいつも控えている護身用の短剣を抜き、屋敷の中へと踊り込んだ。
 屋敷の中は、すでに騒然としていた。手にランプを構えた男が、何人も廊下に出ていた。中には剣を構え、外に飛び出そうとする者もいた。フィクスは武器を持つ者を見つけると、すぐに斬り込んでいった。
 長剣に短剣では武が悪いはずだが、フィクスは戦い慣れていた。一気に間合いをつめ、急所をはずした一撃を見舞う。殺しはしない。盗賊団に所属する者すべてが、暗殺者というわけではないのだ。特に今は。
 うめいてうずくまる相手を見捨て、フィクスは別の相手を探してその場を離れた。屋敷の女性達の悲鳴の中をかいくぐり、幾つもの複雑な廊下を走る。角でまがって階段を登ろうとしたとき、背後に殺気を感じて、とっさに右へ飛んだ。
 一瞬前までフィクスのいた場所を、短剣が正確に射抜いていた。フィクスは自分の剣を構え直し、相手の姿を薄め目で確認した。淡い月明かりの照らす階段の一角に浮かびあがったのは、長く揺れる黒い髪。彼がつぶやいた。
「‥‥なんだ、あんたか」
「ウォルト!」
 脱力しかけて、フィクスはウォルトに詰め寄った。
「俺じゃなきゃ死んでたぜ。いいか、今回は殺しじゃなくて盗みが目的だ。無闇に人を殺めようとするな」
「似たようなもんだろ」
「違う。殺しは暗殺者アサッシンの仕事だ」
 フィクスの強い否定に、ウォルトは一瞬言葉に詰まった。
「けど‥‥」
「そんなに殺りたきゃ、お前は暗殺担当そっちにまわしてもらえ」
 反論すら許さずに封じ込め、フィクスはウォルトを睨んだ。軽い舌打ちとともに、ウォルトはまだ暗い廊下に戻っていった。フィクスが長いため息をもらしたとき、リーダーの引き上げの合図が聞こえた。


   ■ ■ ■


 翌日。
 城内の一角に建つ離れ塔にも、昨夜起きた強盗の話が伝えられた。塔の住人ルエリア王女は、召し使いからその話を聞き、少し嬉しそうに笑った。
「私、あの方‥‥ラレス・クライリール様って好きではないの。頭は良いかもしれないけれど、冷たいお方なのだもの。良かったわ。これで私の候補失格になるわよね」
「姫様! そのようなことをお口になされないでくださいませ」
「大丈夫よ。あなたと、この小鳥達しか聞いていないのだから」
 ルエリアは窓際に寄り、木々のこずえに止まる小鳥達に目をやった。いつも、その歌声を最後まで聴いていたいと思う。もっとよく聴こうと窓に近付くと、小鳥達は決まって逃げてしまうからだった。今日も飛んでいく小鳥達を見ていると、心がせつなくなってくる。
「あぁ私も、あの鳥達のように飛べたらいいのに。自由と言う名の翼を羽ばたかせて、何処か遠くへ行ってしまいたいのに」
「姫様‥‥」
 返す言葉が見つからず、召し使いは「失礼します」と言い残して去っていった。
 振り返ろうともせずに、ルエリア王女は窓から外を見下ろした。眼下には城内の敷地が見えている。反対側に窓があれば、そこからはアスフェンの街並みが見えるはずだった。


   ■ ■ ■


 あれから数日がたった。思いのほか収入のあった盗賊団イボリィクロウは、ここしばらく大人しくしていた。資金がありあまるほどに膨れ上がり、当分仕事をしなくてもやっていけそうだったからである。
 街でも有数の大富豪クライリール商を襲ったことで、自衛団の目が厳しくなっていた。だからまだ若い者達は、街へ出てスリルを味わうのを楽しんでいた。へまをするような愚か者はおらず、誰一人として捕まることはなかった。
 遊びに行かないのはフィクスとウォルトくらいなもので、二人は違うことを考えていた。
 王城破り。それも、塔破り。
 先に言い出したのはウォルトだった。先日の仕事のときに喧嘩別れしていたので、仲を取り戻そうとしているようだった。はじめは乗り気でなかったフィクスも、塔と聞いて興味が湧いてきた。
 城内の離れ塔に王女が住んでいることは、アスフェンの街でも公然の秘密だったのである。ましてや情報の早い盗賊団ならなおのこと、よく知られていたのだった。
「なぁ二人で行ってみないか」
「大人数で行けば、かえって危険だしな」
「それにほら、絶世の美女がいるんだろ」
「美女とは限らんさ」
「一目見たいとか思わねぇのかよ」
「‥‥会うだけだぞ」
 こうして話は決まった。もうすぐやってくる満月の夜を、二人は選んだ。普段なら月明かりは邪魔なのだが、こっそり忍び込んで見るだけなら構わないだろうと、そう思ったのである。



 やがて満月の夜がやってきて、フィクスとウォルトの二人は王城へ向かった。あくまで一般人のように、談笑しながら夜道を歩く。途中兵士にとがめられたときにはさすがに冷や汗をかいたが、適当にごまかしてあしらった。
 城の近くまで来て、二人は表情を変えた。仕事をするときの感情のない顔。そして、ゆっくりと橋のほうへ向かう。橋は降ろされていた。衛兵が二人、番をしていた。フィクスとウォルトは顔を見合わせ、目配せし、衛兵を見、そして息を殺して一気に襲い掛かった。
 なぐりつけ気絶させたあと、ウォルトが衛兵の首元に短剣をつきつけているのに気付き、フィクスはあわてた。
「おい、何してるんだ」
「殺しとかねぇと、出るとき厄介じゃないか」
「言っとくが、今夜は王女様の顔を拝みに来たんだぞ。余計なことをするな」
「‥‥わかったよ。あんたに免じてこいつらは殺さない。けど、後でどうなっても知らねぇからな」
 ふいっと横を向き、ウォルトは先に城内へ入っていった。
 入り口にいた衛兵二人だけが、どうやら見張り兵のようだった。城内はひっそりとしていて、誰も外を歩いていない。好都合だった。

 フィクスとウォルトはだだっ広い城内を突っ切り、ゆうゆうと塔までたどりついた。扉の鍵をそっと壊してまんまと中に侵入し、長い階段を登りはじめた。
 フィクスは腰に差した短剣を確かめ、念のためにと持ってきた火薬の袋に手をやった。
「そんなに心配するもんでもないだろ」
「万が一に備えているだけだ」
 一方のウォルトは、いつもの短剣の他に、毒薬をしこんだ短剣も持ってきていた。やはり万が一に備えてのことだったが、人を殺せるほどの毒と聞いたらフィクスに取り上げられそうで、隠していた。
 階段の途中には幾つもの扉があった。おそらく召し使いの部屋なのだろう。誰も起きて来なかったから、本当のところはわからない。



 もはやどのくらい登ったのかわからなくなりかけた頃、階段の突き当たりに立派な扉が見えた。かなり疲労していた二人は、意外に頑丈な造りの扉に、耳をくっつけた。中からは何も聞こえなかった。
 扉には鍵がかかっていた。フィクスが、慎重に鍵穴に針金を差し込んだ。まもなくして手ごたえがあり、針金を抜く。とってに手をかけ、フィクスはゆっくりと回した。扉は内側へ開くようになっていた。
 部屋に足を踏み入れつつ扉をあけると、そこに一人の少女が立っていた。
 まだ大人になりきっていない体には、薄手の服をまとっている。おそらく寝ていたのだろう。長くのびた髪が、乱雑に肩にかかり、前や後ろに流れていた。幼さを残したままの顔が、どこかさびしげだった。
 決して美人ではなかったが、フィクスは自分が惹かれていくことを感じた。かすかに微笑まれた口元に思わず見とれてしまい、ふと気付いてフィクスは少女に近付いた。
「あなたが‥‥この塔に住むという王女様?」
「‥‥はい」
 短い沈黙のあとに、小さな肯定。その雰囲気を壊すかのように、ウォルトがぶきらっぽうにつぶやいた。
「もっと綺麗かと思ったのにな」
「何を言うんだ! お前は!」
 間髪入れずにフィクスがどなったとき、下で物音がした。今の怒声で誰かが起きたようだった。「何事だっ」などという声まで聞こえる。

「しまっ‥‥」
「くそっ。こんなとこでポカすんなよ」
 ウォルトは短剣を手に構え、入り口に立った。そしてそのまま、下からあがってきた召し使いに斬り掛かる。するどい悲鳴が響き、フィクスはまたもどなった。
「誰も殺すなよっ」
「無茶言うなっ」
 叫んで、ウォルトが階段を下っていった。
「すみません。突然お邪魔して。それでは」
 フィクスはルエリア王女に一礼し、ウォルトの後を追おうとした。だがそれを、ルエリアがとめた。
「待ってください、外の方」
「‥‥俺に何か?」
「私を‥‥私をここから連れ出してください」
「何だって?」
 突発過ぎるその発言に、フィクスはしばし驚愕の表情を浮かべた。だが、ルエリア王女は本気のようだった。
「お願いです。私はここにはいたくありません。どこか、遠くへ行ってしまいたい」
「俺に王女さらいをしろって言うのか? あなたは」
「‥‥‥はい」
 小さな肯定。噂から推測して三才ほどしか離れていない年下の少女が、フィクスにはひどく幼く見えた。王女というよりそれは、ひとりのはかなげな少女だった。
「‥‥わかった」
 フィクスは、断腸の思いで決断した。王女をさらえばアスフェンの街には、いやオスタート王国にすら、もういられないだろう。それでもこの少女の願いを叶えてやりたいと、強く思う気持ちがあった。



 窓をのぞくと、下でも何人かの兵士が入り乱れていた。一人機敏な動きをしているのは、おそらくウォルトだろう。そいつに向かって、フィクスは大声で叫んだ。
「俺に構うなっ。お前一人で逃げるんだっ」
「なっ。何考えてんだよっ!」
 同じく叫び声が返ってきたが、それを無視して、フィクスは持ってきた袋の中から火薬を取り出した。部屋のランプから火を借りて、それを窓と逆位置の壁に投げる。
「伏せてっ」
 フィクスの声でルエリア王女が目をつぶった瞬間、爆音が響いて煙が舞い、破片が飛んだ。壁にぽっかりと、穴が開いた。
「フィクスっ?‥‥フィクス―――っ!」
 下で悲痛な声が聞こえた。今の爆発で、フィクスが死んだのだと、ウォルトが思ったに違いない。
「すまん‥‥ウォルト‥‥」
 小さくわびて、フィクスは穴から顔を出した。冷たい風がほおをなでた。下のほうに、アスフェンの街並みが見えた。ルエリア王女を引き寄せ、その小さな体躯に驚きながらも、フィクスはその耳にそっとささやいた。
「俺はたった一つだけ魔法を知っています。空を飛ぶ魔法です。けど、あなたがいるから、今は飛ぶことはできない。そのかわり、落ちるスピードはゆるめられると思うのです」
「‥‥何を、するのですか?」
「ここから飛び降ります」
「そんな‥‥」
「信じてください。俺の知る唯一の魔法なんです。信じて‥‥欲しい」
「‥‥わかりました。私を連れ出してくれる方だから、あなたを信じます」
 ルエリア王女は、目を伏せた。フィクスは王女をしっかりと抱き締めると、魔法の言葉を唱えはじめた。
「風よ、私を知る者よ。
  空よ、私を見る者よ。
   天よ、私を裁く者よ。
 私を乗せ、私の願うまま思うままに、遠くへと運べ。
  リテクロス・ベリ・ラタトニス。
  リテタリス・クル・ラタトニス‥‥」
 ふわっとした浮遊感が二人を包み込んだ。王女を抱いたままフィクスが床を蹴り、夜の冷たい空へと、大きくダイブした。やわらかいクッションに守られるように、二人はゆっくりと墜ちていった。足下には、あちこちに明かりの灯ったアスフェンの家々が、軒を連ねているのが見える。



 階段を駆け降り外へ出たウォルトは、一人戦い続けた。頼れるのは手にする短剣のみ。後からすぐにやってくるはずのフィクスが来なくていらいらしながら、増える兵士相手に、たった一人で応戦していた。
 あのとき殺しておかなかったせいだろう。橋のところにいた衛兵らしき二人の人物の怒鳴る声が聞こえている。ウォルトは毒づきながらも、急所をはずしつつ倒しておく。フィクスにまた何か言われるのが、嫌だった。

 突然、轟音が聞こえ、見上げると煙が吹き上げていた。王女のいたあたりの部屋の窓から、大量に破片が飛び散っていた。
「なっ‥‥」
 やられたのか!? 一瞬ウォルトの動きが止まり、呆然とそこに立ち尽くす。今の爆発は‥‥かなりの威力があった。気付けば声に出していた。
「フィクスっ?」
 ‥‥死んだのか!?
「フィクス―――っ!」
 腹の底から大声をふりしぼって、呼び掛ける。しかし応答はない。
「嘘だろ‥。おい、返事しろよっ! フィクスーっ!」
 叫びながら、ウォルトは引き返そうとした。だが、いつの間にか兵士に囲まれてしまったことに気付く。剣を構えた兵士達が、少しずつ近付いてきた。
「盗賊め‥‥大人しく捕まれ」
「くっ‥」
 唇をかみしめ、ウォルトはふっと上を見上げた。フィクスはもう死んだのか? 半ば絶望し、半ばあきらめきれずに、胸に拳をあてる。と、そこに固い感触があり、ウォルトは思い出した。そう言えば確か、毒をぬった短剣を隠し持っていたのだと。
「誰も殺すなよ、か‥‥」
 フィクスの言葉を反すうして、ウォルトはその短剣を抜いた。
「俺も数えるんだとしたらその言葉は守れないな。‥‥捕まるくらいならこうしてくれる」
 兵士達の唖然とする表情の中、ウォルトはそれを自分の首に突き刺した。あふれる鮮血が口からこぼれ出す。フィクスに会ったときのことがふっと脳裏に蘇り、そしてウォルトは意識を失った。

 あっと言う間の出来事だった。吹き出す鮮血に染まりながら、一人の盗賊が地に倒れていった。兵士の一人がその体に触れると、まだ温かかったが、急速に冷めていくのがわかった。
「どうするんだ? もう死んでるぞ、こいつ」
「もう一人の盗賊を聞き出すつもりだったのにな」
 兵士達は少しばかりの罪悪感にさいなまれて、ウォルトの冷たい体を見下ろした。
「フィクスとか叫んでたよな」
「仲間の名前だろ」
「仕方ない。その名を頼りに捕まえるしかない」
 兵士達は、真新しい死体をそこに放ったまま、ばらばらと散っていった。


   ■ ■ ■


 空中から大地にかたんと足をつけ、そのままふわっと降り立った。塔から飛び下りた二人の若者は、アスフェンの街並みの中にいた。ルエリア王女を気遣いながら、フィクスは通りを駆け出した。ゆっくりしている暇はなかった。兵士達に追われているのだから。

 フィクスは森へ向かった。オスタート王国の国境付近に、魔境として恐れられる樹海があるのだ。そこへ逃げ込んでしまえば、兵士達は追って来れないだろうと考えていた。
 森の周辺まで来たとき、急にルエリア王女がおびえ出した。原因がわからずに、フィクスは困り果てた。理由を聞いても、ルエリア王女はただただ首を振るばかり。
 フィクスは忘れていたのだ。王家の者に流れる血が、特別なものであることを。その昔、樹海の中に暮らす妖精達が、王族と戦い敗れたことを。それ以来、王家の血をひくものは、妖精の呪いによって森に入れないことを。
 ルエリアはその話を、何度も何度も聞かされていた。フィクスが森を目指したときに言うべきだったのに、置いていかれそうで、恐くて言えなかったのだ。
「ごめんなさい。‥‥本当に、ごめんなさい」
「どうしたんだ。何故おびえるのです」
 フィクスはどうすればいいのかわからなかった。ルエリア王女を一人で置いていくことはできないし、今から別の場所へ逃げるのには遅すぎた。追っ手はもう、すぐそこまでせまってきているのだから。
「ごめんなさい。ごめんなさい。森へは‥‥私は‥‥ごめんなさい」
 泣きじゃくるルエリア王女を、フィクスはそっと抱き締めた。どんな言葉を掛けてやるべきなのか、全然頭に浮かんでこない。

 やがてたくさんの足音とともに叫ぶ声が聞こえてきて、追っ手の姿も見えてきた。
 その頃になって、フィクスはやっと思い出した。
「ごめんなさい。あなただけでも‥‥早くここから逃げてください。私は‥‥森へは入れないのです。ごめんなさい」
「君が謝ることじゃない。俺の調べが甘かった。すまない。おびえさせてしまって」
「そんなことないわ。塔を飛び出して、空を飛んだのなんてはじめてよ。街並みを見たのも、こんなに走ったのも。‥‥ごめんなさい。でも、ありがとう。嬉しかったの」
「すまない‥‥」
 フィクスは目をふせた。
「姫様ーっ」
 兵士達の呼ぶ声もすぐそこで聞こえるようになり、フィクスはそのままルエリアをぎゅっと抱き締めた。
「また‥‥会えたら、またどっかで会おうな」
 そうささやいて、すっと離れる。兵士が追い付くより先に、フィクスは森の中へと飛び込んで行った。
「奴を追えっ! 逃がすなっ! 必ず捕らえよ!」
 隊長らしき男が指示を出す中、「追い掛けないで」の一言も言えずに、ルエリアは泣き続けた。フィクスに会えた喜びと、外を初めて見た驚きと、大切な人を失った悲しみが、混ざったような感情がうずまく。

 森に逃げ込んだフィクスは、やがて別の盗賊団を見つける。別名を使い、その中に身を置くことになる。しかしそんなことは、今の彼にはわからない。ただ、兵士から逃れて森の奥へと進むだけ。

 馬車が到着し、それに乗って王城へ帰る間、ルエリアはずっと泣き続けた。もう子供ではないのに、複雑な感情があふれだして止まらなくて、ずっと泣き続けた。城に着く頃にはさすがに涙も出尽くし、物も言わずに部屋に閉じこもってしまった。
 以来、王女はあまり喋らなくなった。自由になりたいと言わなくなった。また会えるかもしれぬ人を想い、窓の外ばかりながめ続けるようになった。
 それから五年後に、またたくさんの涙をこぼすことになろうとは、露ほどにも思い抱いだかずに。



      Fin









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