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奇 跡 の 柱 輝 石 の 柱

第 5 話「 大 地 の 神 の 地 」

――――天 の 祝 福 を 受 け し 者


石の
St

壁と聖職者
one walls and a cleric


―――我々はここに記す
   あまねく輝く星々のもと
   我々が地上へ降りた証








 風がざわめく。
 地を覆う茶色がかった緑の草々が駆け抜けていく風に揺れ、縞模様の濃淡を滑らせていく。
 その上方、何もないはずの空間に、突然人間が姿を現した。短すぎない程度に切りそろえられた茶色い髪が風に揺れた。長めの前髪の下に宿るは意図の読めないブラウンの輝き。その瞳が見つめるのは、地上を動いていく3つの影だ。そのうちの1つは残りの2つに比べやや小さい。
 彼らは真直ぐ北上していた。
「やっぱり抜けたか。……このままでは市街地に入るな。まあいい、先回りさせてもらおう」
 身体を宙に浮かせたまま、その人間はつぶやくと、腕を一振りした。現れたときと同じように、不意に姿が見えなくなる。
 風がざわめいた。何事もなかったかのように、すでに時は動きだしている。








□□
 森から離れるに従って、樹々の背は低くなっていった。
 遠くに家々の輪郭が見え始めていた。草々に覆われた地表が、やがてまだらになっていく。
 街を目前にして、草の大地は終わる。そこから先は、石を敷き詰めた道が始まっていた。
「到着!」
 石畳の道に一歩踏み出したところで、ルディオが立ち止まった。拳を握りしめて、両の腕を頭上に掲げる。大きく伸びをひとつ。力を込めて背を伸ばし腕を下ろすと肩の骨が鳴った。
「んー! やっと着いた、街だ!」
「そうだな、ヒトの住む街だ」
 ヴァイルが低い声で応え、同じく石畳に足を踏み入れようとしていた竜の子に、ちらりと目をやる。レオンがその視線に気付いて森の妖精を振り返った。
「ヴァイル?」
「私はこの姿では街に入れないからな」
 そして姿を消す。
 ずっとずっと昔、妖精も精霊も竜も同じだった。その頃のように精霊の姿に戻ったエルフの気配は、同じ自然界の命を抱くレオンにだけ伝わる。レオンには、ヴァイルもまた石畳へと踏み出したのが、見えた。
「行こう、ルディオ。まだ到着じゃないよ」
「わかってる」
 短い影が前方にのびていた。2人は自分のその影を踏むようにして歩き出す。

 道に沿って行くと、人の声が聞こえてきて、すぐに大通りに出た。通りの左右に立ち並ぶ石造りの建物にはさまざまな看板が下がり、その下をさまざまな人が行き交う。鮮やかな赤のゆったりとした布を腰に巻いた女性、長い銀糸の髪を大雑把に結い上げた女性、闊達そうな初老の男性。深い青の宝玉を両肩に6つずつあしらった少女、はしゃぐ小さな子ども達と、穏やかな母。若い父親に手を引かれたあどけない娘、二人連れの陽気そうな青年。
「ヒトがいっぱい……!」
 レオンが物珍しそうに彼らを見やれば、
「俺だってこんなにいろんな人見たの初めてだ」
 好奇の眼差しでルディオも彼らを見やる。
 その行き交う人の流れの片方に乗るように、レオンとルディオ、ヴァイルの3人はその通りを歩き出した。頭上のあちらこちらに掲げられた看板は大抵が木造りで、その温もりのある色に留め具や飾りの鉄の黒さが混ざって、厳めしさが滲む。形はさまざまで、それぞれの店の特徴を良く現す小物が形作られていた。例えば靴、例えば帽子、例えば剣。そして食べ物や飾り、花びら。
 大通りには、幾つものの小さな道が面していた。レオンがひょいと覗き込んだ道には人通りは少なかったが、ちょうど誰かが店から出てきたところだった。
「あのお店は、なに?」
「どれ?」
「ほら今、人が出てきたところ。あ、また出てきた」
 レオンが示すほうをルディオがやれば、その店に掲げられた看板は、二重の円、それを貫くかのようにツルハシと剣が交差する図柄だった。
「なんだろな、道具屋か鍛冶屋か、じゃねえ?」
「じゃ、行こう」
「え、ちょ、じゃ、ってお前そんなのに用無いだろ!」
 レオンがさっさと細い道に入っていくのを、慌ててルディオは追いかけた。姿を消しているヴァイルは行き交う人にぶつからないように器用に避けながら2人のあとに続く。
 レオンは店の前に立ったが、中の様子はうかがえなかった。恐る恐るドアに手をかけ、そっと押し開く。中は暗かった。外の明るさなど微塵も感じさせない真っ暗闇だ。レオンに続けてのぞきこんだルディオが、
「なんも見えないな」
 と、一言評す。
 ヴァイルが追い付いたのを気配で感じてから、レオンは店のなかに一歩踏み出した。ルディオが入り、ドアが閉まる。その隙間を縫うようにヴァイルも滑り込んだ。しばらくもしないうちに、目が慣れてきたのか、ほんのりと明るさが増していく。
 そのとき突然、明かりが点いた。
 否、誰かが窓の覆いを取り払ったようだった。さっと陽の光りが内部を照らし出す。
「すげえ……!」
 そこは、まるでどこかの資料室のようだった。大小異なる書籍が整然と棚に並び、さまざまな種類の博物標本が積み重ねられ、それに日用雑貨や何に使うのかわかららないようなものまで、ところ狭しと置かれていた。床にはほんの少しだけ、歩くだけの小さな隙間が残っているばかり。
「何をお探しかな」
 奥から声がして、品々を眺めやっていたレオンとルディオはそちらを向く。
 人の良さそうな壮年の男性が、きちんとした身なりでカウンターと思しきテーブルの向こうに立っていた。親切そうな笑みを浮かべながら、指示を待っているかのようだ。
「え……っと、特に探してるものとかは、なくて」
「そうだね、そういうお客さまも時々いらっしゃるな。だが、これが欲しかったと思うものがここには必ずある。ゆっくり見ていってくれていい」
 男性はそう言いながら、カウンターの横の戸を開き、こちら側に出て来た。
「私の名前は、カタロシー。見たところ君は魔術師だね、シリウスから来たのかな?」
「うん」
 答えながらとっさに、ルディオは警戒体勢をとっていた。魔術師院の者だけが着用するローブを着ているからと言って、出会い頭に自分の素性を探ろうとするような人は危険だと、本能が言う。探るように、問いを発する。
「知り合いにも、魔術師が?」
「いるね。数は多くないがな」
 答えながら、カタロシーは本棚に手を伸ばしていた。
「魔術師が好むのは、このあたりの棚だな。手が届かないなら、ほら、この梯子を使うといい」
 本棚の隅っこに置かれていた梯子は、天井と床に敷かれたレール上を動くようになっていて、カタロシーがそれをがががと引っ張った。少しだけ埃ほこりが舞って、そばに重ねられていた何かがひっかがって、それがあった一山がおもむろに崩れる。
「あ……!」
 ルディオが声をあげると、カタロシーはそれでやっと気付いたように、崩れたほうを見やった。
「あーあ。さっき積んだばっかりだったのに……」
(いや、自業自得だろ)
 しかしルディオの胸中のつぶやきは彼には届かない。レール付きの梯子をルディオに預けると、カタロシーはそれを片付けにいく。
 ルディオは言われた棚へと梯子を引っ張った。金具をいじって固定させてから、梯子を登っていく。並べられている本は、背表紙だけでは何が書いてあるのかさっぱりだった。ルディオは適当な一冊を取り出して、中身を確認し始めた。シリウス島・リゲル大陸での共通語で綴られた中、見慣れない言葉も混ざっている。
 ルディオが本棚に係りきりになっている間、ヴァイルは博物標本を、レオンは日用雑貨を見ていた。竜の子にとっては、ヒトの営みに使われる種々の品々が珍しい。あれもこれもとひっくり返し、読めもしない文字を追っていく。それでもなんとなく、言いたいことはわかるような気がした。
「あー!」
 不意にルディオが素頓狂な声を挙げて、レオンも、ようやく積み直し終えたカタロシーも、本棚のほうへと目をやる。
 ルディオは本を片手に梯子を降りて、近づいてきたカタロシーに、それを見せた。
「ほらな、見つかっただろう?」
「これを、どこで?」
 自慢げに胸を張るカタロシーに、ルディオは努めて冷静に、言った。
「知ってどうする?」
「聞いてるのは俺だ」
「そうだね、お客さまは君だ。つまり君がシリウスから来たように、モノもヒトも流通するってことだ。それもそのひとつだよ」
 いわくありげに、それでいて柔らかく、カタロシーが答える。そういえば、とルディオは表の看板を思い出した。二重の輪を貫くかのように、ツルハシと剣が交差した模様。それは道具を扱っている店のように見えた。
「ここは、何の店だ?」
「見ての通りだよ」
「だって、表の看板」
「ああ、あれは前の店から持ってきたやつだ。以前は鍛冶屋もやっていたからな。だがあれだ、前の戦いくさだよ、あれのおかげで店は全焼、残ったのは看板ひとつに屑鉄ばかり。それでこっちに引っ越してきたってわけだ」
「ふうん」
(前の戦? 何のことだ?)
 疑問に思いながらも、片手に持った本に目を落とす。これは、できれば買っていきたい。
「いくらだ?」
「……そういうときは、これこれの値で譲ってくれと言うものだよ、少年」
「じゃあ、えーと、800で」
「安すぎるな。8万」
「はちまん!? それは高すぎるだろ!」
(そういや俺、持ち合わせあるのか?)
 改めて確認する間でもなく、大した荷物は持っていない。シリウスからはほぼ着の身着のままで出立したから。どうにもならないと思っていながらも、ルディオは思わずレオンを振り返った。
「レオン、まさかお前……持ってないよな?」
「お金はないけど、種とか枝とかなら」
「枝?」
(光の森から持ってきたんだ)
 こそりと耳打ちして、竜の子がそっぽを向く。
(なんだか安心するような気がしてたんだ。でも、森から遠ざかるにつれて、何も感じられなくなって……でも捨てられないし)
「見せてみろ」
 レオンが取り出したのは、何の変哲もないような、木の実に木の枝。
「駄目か……」
「いや、待てよ、それ見せてごらん」
 レオンの手のひらに載せられたものを横から盗み見て、カタロシーが言う。レオンが手を差し出すと、ポケットからルーペを取り出し、丁寧に枝の一つを手にとる。
「それこそ聞きたい、これを、どこで?」
 レオンとルディオは互いの顔を見合わせた。それは言えないと、すぐに2人は結論を出す。二人は黙ったまま、カタロシーの次の言葉を待った。
「よし、私がこれを買おう。少年、その本はこの対価よりも多少安い。ほかに入り用な物は?」
(この本よりも高い、ってその木の枝なんなんだよ?)
 レオンのもたらした思わぬ幸運を喜びながらも、ルディオは慎重に聞き返す。
「あと、どれくらい」
「そうだな、君が必要なもの一揃、そちらの少年が欲しいもの何かひとつ、ふたつ、というところだ」
「じゃあ僕、これ欲しい」
 レオンは、床から小さなペンダントを広いあげ、カタロシーに見せた。銀づくりの、竜の姿をした大きめの飾りペンダントトップが付いている。
「よし、いいだろう。君は?」
「待って、探すから」
 ルディオはレオンを伴って、日用品の置かれたほうにゆく。
「何が要るかな?」
「容れ物?」
「あ、それ必要だ」
 ほかにも着替え、日持ちしそうな食糧、少しばかりの武具も拾い上げて、カウンターに向かう。
「じゃあ、これとこれとそれとあれとこれと……まあ少しオーバーするがいいだろう。では、売ったぞ」
「買った!」
 質のよい背負い袋に全てを詰めて、ルディオが担ぎ上げる。荷物は思ったよりも軽い。レオンはペンダントを首からさげた。ヴァイルはずっと見やっていた博物標本から離れて、2人に続く。3人は店を出た。
 陽が高くなっていた。
 やけにまぶしい陽に目を細めて天を見やる。真っ白な陽が、不意に大きな存在のように感じられた。








□□
 細い道の奥にあったカフェーで軽食をとって、どこか泊まるところを探さなければということで、3人はまた大通りのほうへ向かっていた。昼も過ぎて、大通りのほうは、更ににぎわいでいるようだった。
「なんだろう? さっきより騒いでるな」
「ヒトの数が増えただけだろう」
 声だけでヴァイルが答える。そうかなあと首をかしげて、
「見に行こう!」
 ルディオは駆け出していた。体を動かすのは気持ちいい。
「ルディオ!」
 レオンが静止の声を叫んだが、耳には入っても体の勢いを止めるまでには至らない。
 その数秒後には、路地から大通りへと飛び出していた。
 不意に、横に現れる影。すぐには勢いを落とせずに、そのまま。
「えっ?」
「きゃ!」
 どん、とぶつかって、ルディオはよろめき、体勢を直そうとして失敗し、仰向けにごろんと倒れた。弾みで荷物が地面に叩き付けられる。
「いってえ……」
 上半身だけ起き上がると、正面には、座り込んだ女性の姿。まだ若い。同じくらいか、年下か。女性は白っぽい衣裳を着て、座り込んだままこちらを見ていた。
「大丈夫ですか?」
「あ、うん」
 それが自分がぶつかった人だと気付いて、ルディオは慌てて立ち上がり、女性のそばに寄った。
「そっちこそ、怪我とか」
「いえ、大丈夫よ」
 そのときにはレオンも、ヴァイルも駆け付けていた。レオンが心配そうに、ルディオと女性とを見比べた。女性がレオンに気付き、ルディオとレオンを見比べる。
「不思議な組み合わせね」
 女性がぽつりともらしたその一言にどきりとして、ルディオはまじまじと女性を見つめた。幾何学的な模様をあしらった長いひだスカート、あでやかな上着に、白い衣を纏う姿は、質素で清潔で、どこか神聖さを思わせる。
(聖職者? レオンが人間じゃあないって、わかるのか?)
 女性は埃を払いながら立ち上がった。長い茶色い髪を背へと流して、女性がにっこりと笑う。
「移動しませんか、みんな見てますよ」
 ざわめきが起きて、ルディオは周囲の視線に気付いた。自分たちの周りに人だかりが出来ていた。通りの真中で転んだ2人を面白そうに見つめる眼差しに、瞬間体が熱くなるのを感じる。女性が歩き出すと、人垣の一部が崩れて道が開けた。ルディオは遅れないように慌てて追いかけ、レオンと、姿を消したままのヴァイルがそれに続いた。
 人だかりからだいぶ離れた頃、女性は振り返って言った。
「私、イエリアと申します」
 思わず答えを渋って、ルディオは名前を言うのを一瞬躊躇した。その無言の答えに何を思ったのか、イエリアと名乗った女性は何も言わずに、肩をすくめただけだった。
 しばらく歩いて、それから横の道に入った。
 日陰だった。ひんやり冷たい空間。石造りの建物の壁は冷えきっていて、さきほど恥ずかしさで熱くほてった顔をそこに当てると冷たくて気持ち良かった。
「こちらです」
 イエリアにうながされて、ルディオはそちらへゆく。何もない空間に消えていくように見えたのに、そこにはちゃんと入り口があった。ルディオ、ヴァイル、レオンの順に入り口をくぐると、イエリアは最後に入ってドアを閉めた。








□□
 両手を胸の前で組み、静かに祈りを捧げる少女と少年の姿があった。正面には小さな女神像が置かれ、その両脇にはろうそくが並んでいた。火は灯っていなかったが、高い位置にある小窓から、幾すじもの光が差し込んできていて、荘厳な光景をつくりだす。
 光は、片膝をついてひざまずいた少女達と、彼女らの周囲の床に降り注ぐ。質素で堅牢な神殿の内部が、光を浴びて白くかすんでいた。
 コツ……コツ……コツ……。
 近づく足音に気付いて、少女らは顔をあげた。開いた眼差しに、小柄な女性が映る。
 女性は神像に短く祈りを捧げると、振り返った。
「あなた方のどなたかに、お願いしたいことがあります」
 女性独特の深みを持つ美しい声が、響く。
「これを」
 差し出されたのは、小さな包み。
「どなたかこれを、王都まで届けていただけますか」
 沈黙が神殿のなかをしばし支配する。女性はしかし、自分から誰かを選ぼうとはせず、ただ誰かが手を挙げるのを、待っていた。
 そこにいるのは様々な人間。大抵が若い女性で、それから少年期を過ぎた若い男性。その一人一人の顔を追っていくと、誰もが顔を背けるのを、女性は少し悲しく思いながら見ていた。
 長い沈黙ののちに、一人の少女が、ややためらいがちに申し出た。
「私わたくしが、参ります」
「では、貴方に」
 小柄な女性は足取りも気高く少女に近づいた。包みをそっと渡して、ささやく。
「お願いしますね」
「はい、お預かりします」
 少女が頭を下げると、その上に美しい声が落される。
「長い、旅になるでしょう」
 女性はそして、来たときと同じように、高い足音を響かせながら、その場を後にした。
 少女らは祈りを続けた。
 差し込む光が彼女らに降り注ぐ、まるで祝福するかのように。


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