焦が
Inれ地
.his natal place
頭上には満天の星空が広がっていた。
冷たい夜風が吹いていく。
レオン、プアジェ、ルディオ、エニィの4人は、荒れた大地を進んでいた。地面には様々な背の低い植物が生えているが、ところどころ焼けたような跡もあり、草のない地肌を見せている。黒くすすけた土は、もう何年も前のもののように見えるのに、どことなく新しい。
港町アルタイルを出てまっすぐ南に下っていく途中地点に、4人はいた。
街を外れてまもなく塗装された道が終わり、点々と残る石畳もやがて消え、土の道になる。それもいつしか周囲の地面に溶け込んでしまい、今はただプアジェとレオンの感覚、それと陽や星の位置を頼りに南へと下っていた。
その途中に忽然と現れた、荒野。
(まだ残っているのか……)
一番後ろを歩いていたエニィがしかめっ面をしたことに、他の3人は気付かない。
「なんだろう、ここ。ただの荒れ野原じゃないよな」
「埋もれてるけど、ここは確かにヒトの匂いがしてるよ」
微弱ながらもヒトの営みの痕跡を、竜の鋭い嗅覚がかぎつける。家の間取りのように区切られた石の線が、あちこちに草の影に隠れながらあった。踏めば硬い、それはたぶん人家の跡。
「捨てられた街? 何があったんだろう。人が住んでたんだろ?」
ルディオがぐるりと周囲を見渡す。振り返れば、アルタイルのほうに小さな灯りがいくつも見えている。前方にはただ暗い、夜が横たわっている。そして足元には、背丈のない植物が、地面に食い込むように残る瓦礫を覆いつくすかのように生えている。
この辺り一帯は、以前は街があったのだと、エニィは知っていた。ラセルタの街。確か、そんな名で呼ばれていた。決して大きくはなかったが、周囲の豊かな自然と肥えた大地に恵まれていた街。隣の港町アルタイルとも交流があり、人の行き来も盛んだった街。それはほんの10年前までのことだ。
今はただ、荒れた大地を残すだけで、街はその原形を留めていない。人の気配も全くない。10年前、何もかもすべてが焼かれてしまったからだった。
その記憶を内包するように、頭上に満天の星空が広がっていた。
港町から遠く離れたこの荒野にも、潮の香りを運ぶ風が通り過ぎていく。
□□
半日歩くと、森はもうすぐそこまで迫っていた。
ヴァイルを迎え、エニィが抜けて、やはり4人になった一行は南下を続けていた。
(あと、すこし)
レオンは夜の空を見上げる。頭上には満天の星空が広がっていた。つい先日、人間二人と妖精と自分とで見上げたその空の下を、今は自分と妖精二人と人間一人とで歩いている。
ヒトの姿をまとって歩く、という故郷ではあまりしない動きにも、もうずいぶんと慣れた。
横に並んで歩いている小さな妖精の存在が、自然界に近い息遣いがそれでも今はただ心地いい。
海岸線も見えないこの地に時折吹いてくる風は、レオンには馴染みの浅い生臭い草の匂い。
ふわり、とまたひとつ、膨らんだ風が抜ける。
レオンはふと、その大気の流れにかすかに違う匂いをかいだような気がした。すぐ隣で、やはり何かに気付いたように、ヴァイルが鼻に手をやる。
「なに、今の」
プアジェが不安そうにヴァイルのそばに寄る。最後尾を歩いていたルディオが、他の3人の不安に気付いて、足を止める。
ヴァイルが、はっとしたような表情を見せた。
「走れ!」
誰の顔も見ずに叫ぶ。言葉と同時にヴァイルが駆け出すと、つられるように、レオン、プアジェ、ルディオも走り出した。
地面を覆いつくす様々な植物を踏み付けて、走っていく。折られた茎が、ちぎれた葉が、そのあとを舞う。何も無い草原を駆けていくと、正面から夜風がまともにぶつかってくる。息ができないくらいの、強い風。目に見えない分厚い壁が、身体を押し返すかのよう。
4人は走り始めてまもなく速度を落としていき、やがて立ち止まった。風が強い。息はさほど上がってないのに、風の勢いで前へ進めない。
「なんなのよう、これ! どうしたのシルフ達?」
飛ばされそうになりながら、プアジェがレオンにしがみつく。竜の子はしっかと足を踏み締めて、懸命に大地に立っていた。もう一人の妖精の姿を近くに認めて、レオンが手を差し伸べる。
「ヴァイル!」
「ちがう、これはシルフなどではない」
そのレオンの横へと近付きながら、ヴァイルは拳を握りしめる。
「夜の冷えた風を住処とする、姿のない獣だ」
「見えないの?」
「身体が不安定なんだ。だから風に住みつく。厄介な……魔獣だな」
「状況は?」
ルディオがヴァイルに追い付きながら、声をかけた。
「囲まれている」
こともなげにつぶやいて、ヴァイルは辺りに視線を巡らす。
(ざっと……十数匹といったところか。まずいな)
不意に風が止んだ。それが何かの前兆だと無意識に気付いて、プアジェが身を強張らせる。
「なに?」
「まずい!」
ヴァイルが身構える。
そしてまた風が、一斉に起った。地面をえぐるように吹きすさぶ。強い突風が抜けていく。
「風に流されるな! 己を見失うことになる!」
ヴァイルが、風に向かって駆け出す。思うように前に進めない。走っているつもりなのに、身体が後ろへと押されていく。こんなところで挫折するわけにはいかないのに。
ヴァイルが振り返ると、レオンの水色の瞳が、まっすぐにヴァイルを見つめていた。
唇に、深い声音が載せられる。
「風が、それの住処なんだね……?」
「そうだ」
「……僕から離れて、先に行ってて」
「何を考えている」
レオンは答えなかった。風に抗あらがいながら、ヴァイルを先頭に、プアジェとルディオもレオンから離れていく。
充分に距離ができたのを確認し、レオンは目をつむった。
――思い起こせ、大空を。
心を澄まし、懐かしい優しい風を思い描く。徐々に身体を高揚感が包み込んでいく。レオンの周りにはやがて、不思議な空気の流れが起こりはじめる。
その流れが風となって、竜の子の小さな身体を見えなくなるほどに取り囲むと、大気の流れは光を伴った爆風に変じた。
夜空に青白い閃光が瞬く。
音に驚き3人が振り返ったとき、レオンがいた場所に、何か大きな生き物が、首をもたげるシルエットが浮かび上がった。
世界で最も大きな生き物、竜だ。
爆風の中から現れたのは、一頭の空色の竜だった。透き通るような鱗が、暗い闇夜とそこに瞬く星々の光りを映し出している。まるで大地に現れた夜空の欠片。
「飛翔竜……なのか」
ヴァイルはその巨体を蔑むように見つめた。
「だが子どもでは、魔獣には勝てぬ」
つぶやきの間に、レオンは行動を起こしていた。一声咆哮すると、翼を羽撃はばたかせ、空へと舞い上がる。その余波にものすごい土煙が沸き起こって、3人は慌てて目をかばう。その姿は、夜空と一体化したかのように、すぐに見えなくなる。
そのレオンを追うように、夜の風もまた一斉に上昇をはじめる。空での戦いが、はじまった。
互いに相手を傷つけんと、鋭い風を送り込む。レオンが夜風に噛み付けば、夜風はレオンの翼を狙って吹き抜け、その背を飛び交う。その戦いは、レオンがやや押され気味だった。銀色の風をまとう風竜ならいざしらず、空竜の、それも子どもの竜が風を競うことは多大な体力を必要とした。
(レオンがやばい!)
その雰囲気は、地上にいる3人にも伝わってくる。
「このままじゃレオンがやられてしまうわ」
焦るプアジェは、しかしどうしたら良いのかわからない。それを見て取ったヴァイルが、力強く叫んだ。
[シルフよ! お前たちの空を犯す異質なる風を鎮めよ!]
辺りの大気の気配が変わる。
ふわりとした風に押し上げられて、ヴァイルの暗褐色の髪も、プアジェの金色の髪も、ルディオの短い茶の髪もゆらりと舞う。
大気の精霊は3人のまわりを一周すると、ヴァイルがまっすぐ上げた左手に導かれるように、高く空を目指す。
シルフは異質な夜風に取り付いて、その動きを封じようとする。夜風がいくらもがいても、シルフはそれを離さない。風に近いのは大気の精霊たるシルフのほうだったから。相手を完全に包み込むと、不意にシルフは風に溶け込む。それは穏やかな風となって、夜空の下を流れはじめる。
不意に弱まった風のなかで、レオンは巨体を浮かべることを維持出来なくなった。羽撃くほどの余力は残っていない。ゆっくりと自由落下を始めた巨体が、それでも弱い風に守られながら、徐々に高度を落としていく。下からの風に、躯のあちこちに受けた傷が痛んだ。
レオンは崩れ落ちるように地上へと着地した。空色の風がその躯をなで、ヒトの姿へと変化させる。それが精一杯だった。
「レオン!」
3人はそばへと駆け寄り、プアジェがひざまずいてレオンを抱える。意識が無くなりかけている。
「レオン! レオン! しっかり!」
「ともかく森へ。森へ行けば、おそらく何とかなる……」
ヴァイルが傷ついた竜の子を見下ろしながら言い、プアジェに手を貸すようにしゃがみ込む。しかし身体の小さいエルフには、力無く倒れ込んだレオンを、その自分の背丈よりも大きな身体を抱いて歩くことができない。
ぼうっと立ちつくしていたルディオが、ヴァイルに促されるままゆっくりとレオンを支えた。遠くを見つめ、眼差しも朧おぼろに、そっとつぶやく。
「僕は大丈夫だから……」
3人はゆっくりと、気持ちばかり急いて歩き出す。すぐそこ、前方に森の入り口が見えている。あと、少しの距離なのだ。
そのとき、大気の精霊から器用に逃れた一つの夜風が、レオンめがけて飛びかかった。突風はレオンを抱えていたルディオに直撃し、ルディオがまともに吹っ飛ぶ。とっさに受け身をとりながらも地面に激しく打ち付けられて、その痛みに自分を取り戻したルディオは、よろよろと立ち上がった。
「いってえ……」
夜風はどこだと周囲を見渡せば、視界の片隅にレオンを抱き上げようとする3人のエルフの姿が映る。
「ルディオ手伝って! 早く……早く森へ!」
澄んだ高い声が聞こえてくる。そして反対の耳へと抜けていく。記憶にとどめるつもりなどない。ルディオは、昼間の出来事を思い出していた。ヴァイルを襲っていた黒い鳥を、エニィの魔術があっという間に消し去った。
「あのくらいの魔術……俺だって使ってみせる」
自分に言い聞かせ、あのときのエニィの呪文を、なるべく正確に発音しようと頭の中で反すうする。それは簡単な単語の連なりだ。再びこちらに向かってこようとする夜風をしっかりと視界にとらえ、照準を合わせる。右手をかざす。
「我が……我が燃ゆる炎!」
右手首にはめられた輝石が青く輝くか早いか、一瞬にして相対する風が炎に包まれる。勢いが衰えながらもそれは、しかしまっすぐにルディオに突っ込んできた。
ルディオは辺りが熱くなるのを感じた。魔術が発動した時、とっさに火力を弱めてしまったことには気付いていない。
[ナイアードよ!]
エルフの声が響き、熱気がおさまる。声のしたほうに顔を向けると、ヴァイルが左手をこちらに向けていた。何かの精霊の力で、助けてくれたのだとわかる。ルディオは右腕に小さな火傷を負ったが、その痛みは感じなかった。
ルディオは急いでレオンのもとへと走った。プアジェがたった1人で、引きずるようにレオンを運んでいた。それに手を貸して、前方の森めがけて走る。
「急げ、奴はまだ消えてはいないぞ」
半ば転げるようにして、森へと飛び込む。後ろを振り向くと、小さな竜巻きがこちらを見つけ、まっすぐ突進してくるところだった。
[森よ! お願い、我々を守って!]
[奴を止めて欲しい!]
プアジェとヴァイルが同時に叫んだ。2人の言葉に反応するように、森が淡い光で満たされていく。優しい風が頬をなで、次々に森から飛び出していった。風はやがて竜巻きを飲み込み、その勢いを鎮めていく。
辺りを舞っていた木の葉が足元に落ち、まもなく静寂が訪れた。森の輝きだけは、なお消えることなく。どっと疲れが押し寄せて、ルディオはその場に座り込んだ。知らない魔術を予備動作もなく発動させたことで、それ自体完全ではなかったのに激しく疲労していた。
「休んでいる暇はない」
ヴァイルはレオンの腕を取り、抱えた。ルディオはレオンが傷だらけなのを思い出して、ゆっくりと立ち上がる。
「大丈夫だよ」
心配そうなプアジェにそううなずいて、ヴァイルに手を貸す。
「森の奥に、泉があるの。命の水で満たされたその泉は、どんな傷も疲れも癒してくれるから、そこへ行きたいの」
プアジェが指差す方向には、ルディオは何も見出せなかった。それでも示されるままに、レオンを抱きかかえて歩き出す。すでに意識のないレオンの身体は、想像以上に重たい。
目を閉じたままの竜の子が、どれくらい苦しいのかもわからない。
(早く、治してやらないと)
森の奥にあるという、その泉に、早くたどり着かなければ。
[ドライアードよ……我々を泉へ案内して]
プアジェが樹の精霊にそう呼び掛けた。森のなかの淡い光が、4人の身体を包み込んでいく。やがて何も見えなくなる。
□□
夢を見ていた。鋭く、かん高い悲鳴が聞こえる。物の焼ける焦げ臭い匂いがする。前方でぱっと火の粉が弾け、誰かが「助けて!」と叫んだ。
どうしてよいのかわからず、その場に立ちすくむ。背中を押され、駆け出すが、何処へ行ったらいいのかわからずに足を止める。後ろで爆発音がして、振り向くと家が燃えていた。生まれ育った場所を、炎が容赦なく包み込んだ。
あの中にはまだ家族がいたはずだと、頭の片隅で思う。反射的に走り出そうとして、誰かに腕を掴まれる。
「行っちゃだめ」
相手の瞳にすいこまれたように息を飲む。青い瞳の中に、自分の姿が映って見えた。
夢を見ていた。低く、響き渡る悲鳴が聞こえる。物の焼ける焦げ臭い匂いがする。前方に火の手があがり、誰かが「逃げろ!」とどなった。
何処へ行けばいいのかわからず、あたりを見渡す。何もないところをめざして駆け出すが、地を這う根に足をとられその場に転ぶ。目の前に大木が倒れてきた。後ずさると何かに触れた。まだ温かかったが、全身に火傷を負ったその者は死んでいた。
もう嫌だと、もう一人の自分が勝手に思う。反射的に戻ろうとして、誰かに腕を掴まれる。
「そっちじゃない」
相手の声を認識できずに息を飲む。白銀の瞳の持ち主は、直接心に語りかけてきたようだった。
□□
男は、森の中を歩いていた。片手には愛用の弓を持ち、背に矢筒を背負い、横に愛犬を従えて。
彼はもう何日も獲物を追っていた。巨大な影をちらりと見ただけだったが、それで充分だった。
(俺はあいつを仕留めるぞ)
男は大物を捕らえて帰るという使命感に燃えていた。だが村に帰る約束の期日を、一日だけ過ぎていたから、今日捕まえられなかったら、一旦村へ戻るつもりでいた。
そのとき、愛犬が低くうなった。
「しっ、静かにしろよ? うん、わかった。そこにいるんだよな?」
男の声に、犬は尾を振って答える。男はそろそろと背に手をやって、弓に矢をつがえた。犬が見据える先をじっと見て、構える。
前方の樹々の間から、不意に影が踊りでる。
男は狙いを定め、力一杯矢を放つ。しかし影は矢をかわし、なおも跳ねた。男は続けて矢をつがえ、慎重に獲物を見やる。
それは、不思議な生き物だった。黒っぽく、大きいようでいて人の背丈ほどもない生き物。
(なんだ……? 獣じゃないのか?)
一瞬だけ、集中が途切れた。
次の瞬間には、男は自分の身に何が起きたか、わからなかった。直後に足に激痛が走り、派手に転ぶ。右脚に何か刺さっていた。滲み出る血は暖かく、生々しい。
「……!」
とっさに自分が陥った状況を知り、男は恐怖に身を震わせた。見知らぬ生き物が、凶悪なそれが森にいる。
(村に、知らせなければ……!)
男は血に濡れた服を歯で噛み切って破ると、犬の首に巻き付けた。
「行け、村まで戻れ。サジェンかグラッセイにこれを届けるんだ。早く行け!」
猟師仲間の名を、愛犬に告げる。犬は心配そうに主の手を嘗め、それから主の危険を見てとって、駆け出す。だが幾許も進まないうちに、犬が炎に包まれた。
「な……!」
犬の悲鳴が、炎のなかに消えていく。気付けば、「それ」が目の前にいた。
「どこにいるんだ……!」
そんな声が頭上から降ってきた。顔は見えない。金縛りにあったように、全身が地に着いたまま動かない。何か熱いものが頬に触れる。男の意識はそこで途切れた。