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奇 跡 の 柱 輝 石 の 柱

第 6 話「 埋 も れ た 碑 碣 」

――――狂 わ す 風 吹 く 砂 礫 の 広 野


揺ら
Be

ぐ地表の先に
yond the waved ground


 ――来れ、

 重く、低く響いた声が身を潰す。
 逃れられない圧力で、その音はレオンの名を喚んだ。








□□
 夜の帳に包まれた道を、馬車は進んでいった。
 幌に守られた荷台には聖職衣をまとった女性、空色の長い髪を背で束ねた少年、魔術師のローブを羽織った少年と、褐色の肌を持つ闇の森のエルフとが乗っている。大地の女神に使えるイエリア、竜のレオンに、シリウスの魔術師院で育ったルディオ、ダークエルフのヴァイルだ。
 しっとりした夜気に包まれて、4人は揺れる荷台でうとうとと浅い眠りについていた。やわらかな夢を見ていた。雨の音が、家族の声が、故郷の色がそのなかで蘇る。
 舗装されて久しい道を、腐りかけた木片を踏みつけながら一頭立ての馬車は進んでいく。ぬかるんだ土を踏むよりも心地よく、固い石を踏むよりも痛みのない道を、栗毛色の馬は機嫌良く進んでいった。時折がたん、がたん、と荷台を上下に揺らしながら。
 と、ひときわ大きな窪みにはまって、4人を載せた荷台が大きく揺れた。
 嫌がるように馬が啼く。
 御者がなだめすかすように手綱を引いたとき、ほぼ同時に、地を震わすような音が響いた。静けさを破って、突き抜ける轟音。
「……なんだ!?」
 浅い眠りから反射的に飛び起きて、ルディオは縁に手をかけ幌から顔をのぞかす。しかし無情にも床は跳ねて、勢いづいた体がそのまま荷台の外に放り出された。
「しま……っ!」
 視界が回って、星空と地上の明かりとが入れ替わって。
 大地が迫る。眼前に、むき出しの地肌が広がって。
「!」
 気付いたときには地面に叩き付けられていた。痛みが背を突き、息が詰まる、その一瞬、何も考えられなくなる。
 レオンはとっさに手を伸ばす。だがその手は外に弾かれたルディオのローブの裾を掴み損ねて、伸ばした手ごと外へと飛び出す。でこぼこの地面が眼の前に迫りぎゅっと目を瞑った。本能的に空を思い浮かべたとき、風がふわりと身を包んだ。一瞬後、地面にどさっと落ち込む。
「きゃっ!」
 イエリアが声を上げた。支えを失った幌が荷台の一番奥で眠っていたイエリアに覆い被さり、イエリアはそのまま無造作に放り出されたのだ。
 同じように放り出されたヴァイルは、しかし見事な身のこなしで地面に着地する。
 ダークエルフは、横倒しになって潰れた馬車と投げ出された人間達と、手綱が絡まったまま暴れている馬とを見た。興奮する馬を鎮めるべく、手をかざす。しかし精霊を喚ぶよりも早く、馬が手綱の呪縛から抜け出す。馬はそのまま駆け出した。
 止める間もなく、馬が遠くなっていく。
 軽く舌打ちして、ヴァイルは遠くなっていく馬の影を見つめたあと、視線を元に戻した。




「なんだったんだよ、今の!」
 痛みをイエリアに癒してもらいながら、ルディオが辺りを見渡して毒づいた。
 乗っていた馬車はめちゃくちゃに壊れていた。それを引いていた馬も、御していた御者もいない。
 ヒトの数倍の視力を持つ竜の子は、周囲にぐるりと目をやって、つぶやいた。
「地面がところどころ、ひび割れてる」
「ひび割れてる? なんだよ、また地震でも起きたのかよ?」
「いや、違う」
 ヴァイルが地面に手を置いて耳を伏せたままで言う。
(なぜ誰も答えない? この辺りに精霊はいないというのか?)
 ヴァイルはふっと顔をあげた。
(…それとも、何を怯えている?)
 しゃがみこんだまま、辺りをぐるりと見渡して、何か聞こえないかと、耳を澄ます。
「だめだ、精霊は答えようとしない。だが、何か力が働いたことは事実だぞ」
「だから北回りはやめよう、って言ったじゃないか」
「問題は、これからどうするか、ね」
 ルディオの非難を遮るように、聖職者の卵たるイエリアは静かに言う。ルディオは負けじと声を上げた。
「そんなの、一つしかない。ここを離れるんだ、今すぐに!」
「同感だ。進んだほうがいい」
「でも夜明けまでまだ大分時間があるのでしょう、この真っ暗闇の中を歩けるの?」
「平気だよ、レオンに任せればいい。向き、わかるか?」
「うん、わかる。視えるよ」
 暗い暗い空、西方をすっと指し示して竜の子は言う。
「それは頼もしいね」
 イエリアはぱたぱたと裾を払って立ち上がった。その右手首で、大司教から授かった丸い金鐶が揺れる。浴礼を受けた聖職者だけが持つ鐶だ。イエリアが右手首の鐶にそっと左手を添えたとき、ふわっとした風が首筋を撫でた。
 やわらかな、けれど冷たい夜の風が、暗い地面の上を滑っていく。
 長い水色の髪を戦そよがせて、レオンはつと歩き出す。胸に下げた竜のペンダントに無意識に手をやりながら。イエリアはその空色の竜の子の後に続いた。
 ヴァイルも立ち上がって歩き出す。瓦礫と化した、元は馬車であったはずのものを振り返ってから、ルディオは彼らの後を追い掛ける。そうするより他に、選択肢は無いのだ。








□□
 聖職の最高位である総大司教を兼ねる王と、それに次ぐ地位である大司教とが住まう王都アンタレスは、すぐ北に山脈を負う。リゲル大陸を分かつほどに長く連なるこの山脈を、越えることができる者はいないからだ。
 アンタレス王国を描いた地図を机に広げると、助祭は大袈裟な身ぶりを交え、そう説明した。ルディオは地図の山を示す記号を指でなぞって、
「地図を見る限りじゃ、この山脈沿いにずっと北へ行って、この辺で向き変えて、で今度はずっと西へ進めばヴェガだ」
「でもルディオ、この辺りは街も何もない場所よ?」
「ないの?」
「ほら、これが街を示すマーク。真直ぐ西に向かうんだとすると、ひとつも無いでしょう?」
「ほんとだ」
 ルディオは改めて地図をのぞきこみ、街の記号をたどって新しいルートを見つけだす。
「街を通って行くとしたら、南下しないと駄目だな。遠回りになるけど」
「でも」
 じっと地図を見つめていたレオンが、口を挟んだ。
「一度北に向かって、それから西に真直ぐ行くのが一番早いんだよね?」
「街も何も無いんだぞ?」
(そのほうが私は楽だがな)
 エルフが小さくぼやくのが聞こえる。それを肯定ととってか、イエリアがうん、とうなずく。
「それなら北回りでもいいんじゃない?」
「そうかなあ」
 渋るルディオをにいっと笑って、助祭が告げる。
「突っ切るだけだしな。食糧めいっぱい持っていけば、まあ、大丈夫だろうさ」

 荷物をまとめて、交通手段を手配してもらって、王都アンタレスを経った、それが一昨日。
 一日と半日馬車を走らせて、アンタレス王国最北の街カイトスに、今、彼らはいる。
 だがそこから先に進めないでいた。西へ向かうことを告げたとたん、御者はあからさまに嫌そうな顔をしたのだ。出発する時間になっても現れず、ようやく姿を見せたときには、馬も馬車も持たず手ぶらの状態だった。
「やっぱり止めといたほうがいい。今あの辺はろくな噂がないんだ」
「でも……」
「でも、じゃねえ。どうしても行くって言うなら、他を当たってくれ」
「それなら他を紹介してください」
 反論を許さない声音で、イエリアは言った。せっかく来たというのに戻るのは嫌だった。何より最初から行き先もルートも告げてあったのだ、最後まで運んでもらうのは、正当な権利だと、思った。
 沈黙がしばし流れたのち、その若い聖職者に気圧されてか、御者はああ、とうなずいた。
「わかったよ、他のやつを探してきてやる」
「お願いします」
 出て行った御者に軽く頭を下げてから部屋に戻ったイエリアは、自分をじっと見るレオンの視線に気付いた。
「なあに?」
「さっきの、あれはずるいよ、イエリア」
「……ええ、わかってる」
 イエリアが右手首に持つのは、浴礼を受けた聖職者だけが持つ鐶だ。何の力も持たない修行の身とはいえ、一般の人から見れば、それは神殿の持つ権力の象徴に見えてもおかしくはない代物。イエリアはそれを盾にしたのだ。
「嫌な思いさせた、ね。……でもありがとう」
「不本意では無かったのよ? 私だって今ここで戻るのは悔しい」
 冗談めかしたイエリアの言葉に、レオンは笑って応える。
 普段は大人しいこの聖職者の卵が、いざというとき強くなれることをレオンは知っている。
 レオンは自分もそうありたいと思う。

 翌日、新しい御者は4人を載せた荷台を馬につないだ。ヴェガを目指して、道なき道に向け馬車は発つ。








□□
 白みゆく空を背に、まるで夜を追うように、4人は西へと向かっていた。
 レオンの視力とヴァイルの勘を頼りに、広い荒野を突っ切っていく。それでも草木のまばらに残る場所を選んで進んでいった。いつ何が起きるかわからないから。何かが起きたとき身を隠す場所が欲しかったから。
 しかしそれは、森に生きるエルフの本能なのかもしれなかった。ヴァイルの勘が、彼らを自然と森へと導く。
 辺りが明るくなって来た頃、彼らは自分達がまだらに草木を茂らせた、森の中にいることに気付き始めた。地図には無かった場所だ。
「ヴァイル?」
「いや、" 普通の" 森だ」
「うん、外の風が吹いてる」
 レオンは敏感な嗅覚でその匂いを嗅ぎとって、付け加える。
「このまま森を突っ切るぞ。下手に外を歩くより幾らか安全だ」
「あっ……、うん」
「ん?」
 何かを言いかけたレオンをルディオが促したが、その答えはなかった。
 誰か何か言うよりも早く、彼らはそれに気付いた。
 砂の匂い。
 樹々を抜けた先にあったのは、一面の、砂漠――
「どういうことだ!?」
「これは!」
 イエリアが、大声を上げた。
「死の砂漠!」
 レオンがはっとする気配が、ヴァイルの耳をくすぐった。

 リゲル大陸の北西に位置するアンタレス王国の、更に北西の地域には空白がある。広大なその面積をとるのは砂に覆われた地、デネブの名を持つ砂沙漠だ。別称を“死の砂漠”と言う。はるか古来より伝説の獣が棲まうとされ、腕の立つ剣士や魔術師でさえも近づかない、いわば魔境の地。
 それが今、目の前に広がっている。
「これが、地図の北のほうにあった砂漠?」
「リゲルに砂漠はひとつしか無いの。だから、これがそうだと思う」
 風が吹いた。
 悪戯な風が運んだ砂粒が頬に当たる。これは、現実だ。
「……戻ろう!」
 ぼうっとしていると、そのまま砂に飲み込まれそうになる。幻惑から逃れるように、ルディオはわざと大声を出した。
「戻らなきゃだめだ! ヴァイル、道はわかるよな?」
「ああ」
 ヴァイルがもと来た道を、示そうとしたとき、らしからぬ声音でレオンがつぶやいた。
「否」
「……どうした?」
 ルディオの声は、レオンの耳には届いていなかった。
 レオンはただ、強烈に惹かれる何かが砂漠の向こうに待っていると、それだけを感じていた。
「嫌だ、僕は戻らない……この砂漠を渡る!」
「何言ってんだよ、戻るぞ、レオン!」
 名を呼ぶ声は、レオンには届かない。それはヒトの音だから。








□□
 周りの音が、何も聞こえなくなる。
 つうんと耳の奥まで冷たくなって、にわかに不自然な静寂が訪れる。
 ただひとつ、谺するのは。

 ――来れ、

 重く、低く響いた声が身を潰さんとする。
 逃れられない圧力で、その音はレオンの名を喚んだ。
(なぜ知ってるんだろう?)
 湧いた疑問は音を為さない。

 ――来れ、竜の子よ

 喚ばれるままに、レオンはふらふらと近づいた。
 ガラスに自分が映る。ヒトの姿をした、変な自分の姿が。
 その向こうは真っ暗で、何も見えない。
 無意識に手を伸ばしていた、ドアが開かれる、真っ暗闇が押し寄せる。
 少しだけ身近な気配を感じて、安堵して、そのまま闇に飲まれるように、一歩、踏み出す。
 そのとき突然、辺りを明かりが打つ。
 目の前に現れたのは、膨大な品々。大小異なる書籍が整然と棚に並び、さまざまな種類の博物標本が積み重ねられ、それに日用雑貨や何に使うのかわかららないようなものまで、ところ狭しと置かれていた。床にはほんの少しだけ、歩くだけの小さな隙間が残っているばかり。
 声がする。鼓動が速くなる。耳奥に谺す声がどんどん膨らんでいく。

 ――来れ、空翔る竜の子よ

 喚ばれるままに、レオンはしゃがみ込み、手を伸ばす。熱い何かが手に触れた。
 拾い上げたのは、銀づくりの、竜の姿をした飾り。
(君が喚んだの?)
 問うた疑問は解を生さない。








□□
 踏み出したときは何でもなかったのに、進むにつれて風は酷くなり、砂が体じゅうにまとわりついて離れない。悪意さえ感じるその砂の悪戯に誰もが閉口していた。
 それでもレオンは真直ぐに、どこかへ向かって歩いている。何かに引き寄せられるように。
「このままじゃ埋もれちゃうよ!」
 ルディオの冗談と切り捨てるには現実的すぎる叫びに、イエリアはすっと目を閉じる。心を静かに、敬虔に。口の中で祈りを唱え、頭の中で礼を述べる。
 風が止んだ、4人の周りだけで。
「何?」
「護りの結界を張ったの。これで少しは楽になったでしょう?」
 右手の鐶をかざしてみせて言う聖職者は、子どもっぽい無邪気な笑みを浮かべていた。
「でも、『伝説の獣』に襲われたらひとたまりもないと思うけれど」
「その時は俺がなんとかするから!」
 無責任にルディオが答えると、イエリアが不信感いっぱいの眼差しで、ルディオを見返す。
「ごめん、嘘です無理です」
「……でも、伝説の獣ってほんとうにいるのかしら」
「いるから危険地帯なんだろ、ここは」
「決して小さくはない」
 吟ずるように、ヴァイルが言った。
「それでも種族最小と聞く。縄張り意識が強く、好戦的だ。行動は主に夜。月無き夜は、更に活気づく」
「知ってるの、ヴァイル?」
「一度だけ会ったことがあるからな」
「会った? ……それって」
「砂塵竜のことを言っているのだろう?」
 竜か。
「そうか、だからレオンが」
 空色の鱗を持つ空竜エアドラゴンの子、レオンが何かに固執するとき、その相手は決まって竜だと、ルディオは知っている。シェリアクで買い物をしたときに、やけに強く欲しがったのも、竜を象ったペンダントだ。
(焦がれるほどに強い思い入れのあるものがある……って、いいよな)
 故郷のぬくもりを知らない少年は、少しだけ羨ましく思った。








□□
 夜の帳の中を歩いていたとき、レオンは何も見ていなかった。
 ただ頭の中に響く声に向かって、進んでいた。
 懐かしさと、不安と、焦がれる気持ちと、恐れとが、その声によって引き出される。
 白む空を背に、目の前に砂の大地が広がったとき、頭の中に強く響いたのは、自分を喚ばう声だけ。
 重く、低く響いた声が身を潰すようにのしかかる。
 逃れられない圧力で、その音はレオンの名を喚んだ。
 竜の調べで、竜にしか言えないその名を。
 
 ――来れ、レオニア=レオニーデス

 ヒトの姿が解放され竜の姿で空を翔る自分を想って心地良さと同時に、心細さを覚えた。
 僕はなぜ故郷を出た?


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