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誰の
So

故郷
meone's memories


 黒い、細長い煙りがあちらこちらで上がっている。かいだことのない嫌な臭いが、レオンの鼻をついた。
「なんで……」
 風が抜け、背中までの長さの水色の髪がばさりと揺れる。
 黒い風が匂いを払い、別の匂いを運ぶ。
 むせ返るような熱気に、レオンが振り返る。その眼前を、焦げた風が通り過ぎていく。
「何やってんだよ!」
 ぐい、と手を引っ張って、ルディオがレオンを下がらせ、その空色の瞳で、レオンがルディオを見つめ返す。
「なにぼさっとしてるんだ。お前が、これを見つけたんだろ?」
「音が聞こえたんだ! でも、間に合わなかった!」
「そういう事だってある!」
 ずしん、と重たい音がして、二人同時に口をつぐむ。
「誰か、手伝って!」
 声に、振り返れば大きな瓦礫に手をかけ、酷い形相でこちらを見る人がいる。
「行こう」
 レオンが駆け出し瓦礫に飛びつく。ルディオもそれを持ち、名も知らぬ人の合図で、熱の残る瓦礫に手をかけ、力をかける。
「持ち上げるだけでいい、そしたらあんたらどっちか中入ってくれ」
「中に?」
「僕、行く」
「あ、おい!」
 ひらりと身を返して、水色の髪が瓦礫の下に消える。埃が舞う。
「誰か、いませんか!」
 竜の子の声が、その下にこだます。向かいの人の不思議そうな顔にはっとして、ルディオはそっとアセト・レデアルを唱える。レオンの声が、普通の人間にも届きますように。

 精霊の姿で、ヴァイルはイエリアのすることを見ていた。近くの比較的軽傷の人に指示を出しながら、イエリアは重傷を負った人間の手当てに追われている。小さな鞄から痛み止めや包帯が幾つも取り出され、敷いた布に無造作に投げ出されていた。それが風で飛んでいかないのは、ヴァイルが精霊を操っているからだ。
[シルフよ、気を鎮めろ。恐れることは何もない]
 何かに怯えたふうの大気の精霊の声は聞こえない。小さく小さく震えながら、そこに留まって風を起こそうとする。それを必死に食い止めているのは、ヴァイルだ。
「ありがと」
 てきぱきと作業しながら、イエリアが小さくつぶやく。
 それには答えずに、ヴァイルはただ目を瞑る。風の声が聞こえてくる、小さな小さな悲鳴が。
「イエリア!」
 ルディオが、レオンが、それから見知らぬ人間が、小さな子どもが、傷ついた人間を運んできて、イエリアが小さく祈りを唱える。どうか間に合いますように。
 担架から下ろされた人は、きつく目を瞑っていた。
(どうか……)
 声も掛けずにはさみをざくりと入れ、イエリアは血に濡れた上着を切って開く。現れたのは痛々しい傷。ガーゼを当て血を吸わせて、消毒液をそっとかければ、まだ意識があるのか、その人が軽くうめく。
「お父さん!」
 子どもの声に、イエリアははっとした。自分には、もういない存在。
「大丈夫ですよ」
 声をかけ、それから作業をこなしていく。ふと手元に落ちた影に気付き、見上げればルディオとレオンの顔。二人ともこわごわイエリアの手付きを見つめていた。その向こうに立つ人が声をあげる。
「あんた慣れてるな、医者か?」
「いいえ。でも神殿の者は、医療技術も普通備えてます。応急処置くらいなら、なんとか」
 祈りを唱えながら、包帯を巻いていく。
「基礎を知らなければ、奇跡を起こせても治せないもの」
 つぶやきは、手元の影に消えていく。その影が薄くなって、いって。かげってきた空をちらりと見やって、イエリアは唇をかんだ。
「この期に及んでなぜ天は御目を瞑りたもうか……」
「やな雲行きだな」
 ルディオが、イエリアのつぶやきに答えた、とき。
 がくん、という振動。
 物凄い音とともに大地が揺れた。








□□
 微風がほおをなでた。眼前に迫った白亜の殿堂を見上げ、若い聖職者は言った。
「これが、カレル・エカンシアル神殿よ」
「聖エカンシアル?」
「そう、王国でもっとも美しいとされる5神殿のうちのひとつ」
 イエリアの言葉とともに、小さな馬車は、門をくぐり、そのまま馬車回しに入った。楕円形の小奇麗な花壇の外側を半周すれば、神殿の正面玄関にたどり着く。
 その前で一行を下ろすと、無口な御者はそのまま向きを変えた。
「有難うございました」
 イエリアが微笑んだのも見ずに、その人は帰っていく。
「無愛想だなあ」
「神殿は彼らにとって神聖な場所なのよ。行きましょう」
 イエリアが一歩、神殿に足を踏み入れる。奥へと続く幅のない回廊、立ち並んだ柱の向こうから微風が吹いて、ひんやりした空気がほおをなでる。それはシェリアクでよく祈った神殿や、立ち寄ったレサトの神殿を思い起こさせる。肩から下げた、洗っても土臭さのとれない鞄に、そっと触れる。布地越しに触れた小さな包みは、シェリアクの高司祭から預ったものだ。中身は知らなくても大切なものだとわかっている。

 外見から想像するよりも質素な、何もない部屋に通され、4人は待った。
「神殿って、みんなこうなの?」
「最高司祭さまはお忙しいし、私は直接は御会いできないもの。取次いでくださる方を待つの」
「そうじゃ無くってさ、」
 ルディオは手を振って、
「うん、何?」
「外側もそうだけどさ、ここ、思ったよりなんも無い」
「……そうね、こんなに飾りの少ない神殿は珍しいかもしれない」
 イエリアは天井を見上げた。天井画も描かれておらず、柱の飾りも無い、質素な部屋は、それでいて磨かれた原石の初々しい輝きを放つ。飾り立てず、誇張しない美しさが、ここにはあるのだ。
 音がして、来たのとは違う扉が開き、聖職衣を纏った人が2人現れた。短い髪のほうは女性、長い髪のほうは男性、年齢は2人とも30前後だろうか。
「こんにちは。それとも初めまして、のほうがいいかしら」
「遠路はるばるようこそ!」
 歓迎の声に、イエリアが丁寧に頭を下げる。
「初めまして……わたくしは、イエリア・セフェナージェ・リ・ガイア」
 女神ガイアに仕える者、セフェナージェの姓を継ぐ者、イエリア。神の御言葉に近い発音で名を名乗れば、
「そう、畏かしこまらないで? 私はセトリウエ。司祭をやってます」
「私はエウディン。俺は助祭だけどね」
 2人は親しみを込めて言う。
 イエリアは微笑み、傍らに立つ少年達を紹介した。
「こちらはルディオ、それにレオンです」
 少年達はイエリアと同じ聖職衣をまとった大人達を見上げた。あでやかな赤の上着の上に、汚れひとつないまっさらな白の衣を羽織っている。鈍い金の光りを宿す、質素な留め具が胸のところで揺れる。
「では、奥へ」
 エウディン助祭が、今しがた入ってきた扉に手をかけた。重たい音が響いて、扉が奥へと開かれる。まずセトリウエ司祭が、それからイエリアが、そしてレオン、姿を消したヴァイルに、ルディオと続き、最後にエウディン助祭が扉をくぐってそっと閉める。
 その向こう側はちょっとした廊下になっていた。二人がやっとすれ違えるほどの狭い通路が続く。一定間隔で設けられた窓から風が吹き込んできていた。のぞき込めば外の景色が見えた。青空の下にアルシャインの街並が広がっている。
 一番前を行く司祭の、女性のその小さな肩を見つめて、それからレオンはすぐ前を歩くイエリアの背を見つめた。
「どうしてイエリアは、直接会えないの?」
「うん、それはね、私がまだ正式な浴礼を受けていないから」
 イエリアは振り返って答え、そのままレオンの隣に並ぶ。
「浴礼?」
 レオンは聞き返し、イエリアが微笑んで答える。
「神様にね、わたくしは生涯かけてあなたにお仕えします、って誓う儀式のこと」
「そのとき聖水をかぶるから浴礼って言うんだろ?」
「ええ、でも水とは限らないけれどね」
 イエリアが後ろを振り返って、ルディオに答えたとき、殿しんがりを歩くエウディン助祭と目が合った。彼は口元に笑みを浮かべて、人さし指を、口元にやった。
「そろそろ、静かに」
 その淡い赤の瞳が、口元とは裏腹にいたずらっぽく光り、イエリアは声を出さず微笑みを返す。
 先頭をゆくセトリウエ司祭が、立ち止まる。
「この扉の向こうに、最高司祭さまがいらっしゃいます。みんな、静粛に」
 聖職者の少女と、少年達がうなずいたのを見て、司祭はそっと扉に手を触れる。聞き取れない声で、何かをつぶやく。一瞬、扉がほうっと明るくなる。
 輝きの消えた扉に触れた手に、司祭は力を込めた。さっと扉が開く。
「私語は慎むように」
 司祭が、それからイエリアが、レオンとヴァイルとルディオが、エウディン助祭が、中に入るとひとりでに扉は閉まる。鉄のような重々しい音が、床に響く。磨き抜かれた床に、自分の姿が映り込んでいるのを、レオンは物珍しげに見つめながら、前をゆくイエリアの後を追う。ヒトの姿をした自分は、なんだか自分ではないよう。
 ルディオもまた、鏡に映る自分と向き合っていた。
(おまえは、誰だ?)
 自分の顔をしたそれは、答えをくれない。目を逸らし顔をあげれば、正面に腰掛けがひとつ。そこに座る人間がひとり。
「連れて参りました」
 司祭の澄んだ声が、天井を貫く。座した人がうなずき、立ち上がって、両手を広げた。深い声が、その唇から紡がれる。
「久しいな、イエリア」
「はい、お久しぶりです、タナティンシさま」
「ロエイオに会いに?」
「いえ、母には……。王都まで参りますゆえ」
「ほう、それはまた、遠くまで」
 おだやかな赤紫の瞳で、タナティンシ最高司祭は、笑うとあどけない若い聖職者を見下ろした。
「道中不安もあろう、そこにいるエウディン助祭を案内に連れていくといい」
「私ですか!?」
「そうだな、王都に行くのなら、セトリウエもいたほうがいいだろうか?」
「では、私も」
 司祭は丁寧に礼をし、エウディン助祭も同じような礼をした。
「お気遣い、有難うございます」
「気にすることはない、気をつけて行っておいで。長い旅になるだろうから」
「はい」
 長い旅になる、と、シェリアクの高司祭も言った。何があるのだろう、と、イエリアは目の前に立つ人を見つめ返す。聖カレルエカンシアルの最高司祭は、しかしただ、静かに笑みを浮かべ目を伏せただけだった。








□□
 揺れの直後に轟音が響き、新たな煙りが立つ。
 レオンは足を踏ん張って踏み止まると、揺れの収まりとともにそちらに駆け出す。ヴァイルがレオンに続いた。
 ルディオは駆け出す前の一瞬、イエリアを振り返る。若い聖職者はその赤い眼差しで、ルディオを見上げる。
「水が欲しいの。今の揺れで全部こぼれてしまった……」
「わかった、探してくる」
 短い答えを残して、ルディオも駆け出す。
(何が起きた!)
 時間のわりに暗い空の下を、音のしたほうへ走っていく。
 残されたイエリアは、立ち上がり、散らばった包帯と薬を拾い上げた。地面に広げておいた鞄は土にまみれ、元の白さを失っている。天空の神を象徴する「白」が、こんなにも小さい。
 だめかもしれない。
(いいえ、まだ!)
 手当ての終わっていない人のほうへ、手を伸ばす。

 何人かの男とすれ違い、その一人にいきなり腕を捕まれ勢いを殺されて、ルディオは思わず怒鳴った。
「何すんだよ!」
「阿呆! この先は土手だ、お前みたいなガキが行って何になる?」
「土手?」
 怒鳴り返されたのも忘れ、問い返す。
「何が、起きてる」
「なんだ、知らずに行こうってのか?」
 男は、まじまじとルディオの顔を見て、見たことのない人間だと気付いた顔で、言った。
「この先に川がある。そこに俺達が作った築垣ついがきがある。けどな、さっきの揺れでひびが入ったんだ、このままじゃ危ねえんだ」
「さっきの揺れは何なんだよ?」
「知るかよ、こんなのは、初めてだ」
 言う間に、さきほどすれ違った男達が、戻ってくる。手に手に布袋と、匙型の鋤シャベルを抱えている。
「こいつに土入れて積むんだ、他に方法がねえ」
 男達は、近くの地面に、さくり、とシャベルを差し込んだ。掘り返された土が、袋の中に詰められていく。ルディオはずっと先のほうを見やった。確かに川が見える。蛇行した流れが、遠くのほうまで繋がっている。空の奥は、暗い。灰色い雲が一面に立ちこめている。
 視線を戻すと、川の手前に、水色の風が見えた。
「……レオン? あの馬鹿!」
 男達の制止を振り切って、ルディオは駆け出す。レオンと、それからヴァイルが背の低い築垣の上に立っているのが見える。
「何やってんだ!」
 叫ぶと、二人が振り返る。
「だって、イエリアが水が欲しいって言うから」
「聞こえてたのか?」
 レオンはうなずき、築垣から飛び下りた。どこから持ち出したのか、大きな器をルディオに見せる。中にはたっぷりの水。のぞき込めば暗い空と自分の顔がゆがんで映る。
(おまえは、誰だ?)
 映りこんだ自分に思わず声をかけても、答えが出るわけもない。
「そうだな、それ持ってってあげなよ」
「うん」
 レオンは答え、ヴァイルが姿を消す。すると器の中が空になった。なに、と聞いたルディオにレオンが淡々と告げる。
「これ全部、ナイアードだから」
 水の精霊の名をあげ、それが何なのかわからないでいるルディオを置いて、竜の子と妖精がもと来た道を走り出す。
 入れ違いに土嚢をひとつ抱えた男がやってきて、築垣の手前にそれを放った。鈍い重たい音とともに土の詰まった布袋は置かれ、男はすぐに引き返す。それからまた同じ男が戻ってきて、築垣の手前に土嚢を放る。
(そんなんじゃ、だめだ)
 5つ目の土嚢が積み上げられたとき、軽い振動が再び大地を襲う。
 揺れは軽く、人は耐えた。誰も、転ばなかった。
 しかし、築垣に入っていたひびは、その衝撃に耐えられなかった。亀裂が一気に広がっていく。
「離れろ、崩れるぞ!」
 誰かが叫ぶ。
 声を無視して、ルディオは築垣を見やる。亀裂が広がっていく。突然、頭のなかに映像が浮かぶ。ほう、と輝いた円状の光が、脳裏で線を結ぶ。シェリアクで買った本に書かれていた、それは魔術を発動させる円陣だ。
(……間に合うか!?)
 とっさに右膝をつき、左手を地に添えた。膝を、手のひらを砂利の感覚が押し返す。周囲は礫土、草の代わりに砂や小石を含んだ土壌が広がっている。
 これなら、行ける。
 覚えたての真新しい魔術を、脳裏に描く。丸い石、正確な円、同じ間隔で、一列に並んだ礫つぶて
等しき円礫、規を示せ!
 声に応え、周囲に散らばる幾つかの石が光を帯びる。ほう、と淡く輝いて、光りは互いを繋ぎ、一つの真直ぐな線を結ぶ。
 ぽつり、地に着いた手の甲に落ちるは雫。
「……雨?」
 にわかに降り出した雨が、瞬く間に滝のようになって、全身を叩く。
 鳴り止まないノイズに、だが、負けじと地面を叩き返す。
均しき円基、とく城を火せ!
 不意に、すべての音が止む。
 遠くなった現実。どれもこれもが緩慢な動きとなって、目の前に繰り広げられる光景。もどかしさに地団駄を踏むは心の中。体が鈍い。動け無い。
(なんだ? どうした?)
 それが純粋に事実をゆっくりと受け止めているだけだと気付くまでに数秒。
 目の前で、鋭利な石塊が現れ地面に突き刺さった。またひとつ現れ、その隣の地面に落ちた。大きくない石くれが次々に現れては、地に立ち、互いの間隔を埋めていく。無骨な灰色の壁が築かれていく。
 だが、目を見開いたとき、そこに見えたは真なる現実。石と土の塊によって作られた第二の堤防を、溢れ出した川の水が突き崩す。
 とたん、雨の音が耳朶を叩いた。
 音とともに時間は元の早さを取り戻す、砂礫を含んだ湿気った風が地を抜けていく。雨粒が全身を叩く。
「離れろ、崩れるぞ!」
 誰かの叫ぶ声がした。
「なんでだよ!」
「ルディオ!」
 いつからそこにいたのか、レオンがルディオの手を掴んだ。竜の子の眼差しの真直ぐな。

 川の水は瞬く間に街に溢れた。
 土砂に濁った流れが、崩れた石の家々も、瓦礫も飲み込んで、窪地を満たしていく。
 高台で、雨に打たれながら、立ち上がって、あるいは座り込んで、横たわって、街の人々はそれを見下ろしていた。
 水はやがて退くだろう、だがそのあとには、めちゃくちゃになった大地が残されるばかりだ。
「……諦めるしかないな。この街は」
 ぽつりと降ってきた声に、ルディオははっとして見上げた。知らない人間の声に、記憶が巡る。目蓋の裏に蘇るのはラセルタの街。焼けてしまったあの街で何が起きていた?








□□
 天のまなざしと呼ばれる道のりを、馬車はゆく。2人の少年と、3人の聖職者を乗せて、鋪装されていない道をその轍わだちをたどっていく。
 長い髪を風にそよがせながら、エウディン助祭が、真っ青な空を仰いで言う。
「しかし、久しぶりに爽快な空だなあ」
「こんなに空が深いのは、久しぶりだものね」
 セトリウエ司祭は答え、深く息を吸った。
「最近また、なんか変なこと続いてたからな」
「変なこと、ですか?」
 イエリアが、はっとして聞き返す。
「数日前にも、なんて言ったっけな、サディルだかいう小さな低地の街が、地震と川の氾濫に遭ったって」
「この辺は揺れなかったけれど、すごく揺れたらしいの」
「その街の人達、どうなったんですか?」
 ルディオは、聞いた。
「かなりの人間が難を逃れたけど、街は捨てたそうだよ。みんな近隣の街に散らばった、って話だ」
「なんで街を捨てるの?」
 レオンが、聞く。
「なんで、って、もうそこには住めないからね」
「寂しくない?」
「そりゃあさ、生まれ育った場所から離れれば寂しいけど、でも、忘れることはないだろ。思い出して辛くても、だからって忘れてしまうことはないだろ。ようは、気の持ちようだ。なあ?」
「それに落ち着いたらまた、戻ることもできるでしょうね」
 崩れた街は、完全には元に戻せないけれども、と、セトリウエ司祭。
 レオンは、遥か海の向こうにある、空竜の島ベテルギウスを憶った。そうだ、こんなにも離れているのに、こんなにも近いところにそれはある。忘れてしまうことはない、それがどんなに小さくなっても。
 馬車が揺れる。轍をたどっていく。先人達が残した道跡は、曲がりくねりながらも、ひとつの地へとまっすぐ伸びていた。
 王国と同名の音を抱く王都、アンタレス。
 聖カレンタアンタレスと呼ばれる都。
「私、王都って初めてなんです」
 イエリアが道の先を見つめて言えば、助祭がやさしい笑みを浮かべる。
「綺麗なとこだよ、そう、前の戦の傷跡もない」
「戦?」
「10年前の、な。この辺りは幸い何ともなかったけど、南方はだいぶやられたって聞く」
「ひどかったんですよね」
 イエリアが、声を落してささやく。エウディン助祭はそうだな、と小さく答え、セトリウエ司祭が顔をしかめた。
「ひどいものだ。街が丸ごとひとつ消えたとも聞く」
「サディルよりも、もっと大きな街が、そこに住む人間から何から、すべて焼けてしまったんだ」
 焼けた街、地図から消えた街、それは。
「……それは、もしかして、ラセルタ?」
「お、よく知ってるな少年」
「それ、たぶん俺の故郷、です」
 さらりと告げられた言葉に、エウディン助祭は一瞬、はっとして。間を置いて、低い声で言った。
「ラセルタの生き残りか。いたとは聞いてたけれど」
 ルディオを、やわらかい淡い赤の瞳がとらえる。
「がんばったな、少年。辛かっただろう?」
 ああ、とルディオはうめいた。
 ――辛くはなかった。何も覚えていないから。……辛かった。何も覚えていないから。
 どうして俺は、覚えてないんだ? 忘れないはずの故郷の景色を。
 かろうじて持っている一番遠い記憶は、炎の後、雨の音。


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