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奇 跡 の 柱 輝 石 の 柱

第 4 話「 光 の 森 」

――――意 思 継 ぎ し 赤 き 瞳


褐色
A.

の肌の妖精
dark-elf


 真っ白な羊雲が、空を一面に覆っている。青い空を駆けてゆく天の羊の群れ。
 白い穏やかな大群のその下に、突如、叫び声がこだます。
「……!」
 何を言っているのかはわからない。しかしその声は酷く緊迫している。
「何だ?」
「行ってみよう」
 エニィが答えるよりも早く、ルディオは駆け出していた。短い茶色の髪が風に乗る。同じく駆け出したエニィもまた短い茶色の髪をしている。その後ろ姿と、ルディオのそれとが同じで、思わずプアジェがささやく。
(不思議。似てるわ、あの二人。だから一緒に行くの? 同じ姿の人と?)
(たぶん……安心するんじゃないかな)
 竜の子は水色の長い髪をなびかせた。風を切って走っていくのは気持ちいい。そのまま竜の姿をとって、大空へと羽撃はばたきたい欲求に駆られる。
(わかってるよ)
 レオンは自分にささやいて、前をゆく人間達を地を蹴って追う。

 急勾配の道を登り切ると、一気に視界がひらけた。
 ぐん、と見渡す限りの草原。まだらに木が生え小さな茂みをつくり、淡い緑の大地が広がっていく。そしてずっと向こう、地平線へと続くように深い緑が見えている。森だ。
(あれが光の森よ……!)
 嬉しそうにプアジェが歌う。
 しかしそれを遮ってルディオが叫ぶ。
「あれだ!」
 緩やかな下り坂を目で追って行った先に、なにか黒いものがいる。飛び上がり飛び跳ね落ちてはまた舞い上がる。鳥のような影を持つ黒い何かが、誰かを襲っている。
「あれは……この前の!」
 言うが早いか、まっ先に駆け出そうとしたルディオを、しかしエニィがつかんで止める。そしておもむろに呪文を唱えた。右手をかざす。
我が燃ゆる炎!
 アセト・レデアルと呼ばれる古い言葉が、その名を持つことをあまり知られていない、魔術師達の言葉が、場を突き抜けて、飛ぶ。
 前方の黒い影が、ぼっという音とともにいきなり炎に包まれる。火はすぐに消え、黒炭のようになったそれが、地にどさりと落ちた。
「すげえ!」
 ルディオの歓喜の叫びの間にも、次々にエニィが呪文を唱えていく。
 空を舞っていた影すべてが落ちたのを確信してから、エニィはルディオをつかんでいた手をようやっと離した。
 すぐさま、ルディオは走った。黒い鳥に襲われていた人に向かって、一気に坂を下っていく。レオンがその後に続き、長いくすんだ水色の髪が風に踊った。








□□
 屋根の下に入ると、潮風が少しおさまったような気がした。
(ん?)
 レオンをつれて宿に戻ってきたルディオは、帳場に誰かいるのに気付いた。あまりに人の気配がしないから、昼間は誰もいないのだと思っていたのに。
 こちら側と帳場の中側とに二人。何かを話している。
 2階へ続く階段を登りかけて、なんとはなしにその会話を聞いていたルディオは、気付いた。
「エニィ!」
「……おう、ルディオか」
 振り向きざまに、その黒装束に身を固めた人物が言う。セファル・ホーシズの秘密をルディオに教えた、エニィ・オイヴだった。
(ルディオ!)
(なんだよ、大丈夫だよ)
 見知らぬ人間に警戒するレオンを押し退けて、ルディオは階段の手すりから身を乗り出す。
「何してるの?」
「勘定だよ、今日ここを発つからね」
「もう?」
 思わず、聞いていた。まだ一緒にいられるのかと思っていた、それがもうどこかへ行ってしまうというのか。
 ルディオは、それから気付いて言い直す。それはもうほとんど賭けだった。
「エニィは何処へ? 俺たちは光の森に行くんだ。よかったら……」
(ルディオ!)
 レオンが怒ったように強く言っても、もうその賭けは動き出している。
「そっか、行く方向は一緒なわけだ」
 エニィが賭けを拾いあげる。その意外そうな顔が、一緒に行ってもいいと告げている。
「それに、俺たちもこれから出発するところなんだ」
 ルディオがあと一押しとばかりに付け加える。その言葉は嘘ではない。出発の準備のためにレオンを探しにいったのだから。
「へえ。じゃあ同行させてもらおうかな」
(やった!)
 ルディオの顔が輝く。エニィは荷物を持ち上げると、帳場の台に置いた。
「もう少しだけ預っててもらえるか?」
「今日中ならね」
 宿の女将がおかしそうにうなずいた。








□□
 点々とできた小さな茂み以外何もない草原に風が吹くたび足を取られそうになりながら、座り込んでいたその人に近付く。
 長い黒髪に、小さな背中。
(子ども……?)
 ルディオは不審に思いながら、その小柄な人に近付いていった。
「なあ、大丈夫か? 怪我したの?」
 その人は、両手首に包帯を巻いていて、左手を右手で抑え込むようにして座っていた。
 ルディオが声をかけると、ゆっくりと立ち上がり、顔を上げた。小さな背丈で、気丈に立つ。ルディオと目が合った。深い、すいこまれそうな深紅の瞳をしていた。黒く長い髪が、草原を抜けていく風に揺れる。その狭間に見えた耳は、細長く、先端が尖っている。
「お前……エルフ?」
 思わずそう尋ねていた。
 エルフがはっとしたように両耳に手をやり、隠すような仕種をとる。人間の言葉がわかるようだった。
「君はだれ?」
 レオンが問うと、彼は不思議そうな顔でレオンを見つめ返した。
 エルフの言葉で何かを応え、レオンだけがそれを聞き取ってうなずく。
 そのとき、エニィが二人に追い付いて、叫ぶ。
「離れろルディオ!」
「えっ!」
 ルディオが振り返る。後方に立つエニィが強い眼差しで正面を見据え、右手をかざしている。
「よく見るんだ、その褐色の肌。エルフなんかじゃない、こいつはダークエルフ。凶悪な、闇の種族だ」
「闇の種族!?」
「だから離れろルディオ!」
 とっさに目の前に立つダークエルフに視線を戻して、その憎しみの色に燃える深紅の瞳を見やって、びっくりしてルディオは後ずさる。
(なん…で、さっきまで普通の色……)
 初めて見た、鮮やかな色、すいこまれそうだった赤い瞳が、今はただ憎悪の色にしか見えない。
 そろそろと後ずさって距離をとって、それからレオンの動きに気付く。
「何してるんだレオン、下がれよ!」
「……」
 無言でレオンは応え、身じろぎせずにそこに、ダークエルフのそばに立つ。
「だが何故こんなところに?」
 エニィは右手をかざしたまま、疑問を吐き出す。
(ダークエルフは、闇の森を守り続けているんじゃないのか?)
 リゲル大陸ではない、遠い場所、海を渡り地を越えた更にその先の地に、闇の森はある。ダークエルフの一族は、古来よりその場所を守り続けていると聞く。
「それが何故こんなところにいる?」
 誰ともなしに問いを投げながらも、それでも身体は、自然と構えていた。いつでも事を起こせるよう。
 先にエルフが動いた。エルフの言葉で何かを叫ぶ。
[シルフよ!]
 それは大気の精霊の名前だった。名を呼ばれた精霊は、ダークエルフの手の動きに合わせてリズムを刻む。すぐにそれはひとつの突風と化して、構えたエニィとその横に立つルディオを襲う。
 プアジェが慌てて叫び返す。
[シルフよ!]
 とたん、大気の精霊の勢いが消える。だが人間二人が目を覆った隙に、ダークエルフの姿は見えなくなっている。
「……もういないよ、エニィ」
 緊張のあまり止まっていた呼吸を取り戻すかのように、ルディオが深く息を吸う。
「逃げたか? いや、ちがうな。姿を隠してるだけだ。多分まだこの辺りにいるはず。ルディオ、先に進んでろ。俺はあいつを追っ払う」
「何をするつもりなんだ?」
「まあ、任せておけ。それより行くんだ。あいつがまた現れないうちに……早く!」
 レオンが駆け出す。ルディオは遅れじとそれを追う。
(我々妖精族が姿を消すことができることを、この人間は知っているというの?)
 プアジェはそっとエニィを見やった。
(……でも、見えはしないのね)
 あたりを慎重にうかがう人間を背に、プアジェは精霊のような身のこなしでレオンとルディオを追いかけた。
 風が三人の背を押す。








□□
「私は反対よ!」
 森の妖精族たるエルフの娘は、レオンから話を聞いて身を強張らせた。
「何故知らない人間をつれてゆくの? しかもあの人は強い魔術師なんでしょう?」
「強い魔術師だからだよ。いろいろ教えてもらいたいんだ」
「……私は不安だわ」
「不安? なんで?」
「嫌な感じがするの。私あの人好きじゃないわ」
 プアジェは小さく言うと、さっと姿を消した。レオンがたった今までプアジェのいた床を見つめ、それから視線を動かしていく。レオンの眼差しは窓のところで、釘付けになる。閉まっていた窓が、開いていく。
「プアジェ!」
「大丈夫だよ、すぐそこにいる」
 ルディオの呼び掛けにレオンが答える。
「プアジェは怖いんだ。あの人間は、ルディオとはちがう。他のどの人間とも違う。すこし、嫌な匂いがする」
「レオンも?」
「うん。でも、それはほんの少しだけだから、どうしていいかわからないんだ」
「強い魔術師だから?」
「……そうかもしれない」
 自然界の命を抱く竜の子は、自信無さそうにうなずいた。








□□
 息せき切って、まだらに生えた樹々がつくる小さな茂みに飛び込む。散らばった小枝が踏まれて折れて軽い悲鳴をあげる。
 レオンはそこで立ち止まると、後ろを振り向く。後方にいたルディオがつられて振り向くと、そこに姿を現したエルフが一人。プアジェだ。
「もう大丈夫なんじゃない?」
 プアジェがささやく。その言葉が終わらないうちに、さきほどの褐色のエルフが姿を現した。
「ダークエルフ!」
 ルディオが身構え、それをレオンが無言で制す。ダークエルフは、口を開いた。
「先程は助けてもらい、感謝する」
 ヒトの言葉で、ぎこちなくそう告げる。唖然あぜんとするルディオに気付かないはずもないのに、ダークエルフはそのまま言葉を紡ぐ。
「東の陽の島……人間がシリウスと称する島に行く途中だったが、どうもその必要が無くなったようだ」
 不敵な笑みを浮かべて、
「人の子に、竜の子に、光の森のエルフ。お前達は軌跡を追う者だな?」
「なん……」
「そうだよ」
 ルディオの問いかけを遮って、レオンが答える。
「僕はレオン。君は?」



『君はだれ?』
 レオンが問うと、彼は不思議そうな顔でレオンを見つめ返した。
 エルフの言葉で彼は言う。
[お前は……人間ではないな。私の言葉がわかるのか?]
 レオンは静かにうなずいた。褐色のエルフの長い耳が少しだけ上下に動く。



「私は、ヴァイル。闇の森のエルフ」
「私はプアジェよ」
 嬉しそうに歌うプアジェの声が耳に優しい。しかしルディオは、釈然としない。
「……待って、お前はなんなんだ? ダークエルフじゃないのか?」
 ヴァイルと名乗った褐色のエルフに詰め寄ろうとして、ルディオが一歩踏み出す。しかしその前にプアジェが飛び出てきて、叫んだ。
「ヴァイルはダークエルフよ、でも凶悪な闇の種族じゃないわ!」
 透き通るような金色の強い眼差しが、真っ向からルディオをとらえる。
「闇の森のエルフも、光の森のエルフも、みんな同じエルフ族の仲間よ。あんな人間の言うことなんか信じないで!」
「じゃあなんでプアジェはエルフで、ヴァイルはダークエルフなんだよ?」
「呪われたからだ」
 ヴァイルがぶっきらぼうに告げる。その赤い眼差しが翳ったのに気付きながらも、ルディオは言わずにはいられない。
「呪われた……? なんで?」
「いずれわかるだろう。お前達が軌跡を追う者であるならば」
 小さな背丈のその妖精が、やけに大きく見えてルディオが瞬きをする。目をこすって、手を下ろして、ルディオはそれから自分がまだ名乗っていないのに気付く。
「俺はルディオ。ルディオ・ハーディっていう」
 ルディオの茶色い瞳が、ヴァイルの赤い瞳をとらえる。
「……そういやお前、なんで軌跡のことを知ってる?」
「私は、闇の森から遣わされたんだ。軌跡を追う者に同行するように、と」
「それが僕らなんだよね?」
 レオンの言葉にヴァイルが小さくうなずく。
「今、僕らは光の森に向かってるんだ。そこはエルフの故郷なんでしょう?」
「すべての妖精の、な」
「じゃあ行こう。プアジェと、ヴァイルの故郷へ」
 空を翔る竜の子の言葉に、風が吹く。4人は茂みを抜け出すと、地平線にまで続くような深い緑に向かって歩き出す。
 その先に待つのは「光」の名を抱く森だ。








□□
 預けた荷物を受け取りながら、エニィはルディオを見ずに言った。
「光の森、って、確かエルフの」
「知ってるの?」
「俺が読んだ文献には、エルフその他妖精族の聖域だと書いてあったよ。なぜ、そこへ?」
「……頼まれたんだ。セファル導師に」
 一瞬つまって、でも全てを話すにはまだ頭の中で整理しきれてなくて、ルディオはそれだけを口にする。
「へえ」
(光の森、エルフ達の聖なる森、か……)
 エニィがふと浮かべた意外そうな顔付きの意味はルディオにはわからない。
「まあ、エルフを見てみるのも悪くはないな」
 図版でしか知らないんだ、とエニィは楽しそうに告げる。








□□
 草原の風が吹く。
 二人の子どもの姿が見えなくなったのを確認してから、エニィは周囲に魔術の網を張り巡らせた。
 ただ一言、合い言葉を唱えるだけで。
 それは大きな魔術となって辺りを包む。広範囲に渡って、周囲一帯をあぶり出す、強力な魔術。
「どこ行ったんだ、ダークエルフ」
 ゆっくりと、辺りをうかがう。
(どこへ消えた。呪われたエルフ……!)
 闇の種族の生き残りを、ひたむきに探す瞳に灯るのは焦り、そして苛立ち。エニィの黒いローブが風にはためく。


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