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天の
He

まなざし
avenly Eyes


 ぽつり、地に着いた手の甲に落ちる雫。
「……雨?」
 にわかに降り出した雨が、全身を叩く。
 だが、負けじと地面を叩き返す。
均しき円基、とく城を火せ!
 不意に音が止む。
 すべてが緩慢な動きとなって、目の前に繰り広げられる光景。もどかしさに地団駄を踏むは心の中。体が鈍い。動け無い。








□□
 イエリアは最後に入ってドアを閉めた。背中くらいまで伸ばされた茶色い髪が、振り向きざまに宙に踊る。
「ようこそ、我が家へ、どうぞ座って?」
「あ、はい」
 レオンとルディオに座る場所を示して、イエリア自身はその辺にあった椅子を引き寄せて座る。
「さっきも言ったけれど、私はイエリア。イエリア・セフェナージェと申します」
「えっと……」
(なんで、見知らぬ俺達を家うちに招き入れる?)
 ここで名乗るべきかどうか、ルディオは判断つかねてイエリアの目を真直ぐに見た。
 何を考えているのか、しかしその瞳からはうかがい知れない。
 目の前に座るのは、自分と同じくらいの年頃の少女。真直ぐな茶色い髪、形のいい顎、高すぎず低すぎない鼻、赤みがかった瞳。それはリゲル大陸に住まう人の平均的な顔つきだ。イエリアと名乗った少女は更に、あでやかな赤の上着、抑えめな赤の生地で作られた幾何学的な模様をあしらった長いひだスカート、そして白を基調とした衣をまとっている。
「その格好は、聖職者の?」
「ええそうよ、これは聖職衣。私は大地の女神ガイアに仕えているの。でもまだ見習いの身だけれどね」
 上着をつまんでみせながら、イエリアが微笑む。笑うとあどけない顔になった。その無邪気な笑みに、ふっと安堵を覚えた。そこに悪意も他意もない。
 警戒は、必要無い。
 ルディオは吹っ切れた。
「俺は、ルディオ。シリウスから来たルディオ・ハーディ。今、魔術師見習い中」
「シリウスから? 随分遠くから来たのね。あなたも?」
「……うん」
 レオンはためらいがちに応えてから、
「僕はレオン」
「私は、ヴァイル」
 間髪を入れず、褐色の肌のエルフが現れる。首を振って、長い暗褐色の髪をばさりと揺らして、ヴァイルがそこに立つ。あげかけた声をかろうじて飲み込んで、びっくりしてルディオはヴァイルを見た。
「お前……」
 しかしイエリアは全く動じた様子もなく、
「あなただったのね!」
 子どもの背丈よりも小さな生き物を不思議そうな、それでいて嫌味のない眼差しで見て、イエリアが納得したようにうなずく。
「気配を感じてたの。なんていうのかな、見えないのに、そこに誰かいて、こっちを見ているような感じ。だから不思議だなって思ったの」
「それで、俺達を家に?」
「ええ。あなた達もそれを感じているのか、聞きたかったから。でもこれで謎が解けた!」
 イエリアは席を立つと、椅子を引きずりながら3人のそばに寄った。
「ねえ、シリウスから来たのでしょう、こっちに知り合いがいるの?」
 探るのとは違う、純粋な問いにルディオが首を振る。
「そう、なら、もうどこかに宿をとった?」
「まだなんだ。これから探すとこだよ」
「それじゃ、家うちに泊まっていかない?」
「ここに?」
「そう、ここに」
 微笑みながら返事を待つイエリアの顔を、ルディオはまじまじと見つめ返した。その横でレオンがひょいと顔を出す。
「どうして?」
「私、一人で暮らしているの。誰かいてくれると嬉しいな」
「……家族、は?」
 ルディオが慎重に問えば、
「兄弟と、父はいません。母は神殿を預る身。だから滅多に戻ってこられないわ」
 イエリアはあっさり答え、だから、どう?と逆に問う。
(父親はいないって……どういう……?)
 ルディオはイエリアを見たが、彼女はすでに椅子を持ち上げ歩き出していた。椅子を運ぶのを手伝いながら、レオンが楽しげに告げる。
「ここに泊まろう? 僕ここがいい」
「レオンがそう言うなら」
 ルディオがヴァイルを見やると、彼は首をそっぽ向けたところだった。
 それがダークエルフの照れ隠しなのだと思えば、決まりだ。
「本日の宿泊地、決定!」
 振り返ったイエリアの赤みがかった瞳を見て、ルディオが言った。








□□
 夜は思ったよりも早く訪れ、みんなすぐ布団にもぐりこんだ。壁際にイエリア、その隣にレオン、寝るための台は要らないとヴァイルは拒み、それでもひとつ分空けて、逆の壁際にルディオ。横一列に綺麗に4つ並んだ寝台の一番端に、ほのかな明かりが灯っている。
 与えられた寝台で、ルディオは一人ページをめくっていた。昼間、道具屋とも雑貨屋とも知れぬ店で買い込んだ本だ。読み進めていけば、シリウスとリゲルでの共通語のほかに、古い言葉で書かれた部分もあった。
 魔術師達が使う言葉で書かれた箇所もあった――それは門外不出の言葉であるはずなのに。
(魔術師の知り合いがいるって言ってたな。そいつが持ってきた本なのか?)
 見慣れた文字を、けれど読み慣れない文字を指でたどりながら、ひとつずつ解読していく。
「ア・セ・ト、レ・デ・ア・ル」
 アセト・レデアル――。
 「古レデア語」。それが、魔術師達の使う言葉の名称だとも書いてある。
(レデア? 地名か? どこだろう?)
 しかし古の地理と歴史を綴った箇所は、知らない単語が多すぎてよくわからない。自然、眠気に襲われて、ルディオはあくびをひとつ。
 眠気を飛ばすようにページをめくれば、初期段階の扱いやすい魔術がいくつか、図入りで載っているのが目にとびこんでくる。
(「万別ありし万象その道理知りぬれば会得もまた容易なりき」……? あーわかんねえぞ!)
 ルディオは明かりを消した。
(続きは明日だ!)
 目を閉じ、暗闇に身をまかせれば、じきに眠りに落ちる。ルディオは小さく寝息を立てはじめた。








□□
 滑らかで優しい歌声に、レオンもルディオも目を覚ました。石造りの天井が目に映る。耳を澄ませば、歌の続きが聞こえる。
 イエリアが歌っている、2人の知らない調べで。
 目蓋を擦りながら着替えて、2人は朝食の整えられたテーブルについた。石造りのテーブルに、幾何学紋様の織り込まれたテーブルクロスがかけられ、その上に4人分の食事がところ狭しと並べられている。綺麗な彩りにお腹が鳴り、焼き立てのパンのこうばしい香りが鼻をくすぐった。
「待って、ね?」
 手を出しかけた2人を制して、イエリアが短く祈りを唱える。
 唱え終わったイエリアが顔をあげると、レオンとルディオは声を合わせた。
「いただきます!」
 食器の音が軽やかに石の壁に響く。
「あなた達は、これからどこへ行くの?」
「んー、特に当てはないんだけど」
「西か北を目指してる」
 レオンは言い、まあそうだな、と、ルディオがそれを肯定するようにうなずく。
「それじゃ、もしかして私と同じかしら。私も西北アイオラリス・ボレアリアスに用事があるの」

 食器を洗い、テーブルクロスを洗って干すと、イエリアは古ぼけた地図を広げた。折り目のところで切れそうになっているが、紙自体は良質なものだ。真中あたりに「アンタレス王国」と、消え入りそうな文字で書かれている。
「今いるのは、ここ。シェリアク」
 イエリアは地図の下のほうを差した。「光の森」にほど近い、王国でも一番東にある街だ。
 ちなみにシリウスはこの辺、と言いながら、イエリアは広げた地図の上のほう、テーブルの上をこんと叩く。
「私が行きたいのは、王都。ここからだと、まずレサトに寄って、それからアルシャインに寄って、ずっと行って、ピリ・エラ・ウアを通ればすぐよ」
「なんでまっすぐ行かないんだ?」
「まっすぐ行くと、すぐ隣の区に入っちゃうもの。隣区に入る前に、レサトにいらっしゃる司教さまに御挨拶しないといけないの」
 レオンは地図を覗き込んだ。文字は読めなかったが、森を現す記号と、リゲル大陸を横切る山脈の記号に、不思議な親近感を覚える。声を殺して、レオンは隣に立つエルフに問う。
(この山脈は)
(ああ、“霧の山脈”だ。だが大地竜はもういまい)
(いないの? 誰も?)
(おそらくは、な)
 ヴァイルは答えたくなさそうに言い、レオンは彼のピリピリした感情をかぎとって、問いをあきらめる。
「いい?」
 イエリアは優しい目付きで地図を眺めるレオンに聞いた。レオンはうなずき、イエリアは地図をたたむ。
「それじゃ、準備をしましょうか」
「おっけ」
 イエリアは隣の部屋に消え、ルディオは荷物をまとめにかかった。レオンが座ってそれに手を貸す。








□□
 香ばしい匂いが鼻を抜けていく。来たときは気付かなかったが、イエリアの家と通りを挟んで向かい側に、パン工房の看板が下がっていた。
「こんにちは!」
「ああ、いつもありがとよ」
 イエリアが顔をのぞかせれば、ふっくらした頬に笑顔たっぷりの女将が顔を出す。
「私、これから出掛けてきます、留守を頼んでもいいでしょうか」
「ああいいさ。ロエイオ様のとこかい?」
「いいえ、王都まで行って参ります」
「そりゃあまた遠くまで。……どうだろう、うちの荷台で良けりゃ、途中まで送ってってやるよ?」
「いいんですか?」
「ちょうど買い付けに行くとこなんだ。……おい、聞こえただろ、送ってっておやりよ」
「わかった、今行くー」
 若い男の声がして、間もなくその人が姿を現す。女将とは対照的に、すらりとした背丈の、20歳前後の男性。茶の混ざった金髪を後ろでざっくり束ねている。
「オウリエさん!」
「や、久しぶりだねイエリア」
「いい、しっかり送って行くんだよ? で、あんたはすぐ帰ってくるんだよ?」
「わかってるよ」
 相変わらずなやりとりにイエリアが笑うと、
「さ、こっちだ。そこの見慣れない2人も」
 オウリエは工房の裏手へと一向を手招きする。

 雨しのぎのシートがあるだけで、屋根のない荷台に3人は座る。
「なんかこれパン臭え……」
「悪かったな!」
 言葉とは裏腹に口振りは楽しそうにオウリエが言い、はっ! と手綱を振るう。馬がいななき、一頭立ての小さな馬車が動き出す。
「行ってらっしゃい!」
 威勢良く見送る女将に、
「行ってきます!」
 オウリエ、イエリア、ルディオ、レオンは異口同音に返した。

 石畳の道を、揺れる荷台は進んでいく。左右にぶら下がる木造りの看板を真下から見上げながら、通りを抜けていく。
 籠を持つ女性、美しい紋様を織り込んだ布に身を包んだ女性、果物をはこぶ少年に、はしゃぎながら付いていく幼子。
 さまざまな人とすれ違い、不思議そうな目や、微笑んだ目と出会う。
 人通りが減ってくると建物は消え、やがて石畳は終わり、鋪装されていない土の道に入る。揺れがひどくなり、荷台に座っていた3人は縁をつかむ。
「いつ戻っていらしたんですか?」
「三日前だよ」
「今回は随分長かったですよね」
 イエリアの言葉に、御者台のオウリエは振り返って答える。
「やあ、どこも高く売り付けてくるからさー、全然買えなかったよ。俺、値切るの下手になった気がするよ」
「前見て運転!」
「あ、悪い悪い」
 悪びれたふうもなく、オウリエは正面を向くと手綱を振るう。
「何してる人?」
 ルディオが問えば、
「さっきのパン屋さんのとこの次男さん。材料を集めてくるのが仕事なの」
 イエリアが答え、
「でも、なかなか戻ってこないから女将さん一人でお店やってて大変なの」
「え、長男は?」
「うん、前の戦争で、ね」
 イエリアは寂しそうに、笑った。
(そうか、イエリアのお父さんがいないのも……)
 ルディオは目を閉じた。家族のことは覚えていない。
(もういないけど覚えているのと、顔さえ覚えていないのと、どっちのほうが幸せだろう?)
 そんなの、答えはわかりきってる。








□□
 数日後、レサトに着くと、オウリエが手配してくれて、一向はすぐに宿に入れた。
「それじゃ私、司教さまに御挨拶に行ってきます」
 イエリアは出掛け、
「それじゃあ俺も、ちょっと買い付けに」
 オウリエも出掛けた。
 音を立ててドアが閉まり、誰もいなくなったのを確認すると、ヴァイルが久しぶりに姿を現す。褐色の肌のエルフはそのまま壁にもたれかかって、目を閉じる。
「自分の足で歩かないのが、こんなに窮屈だとはな」
「なに、疲れたの?」
「……」
 返事は無い。
「ヴァイル?」
「ちがうよ、寝てるんだよ」
 レオンがそっと答え、静かに胸を上下させるエルフを目で示して、ほら、と言う。
「ふうん」
 ルディオはそんなエルフを見やってから、荷を解き始めた。着替えをたたみ、古くなった食糧を捨てる。それから唯一持っている本を拾い上げ、ごろりと床に転がった。レオンがその横に座り込み、不思議そうに見下ろす。
「それ、シェリアクで買った本だよね、なにが書いてあるの?」
「そうだな、リゲル周辺の、地理とか歴史とかがメイン。で、古い時代の話なんだ、俺が知ってることと違う」
 挟んでおいた枝折しおりのところで広げると、そこはちょうど魔術の章。図を頼りに、わからない言葉を飛ばしながら、読んでいく。
「なんて書いてあるの?」
「ああ、えーっと、ここは魔術の説明だな。たぶん、練習すれば俺も使える」
 ルディオは顔をあげ、レオンの顔を見た。
「お前、まさか石とか持ってないよな?」
「それはないけど、種なら」
 レオンが取り出したのは、いつだったか高値で売れた枝と同じ、光の森から持ち出してきたもの。
(まだ持ってたのか)
 口には出さずにルディオは言い、
「借りるぞ?」
「いいよ」
 レオンの手からそれを受け取った。重みのわりにやけに硬い。床に、本の図通りに一定間隔で並べると、ルディオはその延長線上に立つ。
 本を見て、目を閉じて呼吸を整え、それから丁寧にアセト・レデアルを紡ぐ。
等しき円礫、規を示せ
 音に反応するように、並べた実が、ほう、と淡く輝く。その光は上下に伸びて互いを結び、やがて一つの直線になる。
 地に伸びた一条の輝き。
「きれいだ」
 レオンが見下ろして言い、そこで集中力が途切れて光りは消えた。
「ほんとはまだ、続きがあるんだ」
「あ、ごめん」
「ん? ああ、ちがうよ、俺まだ覚えてないから、できないだけ」
 ぱたんと本を閉じて、ルディオは床に転がった実を拾う。レオンがそれを仕舞い込むと、足音がして、ドアが開いた。イエリアが帰ってきたのだ。
「ただいま」
「お帰りなさいー」
 レオンが応え、その声にヴァイルが目を覚ます。そして首を振ると姿を消した。
「今そこでオウリエさんとすれ違ったから、すぐ帰ってくるわよ」
「じゃあ、荷物作っておこう」
「でも今日はここに泊まって、明日出発だからね」
 イエリアは手に持っていた包みを、大事そうに机に置いた。








□□
 陽がまぶしい。
 がたごとと揺れる荷台で、レオンはやけに大きな陽を仰いだ。
「なんだか、段々陽射しが強くなってくね」
「でも、きつくはないでしょ?」
「うん、強いだけで、熱くはないし……」
「なんか、あるの?」
「王都に近づいているからよ。この先もっと強くなる」
 イエリアは古ぼけた地図を取り出し、二人に見せた。街と街の間を指で押さえて、彼女は言う。
「今、この辺りよ」
「そう、地図にはないけどな、レサトあたりから王都までの道のりを、“天のまなざし”ってみんな呼んでる」
 オウリエが振り向かずに言い、
「天のまなざし? ……それじゃあ、天神の」
「俺は詳しくないけど、だからこの道は、安全なんだよー…おおっと!」
 馬が鳴き、オウリエは危なっかしく手綱を引く。
「前を向いて!」
「向いてるよ!?」
 心外だとばかりにオウリエが騒ぎ、レオンが笑った。




 次にたどり着いた街で、オウリエは一人の痩せた男を連れてきた。
「俺はここで引き返すから、残りの道はこの人に連れてってもらえ」
「誰?」
 ルディオは、一見無表情な壮年の男を、上から下まで眺めまわしてから言った。
「買い付け仲間だよ、心配するなって」
「お世話になります」
「こちらこそ」
 イエリアが丁寧に頭を下げると、その男は優しそうに笑った。
 3人は男の荷台に荷物を載せ替えて、座った。オウリエが、手を振り、イエリアが手を振り返す。
「じゃあ、またな」
「オウリエさんも気をつけて」
 珍しくきりっとした表情で、オウリエが見送るなか、一頭立ての馬車は走り出す。天のまなざしを進んでいく。

 街を過ぎると、右手の奥のほうに高い山脈、左手には草の大地が広がり、似たような景色が続く。
 イエリアは珍しそうに見入っていたが、がたごとと揺れる間隔に、土の匂いと車輪の音は、優しく眠りを喚起させ、レオンもルディオも半分眠っていた。
「シェリアクから来たんだって?」
「ええ」
「オウリエも大概無茶をするやつだが、あんた達も遠くから来たもんだねえ」
「無茶してるんですか、やっぱり」
「あいつから無茶をとったらちゃらんぽらんしか残らんね」
「仲、いいんですね」
 イエリアは微笑み、御者台の男はまあなと小さく答える。
「あいつはあれで根は真面目だからな。兄貴の分も頑張ろうと躍起になってるんだよ」
「そう、ですね」
 イエリアはため息をついて、寝息を立てる2人の顔を交互に見つめた。
(レオンもルディオも、どこまで行くつもりなのかしら)
 シリウスから来たという2人はたぶん、ずっとリゲルに留まっていることはないだろう。王都まで荷物を届けたら、2人について行くのもいいかもしれないとイエリアは思って、口元に軽く笑みを浮かべた。と、不意にレオンが目を覚ます。
「止めて!」
「なんだ!?」
 突然の声に思わず返しながらも男は手綱を引き、器用に馬を制す。
 がたん、と荷台が揺れて、馬車は止まる。そのときにはルディオも起き出していて、無意識にか荷物をつかんでいた。
「どうした、レオン」
「あっちだ!」
「なんだよ? って、おい!」
 荷台をひらりと飛び下りて、レオンが駆け出す。
「待てよ!」
 声をかけながら、ルディオもまた荷台から飛び下りる。イエリアも慌てて荷台を降りると、振り返って言った。
「すみません、ちょっと行ってきます。待っててくださらなくても、いいですから!」
「待ってるよ」
 優しい男の声にうなずき返して、イエリアはルディオとレオンを追いかけた。その先に立ち上る黒煙を見つけて、男はほろりとつぶやいた。
「オリウエの知り合いってのは、あんなんばっかりだ」
 しかし見守る眼差しは優しい。誰が呼んだか、“天のまなざし”。王都へと続く、白く大きい陽が万人を見守る街道で、御者はその大いなる天を振仰いだ。
「あの子らに、主神の御加護のあらんことを」 
 降り注ぐ災厄の重みを知らぬままに生きてゆけるよう。




 レオンが足を止め、ルディオがそれに追い付く。遅れてイエリアが2人に追い付き、はっと息を飲んだ。
「これは……ひどい……」
 なだらかな斜面の下に、その街はあった。点在する石造りの家がどれも崩れ、煙が立ち上っていた。怪我を抱えながら、人々が走り回っている。瓦礫をどかし、ときには押し上げ、誰かの名を呼んでいる。
「何が起きたというの?」
「行こう」
 毅然とレオンは告げて、斜面を降りはじめる。ルディオは荷を背負い直して、それに続く。イエリアは小さく祈りを唱え、2人を追った。








□□
 右膝をつき、左手を地に添えた。膝を、手のひらを砂利の感覚が押し返す。周囲は礫土、草の代わりに砂や小石を含んだ土壌が広がっている。
 これなら、行ける。
 覚えたての真新しい魔術を、脳裏に描く。丸い石、正確な円、一列に並んだ礫つぶて
等しき円礫、規を示せ!
 声に応え、幾つかの石が光を帯びる。ほう、と淡く輝いて、一つの真直ぐな線を結ぶ。
 ぽつり、地に着いた手の甲に落ちる雫。
「……雨?」
 にわかに降り出した雨が、全身を叩く。
 だが、負けじと地面を叩き返す。
均しき円基、とく城を火せ!

 不意に音が止む。
 すべてが緩慢な動きとなって、目の前に繰り広げられる光景。もどかしさに地団駄を踏むは心の中。体が鈍い。動け無い。
(なんだ? どうした?)
 それが純粋に事実をゆっくりと受け止めているだけだと気付くまでに数秒。
 目の前で、鋭利な石塊が現れ地面に突き刺さる。
 音とともに時間はやがて元の早さを取り戻し、砂礫を含んだ湿気った風が地を抜けていく。雨粒が全身を叩く。


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