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  仰いだ先に終わりはなく    

     1999.12.12    




 仰いだ先に終わりはなく、果てしなく続く白い視界
そは唯白のみが許された景色
他の者は存在さえ拒まれる純白の空間〈とき〉

 夢を見ていたのだと、目覚めたアルジェントは気付いた。開かれた銀の瞳が夢の続きを追う。何処まで行けるのか、誰も教えてくれなかった地を、アルジェントは走っていた。何かに追われ、焦っていたように思う。
「これから何処へ行こうかな」
 行ける何処かがあるのであらば。


 何かを貫きでもするかのように、きっ…と黒曜の眼差しが向けられる。視線をやわらげるように肩をすくめ、グリジオは言葉を続けた。
「行ってくれ。…これは自分だけの意志じゃない」
「行くさ。俺はその為に在る」
 無表情な友人の言葉は、ネロにとって絶対な命令。逆らう事などできはしない。
 グリジオの灰色の瞳をじっ…と見、踵を返す。肩にも届かぬ短い髪が耳元で揺れた。まっすぐな漆黒の髪の揺れがおさまる前に、その姿が消えた。
「自分だけだ」
 グリジオはネロの台詞をなぞった。
 ―――俺はその為に在る、だと?
 ―――その為だけに、の間違いだろう

「どちらにせよ同じ事だな」
 目を伏せて、ぼやいた。


 体が宙に浮かんでいるかのように。影を映した足下の大地は、頼りなく広がる。いやそこには上下など無く、前後も左右も後先も無い。感覚など当てにならず、見えたものを信じるしかない。
 無音――静寂とは異なる沈黙の色。
 一面を覆い尽くす白だけでは、大気を震わすに至らない。
 銀のローブを纏ったアルジェントは、柔らかい地に足をすくわれそうになりながらも、終わりを求めて進んでいた。足の下に感じる細かい結晶の砕けていく様子が、妙に心地いい。
「まだ見つかってない…」
 あれから力を抑え、此処までやってきたのだ。そう簡単に発見されてはかなわない。
「僕を甘く見てほしくないしね」
 仮にも、崩壊を司る者として。








 潰してしまえ、二度と光を感ぜぬように
 埋めてしまえ、二度と影を踏めぬように
 お前は此処にはいられないから







 空間を創造し見守り続ける存在〈もの〉と、空間を保護し支配し続ける存在〈もの〉がある。

「頼みますよ」
「そは我が言葉」
「私はこの空間が好き。壊したくない」
「承知」
「邪魔が入りし時には、迷わず消すように」
「御意」
「それと…」
 指先が弾みをつけ、躍る。彷徨い、やがて一点を、さす。
 示された向きに傾いていく空間。
「歪みを見張っていて。これはあなたの判断に任すから」
「盟約のままに」
「思った以上に忠実ですね、カンドレ・ラーン」
 何時までそれが続くかしら。
 自らの色を持つ事もせずに、言い残してリンピドは垂直に舞いあがる。見届けることを己に課す者は、支配する者の前から去る。
 その場に佇んだまま、カンドレはリンピドを見送り、両手を広げた。声を伴わずに魔法を喚ぶ。あるはずのない大気の流れが、カンドレのただ白いだけの髪を誘った。髪が宙にたなびく。
 ―――空間に支配をもたらさん
    我が聖域となれ
    ネヴィカータの盟約のままに
    主の憶うままに

 支配は及ぶ。声は届かずとも、想いの届くぎりぎりの端まで。カンドレはその全てを胸中に思い描くことが出来た。











 運命の輪が回転をはじめる  ま わ
 中心に星、暉きもなく、輪を回転す
 輪を形造る四色の一つ、輝きを持ち
 永きを越えてやがて滑り落つ
 残された晶り








 自ら飛び込んだ事だから、アルジェントは後ろを向かない。
 自分の現在地を知る事が出来ないからと、嘆く事を知らない。
 銀の風を身に纏い、白き地を蹴った。柔らかい感触は頼りなく、しかしその身が宙に浮く。沸き上がる疑問は周囲の白のように、晴れない。
「此処は何処だろう?」
 見渡す限り、白ただ一色。それが雪であれば、一面の銀世界などと形容も出来た。
 何処まで高く舞いあがろうとも、変わることのない風景。まるで自分自身は全く動いていないかのような、酔いにも似た錯覚に包まれる。
 アルジェントは背に羽根を喚んだ。銀の輝きを持つ、一対の羽根が大きく広げられる。ゆったりと羽ばたくと、見失った大地を探す事を諦め、出口を求めた。
「此処にいては、きっといけない」
 純白が他の存在を拒んでいるように思えた。吸い込まれてしまいそうだった。抗うように魔法を導いたとき、鋭い光が、白い世界に薄く尾を引いた。






 白いキャンパスに描かれる、光と影のコントラスト
 あり得ぬはずの輝きと姿が知らせるのは、
 何者かが聖域を侵しているということ





 支配する事でしか、空間に力を与えられない。それ以上の干渉力を持たぬカンドレは、裁きを与える者を探す。
 平等と公平を司った者。何の表情をも浮かべぬ顔は、まるで死人のよう。若さを残す目元に、わずかばかりの憤怒を秘めてはいる。それはごく静かな。
「自分に何の用です? 支配者よ」
「我は輝きを感ぜり。輪を離れた者を見つけ、制裁を与えよ」
 カンドレの、自らを押さえる威圧が、相手にも影響を及ぼす。それのみが力。それだけの干渉力。束縛されているがゆえに持つ、束縛されぬ限り無き力。
「汝は律を知る者なり。律に従い―――」


 仰いだ先に終わりはなく、果てしなく続く白い世界
 そは唯白のみが許された色
 他の者は存在さえ拒まれる純白の空間〈とき〉


 自らの地に座り、見えぬ者を求める。自分に何をせよと言うのだろう。
 長いローブが地に着き、白と混ざる。灰色の瞳は己には見る事が出来ない。そこには何が映っているのだ。いや何が映るのだ。
 果てなき周囲に終わりは無い。何処へでも何時へでも移動出来る白き空間。眩しくもなく優しくもない地。自分の居場所だとは思えないが、何処も同じだ。
 グリジオは滑らかな動作でおもむろに立ち上がった。
「此処は自分だけの地じゃない」
 支配する者の言ったように、自分は律に従う。
「自分は律を知る――そうだろう、グリジオ・ジェニスト」
 だから伝えなくてはならない。自分の言葉を待つ者に。
 
 たゆたう白を臨む。
 際限の無い白が何処も同じなのは、グリジオが平等を司るゆえ。何処へ行こうとも変わらぬ色を、保護し支配する者が持つ。グリジオはただ律に従い、光と影を裁くだけ。
 そうして続く、濁り無き色。
 灰色のローブを揺らしもせずに、グリジオは一言友人を喚んだ。
「来い…」
 闇のように輝きのない色が宙に広がる。昏い瞳を細めた、黒髪の者が現れる。
「俺を喚んだのだな」
「ああ」
「これが永かったとは思わない。短くもない。…が、俺にはそれで十分だ」
「時間の流れなど気にするな。お前はただ自分に従え」
「と言う事は」
「裏切りが出た」
 友人の声を耳で感じ、グリジオは語気を強めた。律を誦むように伝えるべき言葉を紡ぐ。

 ―――潰してしまえ、二度と光を感ぜぬように
 ―――埋めてしまえ、二度と影を踏めぬように

「行ってくれ、ネロ・フィア・ロフェス。これは自分だけの意志じゃない」
「行くさ」
 運命〈さだめ〉を決めた者の憶いだとは、誰もが承知して――むしろ受諾している。ネロは己の立つ位置をわきまえていた。すなわち存在意義を。
「俺はその為に在る」
 
 だから行く。


 仰いだ先に終わりはなく、果てしなく続く白き地
 そは唯一色白のみが許された色
 他の者は
 光も影も存在を拒まれる
 純粋に白だけが保護され支配する空間〈とき〉






 迷い込んだ地。己は望んではいなかったが、踏み入ってしまった地。限り無く白く続く永遠の地。それが聖域だと気付いたのは、アルジェント自身が輝いた瞬間〈とき〉。
 周囲が覆い被さるようにせまってくる感覚。アルジェントは躍んだ。導いた魔法の余韻すらも、白い世界が飲み込んでいく。
「拒絶された……?」
 空間を幾つか渡り、地に足を着く。輝く羽根をしまい、力を消した。
「此処はまさか」
 支配者の保護する聖域。交わされた約束の下、造られた空間。其処には一つだけ歪みがあるという。
「まさか僕は、それに落ちたのか…?」
 誰かを落とす為に造られた歪み。運命〈さだめ〉を決めた者が故意に造った歪みは、何処にあるかもわからない。
「質の悪い落とし穴だな」
 此処が聖域であるとするならば。アルジェントはすでに白い世界を侵しつつある。輪を形造る四色の中で、彼だけが輝きを纏うがゆえに。

 回転り続く運命〈さだめ〉の輪が少しだけ傾く
 はじめから決められた裏切りの瞬間〈とき〉

 ――それならば。 こ わ
「せっかくだから、崩壊していこうかな」
 もはや後戻りも出来ない。方向も時間も定まらないこの地は、アルジェントを拒むのだから。
 意識を広げる。感覚をのばす。精神的な力を拡大させていく。
 膨れていく力は、支配者にも響いた。






 ――永きを越えて、やがて滑り落つ

 響くこの力はおそらく輝き。我が聖域を侵す者の声。それが歪みから現れた事も知っている。カンドレは描かれた光と影を感じた。交わした盟約を思い浮かべ、見えざる相手に呼びかける。

 我が力、我が命、そして我が運命
 全てを無に 無を全てに
 白き最も初めへ還らん
 ネヴィカータの盟約のままに 主人の憶うままに

 …制裁を加えさせよう。カンドレは片目を閉じた。ほんの少し、視界が狭められる。


 言葉を伝えられ、ネロは白き地へと赴いた。はじめて目にする、永遠に続く白き空間。己を見失いそうな、何処までも同じ色。
「確かに――此処に於いては俺達は」
 地を蹴る。短い黒髪が揺れる。
「拒まれ続けるしかなさそうだ」
 与えられた言葉のおかげで、少しの間だけ存在出来る。あまり長くはいられない。
 ――支配する者が片目を瞑っているうちに帰れ
 ――それ以上は己を失う
「俺の姿が白き地に影を落とさぬうちに、か」
 制限時間は刹那的。それさえも此処では意味を持たない。ネロは目を凝らした。輝きは見えない。
「遡るとするか」
 何時へでも行ける地であるならば、そう難しいことではない。ネロは開放された力を掴んだ。時間〈とき〉を越える魔法を導く。
「扉の向こう側の地へ、俺はパッサートへ渡る」
 あり得ぬ力に反応して、白き世界が黒き存在を飲み込もうと、する。手をのばすそれを、ネロはそれを見やった。
 目を伏せ、すぐ開かれた瞳には、相変わらず白い空間が映った。先程より多少、過去へ来たはずだ。
 裏切りの色を求め、ネロは一歩踏み出す。足下に影はない。それはまだ白き地に拒まれていない証し。


 仰いだ先に終わりはなく、果てしない。

 アルジェントは近くに己と違う存在を認めた。輝きもなく、拒まれもしてない。それが現れる。
「見つけたぞ」
 その者の全身を黒く包む大気が、アルジェントにもかかる。
「君は…」
「俺は律を実行する。聖域を侵すお前を捕えに来た」
「…ネロか! …僕は捕まらないよっ」
 アルジェントは口ずさんだ。紡がれた言葉の連なりが輝きをつくり、ネロを取り巻いた。羽根を喚び、高く舞いあがる。上へと逃げる。
 ――仰いだ先に終わりはないから。
「逃がさん」
 ネロもまた、羽根を喚んだ。黒く細く長い、二対の翼。絡みつく銀の輝きを振りほどき、裏切りの色を追った。

 何処までも高く、限り無い地へと、二つの色が昇っていく。
 アルジェントは銀の軌跡を描きながら。ネロは黒の足跡を残しながら。

 輝きは眩しく、優しく広がる。離れた場所ほど影響を受け、端から崩れていく。白き地に混ざった銀色の力が、同じ景観を壊していく。
 ネロはアルジェントを追いながらその様子を見ていた。それもまた悪くないと思った。そしてわざと、アルジェントから目をそらした。すぐに目を向けるまでに、輝きは消えていた。
 ネロは羽ばたきをやめた。
「見失ったな」
 それでいい、と想った。


 カンドレは片目を開けた。黒い影が通り過ぎるのを感じた。
「汝、これを望んだのか――主よ」
 そは白き地の崩壊。


 横に友人の気配が現れる。振り向き、目を見れば、細められた黒き瞳が不機嫌さを語る。
「失敗したのか、ネロ」
「まあな」
「嘘を吐くな。自分達は輪の中にいるんだ、決められているのでなければ、失敗など…」
「そうでもないさ、グリジオ」
 ネロは聖域をさし示す。白さが欠けていく天へと。同じようにグリジオも灰色の瞳を向け、それを認めて傍観を決め込む。

 自分だけだ――信じられるのは。

 その様子に律さえ、崩れていく気がする。


 少しずつ輝きが増していく。白き空間が傾きを増していく。

 ――何故、崩壊したかだって?
 ――君が、溢れんばかりのその圧力に、押し潰されそうだったから。
 背に黒の力は感じない。アルジェントは追ってが己を見失ったに違い無いと察し、立ち止まった。周囲が白さだけではなくなっていた。
「僕は何処にいるんだろう」
 自らも居場所がわからなくなっていた。迷い込んだ地で、再び迷子になるなんて。
 終わりなき地。
 ――それならば。

 天を仰ぎ見ればいい。そこに束縛はない。








 仰いだ先に終わりはなく、果てしなく続く白い視界
 そは唯白のみが許された景色
 他の者は存在さえ拒まれる純白の空間〈とき〉


 夢を見ていたのだと、目覚めたアルジェントは想った。開かれた銀の瞳が夢の続きを追う。
 目の前に、見えるはずのない存在が現れた。
「私はリンピド・ライ・ラルンゼルハ――運命〈さだめ〉を決める者。
 アルジェント、貴方と盟約を交わしたい」
 見えざる相手の瞳に、銀の輝きが映る。魔法を導く強い言葉で、崩壊を司る者の姿。アルジェントは漠然と思い出す。
「例えば、どんな?」
 銀の瞳に何かが映る。
 そはかつて。白き世界の崩壊とともに、一つの盟約が破られた過去〈とき〉。
 リンピドは銀色のローブを纏う者を、その視界に捕え見据えた。捨てられた盟約に替わる、新たなる盟約を告げる。
「貴方は世界の一つを造りなさい。
そして一族で守り続けよ。
…私は、それを最後まで見届けよう。
良いか? ……アルジェント・ザーム・レラルドよ」
「主の憶うままに」

 ――ここに交わされた、ソルティレジオの盟約。
   再び、運命〈さだめ〉の輪が回転をはじめる。






 仰いだ先に終わりはなく、果てしなく続く白き天空。
その下、運命〈さだめ〉の見届けるままに、
銀に導かれた魔法王国が築かれる――……



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