何処
Whから来、何処へ行く -2-
ere do you come from and go? II
樹々の向こうに、開けた場所が見えた。ヘルクレスと呼ばれる村だ。夜明けが近いことを示すように、空が徐々に白んできた頃だった。
途中何度も休憩をとってゆっくり進んできたのに、もう村が見える?
「あれ、この森って、こんな狭かったっけ?」
つい言葉が出た。
普通なら、魔術師院からヘルクレス村へ抜けるのに10日ほどかかるはずなのだ。わざと遠くして、魔術師院の存在を薄れさせているのだと聞いたことがあるから、間違いない。
その不思議そうなルディオの声を、耳の良い若いエルフは聞いていた。彼女は肩をすくめてくすっと笑う。
「ちょっとね、近道したの」
「近道? どうやって?」
「この森にも“妖精の道”を見つけたから、そこを通ったのよ」
「妖精の道……?」
「秘密」
もう一度笑って、食い下がろうとするルディオから視線をそらす。好奇心に勝てずに、ルディオはレオンを振り返った。
「知ってる?」
「知らないよ、僕は竜だよ?」
「でもなあ」
人間よりは妖精に近いだろ、と言いかけてやめた。レオンが子どもなら、ずっとずっと昔、妖精も精霊も竜も同じだった頃のことなんて知らないだろう。村まであとちょっと、というところまで来て、ずっと先導してきたプアジェが唐突に言う。
「やっぱり人間のいるところに、私みたいなエルフがでてきたら騒ぎになっちゃうよね」
前を向いたまま発せられた声は、何を思っての言葉なのか、後方の2人にわからせない。
一拍おいて、「そうかもね」と少年2人が同時にうなずくと、プアジェはやおら振り返った。金色の髪が持ち主の動きにつられてゆったりと舞う。金色の瞳は、相変わらずいたずらっぽい輝きを秘めていた。
「だから私、姿を消しておくわ。精霊だった頃の姿に戻るだけなんだけどね」
言うが早いか、プアジェの姿が薄くなっていく。プアジェの姿越しに向こう側が見える。透けたように淡かった向こう側の景色の色が強くなっていき、逆にプアジェが森の色に溶け込んでいく。
気付いたときにはその姿は完全に透明になっていた。手を伸ばしても、掴むこともできない。
ルディオは少し不安になって、辺りを見回した。
「プアジェ、どこ?」
「ここにいるわよ。姿を消しただけだから。ね、行こう」
プアジェが消えた場所から声だけが聞こえ、進み出したのがなんとなく気配でわかった。レオンにはそれが見えるのか、しっかりと一点を見つめている。
(やっぱり近いんだ、竜と妖精とは)
そんなことを漠然と思って、ルディオはレオンの後を追う。村はすぐそこだ。
□□
白みはじめた空の下、こつんこつんと、靴音を鳴らして歩いていく者がいる。
「どうやら異常はないようだな」
「ああ、有難いことだよ」
自衛団の男達だった。彼らは2人一組で行動していた。
眠気を振り払って、歩く。前の晩早めに寝たとはいえ早朝の見回りは身に堪える。しかもここのところ、村全体を包む緊張が解ほぐれることがない。
朝から晩まで、陽が沈んでから夜が明けるまで、そしてまた朝から晩まで。一時いっときも警戒心を怠らずに、いた。そんなことは初めてで、みんな参っていた。精神的にやられてしまい、臥せっている者もいる。
なんとかしてやりたいと思って作った自衛団は、しかし大した成果をあげられずにいた。
このままじゃ駄目なんだ、と感じていたときだった。
「おい、見ろよあれ」
広場の中央に、誰かがいる。静まり返った村の家々は、朝の陽に照らされて赤く輝いていた。長く伸びた影は、ルディオ達を呼んでいるようにさえ見えた。導かれるように、細いながら舗装された道に入っていく。綺麗に掃除された道は、砂利を敷き詰め固めたものだ。
道に沿って少し行けば、広場に出た。
「見て、あれ」
姿のないプアジェがささやく。
広場のやや東側に、簡単な彫刻が施された小さな噴水が備えられていた。真中の噴き出し口から水は出ていなかったが、近付くと水の中に紅い魚が泳いでいるのが見える。
もっとも陽に照らされているだけで、普段は青い魚なのだろう。
それが珍しくて、ルディオもレオンも夢中になって水の中を覗き込んだ。朝焼けの赤い空が映り込んでいる。レオンとルディオの顔が映る。そしてプアジェの姿はやはりそこに無い。
(こういう場合、水には映りそうなのにな)
ルディオは思ったが、口には出さない。自分達の影に入ると青いのに、何も無いところに出てくると赤く染まる魚が面白くて、つい見とれてしまっていた。
だから、誰かが近付いたことまで意識が回らない。「そこで何をしている!」
びくん、と肩を震わせて、ルディオははっとして振り向いた。
(しまった、何やってんだよ俺!)
いきなり怒鳴られたことに内心腹を立てつつも、周囲の注意を怠った自分への怒りのほうが大きい。
男は2人いた。
対するこちらはプアジェを入れて3人。しかもその3人目に向こうは気付いていない。いざとなったら力づくでも逃げられるだろうと検討をつけて、ルディオは大人しさを装って、構える。
若い男が訝いぶかしげに、問う。
「見ない顔だな。どこから来た?」
「……」
無言でレオンはルディオを見た。ルディオは見返すと、大丈夫だと目配せする。
「魔術師院から来たんです、この森の奥にある」
「何、森を抜けてきたのか?」
少年に皆まで言わせず口を挟んで、男は興奮したように言う。
「森を抜けて来たんだな?」
「そうです」
ややむっとして、それでも声だけは穏便にルディオは答える。相手にはこちらに害を与える様子はなさそうだったが、同時に得を与える様子もなさそうだった。
男達は小声で言葉を交わした。その音はルディオには聞こえない。
「子どもだけでこの森を抜けられると思うか?」
「無理だな。最近は凶悪な獣が増えたんだぞ?」
(凶悪な獣……?)
耳の良いプアジェは彼らの言葉を聞き取って、顔をしかめた。獣は森に多く棲む、しかしその全てが凶悪なわけではない。強いものも弱いものもいる。そうでなければ互いを喰らい合って滅ぶしかない。そして強い獣は弱い獣を襲って生きるが、ヒトを襲うことはほとんどない。よほど手出ししない限り、襲うことは稀だ。
ヒトにとって脅威になりうる、幻獣や聖獣と呼ばれる高い知能と不思議な力を備えた古代の獣は、この森には棲んでいない。そんな気配はどこにも無かった。それ以外の獣は、皮肉にも人間には勝てない。
ヒトにも優る獣と言えば、ほかには魔獣しかしないが、それはずっと前の戦いで、神々が封印したのだと聞いたことがある。
(凶悪な獣と言うのはおかしいわ。何かの間違いなのよ)
プアジェはその事を伝えようと、レオンの耳にそっと触れる。竜の子は、妖精の言いたいことをすっと受け入れてくれる。
レオンがそれをルディオにも伝えようとしたとき、男達がこちらに振り返った。
「おい、何を話している」
(それはこっちの台詞だよ)
ルディオは小さくぼやいた。
「お前達を村長のところへ連れていくことにした。来い」
(そういうことは言わないほうがいいのに)
男達に腕をつかまれ、半ば強制的に歩かされるままに任せながら、不安そうなレオンに「大丈夫だよ」と再度ルディオはささやく。
(そうじゃなくて、プアジェが……)
レオンは森のエルフの懸念を伝えたかったが、男達が睨むので口をつぐんだ。
「なんだか面倒なことになってきたわね」
それでもどこか面白そうに、プアジェがレオンにそっとささやく。
人のいなくなった広場に、朝焼けの空が広がっていく。
□□
木造りの机に、男は座っていた。開けたばかりの窓越しに夜が明けてきたのが見える。部屋の照明を落とすと、部屋は一瞬暗くなり、それから外の明かりをもらって徐々に明るくなっていく。
「今日も、何もなければといい」
横のほうにある、外へと続く頑丈な扉をちらりと見やって、つぶやく。そのつぶやきが白い息とともに消えていく。
もう一度息を吐くと、白い小さな霧が立ちこめて、すぐに消えていった。
そのとき、音がした。
どんどん、と二回、外から誰かが扉を叩いている。
「誰だ」
大声で怒鳴って、席を立つ。
(まだ交替には早いぞ)
男は警戒しながら、扉に近付く。腰に下げた、おせじにも立派とは言い難い剣の柄に手をかけながら。
「誰だ?」
「青の隊、シェイルとグラッセイだ」
聞き慣れた仲間の声だった。ほっと胸をなでおろし、それでも慎重に閂かんぬきを外して、さっと扉を開く。
とたん、白い朝日がまぶしく入り込んでくる。
「早かったな、シェイル。まだ時間じゃねえぞ」
「交替じゃない、こいつらを見つけたんでな」
迎えた男は、戻ってきた仲間が子どもを二人、連れているのに気付いた。「お前ら、なんだ?」
いきなり言われて、その無造作な問いがはらむ警戒心を知りながらも、ルディオはつとめて冷静に、答える。さっきと同じ言葉をくり返す。
「魔術師院から来たんです。レグルスの森の奥にあるでしょう」
「森の奥から?」
「そうだよ、怪しいだろ。だから連れてきたんだ」
2人組の片方がルディオとレオンを建物のなかに引きずり込みながら言う。
「俺にはただのガキにしか見えんぞ?」
「ともかく! 村長に会わせたほうがいいと思ったんだ。爺さんどこだ?」
「奥にいるよ、もう起きてるだろ、呼んでくっから待ってろ」
迎えた男が、奥の扉から出ていく。その間に2人組の一人が表の扉を力いっぱい閉める。大きな音がして、風が乱れて、それから静かになる。窓の向こうに赤く染まった家々が見えていた。
(ヒトの住処なんて初めて見た)
レオンがそっとプアジェにささやく。
(私もよ)
木の精のわずかに残る気配を感じながらエルフは答えた。精霊の姿に戻ったことで、いつもよりぐっと近い位置に、精霊の気配を感じている。流れるように、ゆったり留まるように、現れ消えていく精霊達の息遣い。
「俺達どうなるんですか?」
沈黙を破るようにルディオが言った。男達がそれに答えようとしたとき、奥の扉が開く。
「おい、爺さんが連れてこいってさ」
奥から来た男がレオンの腕を掴む。
「ほら、行くぞ。来い」
「痛っ!」
男達の乱暴な態度にルディオが抗議の声をあげるが、彼らは無視して奥へ歩いていく。そして突き当たりの扉を、さっきまでとは打って変わった穏やかさで叩いた。
「村長、開けますよ?」
彫刻も何もない、まっ平らな扉の向こうに、その人はいた。窓から差し込む陽に照らされて、明るくなっていく部屋の中央、机の向こうに。
「入りなさい」
部屋の中からの声に、ではなく背を押されて、レオンもルディオも部屋の中に足を踏み入れる。
背後で音もなく扉がしまった。机の向こうで、背筋を伸ばし座っているのは、初老の男性だった。「村長」という響きよりはやや若い印象を受ける。男性は思ったよりも優しい口調で、告げる。
「私はこの村の長をしているガーザリレルだ。君らの名を聞いてもいいかな」
「僕はルディオです。こっちはレオン」
(……って、言って良かったのかな?)
レオンの声が伝わるかわからなかったので、ついでに紹介しておきながらルディオはレオンを見やる。レオンがうなずく。その仕種に満足して、ルディオは正面を見る。
「ではルディオ、君らはレグルスの森の奥深く、魔術師院から来たそうだな。君らだけでか? それとも誰かと一緒だったのか?」
「僕らだけです」
(プアジェもだけど)
心の中だけで付け足しておく。
「森は危険だと知っていてかね?」
「危険? そうなんですか?」
(え、危険だった?)
(そんなはずはないって、さっきプアジェが……)
ルディオの驚きのこもった小声に、レオンは丁寧に答える。
「知らないのか? そして何事もなかったと言うのか?」
「何もありませんでした。特に変わったことは」
「そうか……」
消え入りそうな声でそう言ったあと、黙りこくった村長に、急かすようにルディオが言った。
「何かあったんですか?」
とたん、ガーザリレル村長の顔が険しくなって、
「1ヶ月前、だった。狩りに行くと言って森に入った者が、約束の3日目を過ぎても、4日目を過ぎても、5日を過ぎても帰ってこなかった。そいつはこの村でも有数の狩りの名手でな、一度狙った獲物は決して逃さない奴だった」
「じゃあ、その狙った獲物を追って森のずっと奥深くまで行ったんじゃ」
「最初は誰もがそう思ったさ。だが1週間経っても戻ってこない。連絡も無い。さすがに不審に思って、人をやって調べさせた。……すぐにそいつは見つかったよ、首無しの死体となってな」
「……!」
(嘘よ!)
プアジェが激しく動揺する気配が、声とともに二人に伝わってくる。しかし彼女の存在を知らない村長は、そのまま話を続けた。
「酷い有り様だった。腕も深い傷だらけで、矢は一つも残っていなかった。折れた矢が辺りに散乱していたがね。それからというもの、我々はいくつかの隊を編成して、交替で村の見回りをしている。今までに被害は2件。……少ないと思いなさるな、弓の腕の立つ大の男が5人、森を見に行ったっきり帰ってきておらんのだからな、2度もだ。そしてきっと彼らはもう帰ってこない」
彼らの顔が思い浮かんだのか、村長はそこで一旦口を閉ざすとうつむいた。
「そんな状態だ、森を通ってきたという君達を、村の者達が疑いたくなるのも無理はない」
沈んだ表情のまま、村長はそう言った。
かける言葉も見当たらずに、ルディオもしばらく沈黙を守って、
(何が起きたのか、わかる?)
(わからないわよ)
森の娘は震える声で答えた。
「ところで、ルディオと言ったかな、なぜまたこんな村まで出て来たんだね?」
魔術師院から人が来るのは珍しい、という顔付きで、村長は言う。
「森のことを知らないのだというなら、他に何か用事でも?」
「それは……」
ルディオはセファルの顔を思い出し、それからレオンを見やって、見えないプアジェに意識を寄せた。問いかける村長の顔に、何かを企んだ様子は無い。純粋に聞いているのだと悟って、嘘を吐くのはやめた。
「俺達は、自分らがどこへ行くべきなのか、正直わからないんです」
「わからない?」
「師院で、『世界を見てこい』って言われて、それで歩いてきたら村に出た。だから」
「世界を見てこい……か、なるほどな」
村長は笑ったようだった。何かを知っているのか、それとも子どもの無邪気な夢とでも受け取ったのか。
「そうだな、夢は大きいほうがいいな。世界を見たいのなら少年よ、まず大陸に渡れ。こんなちっぽけな、大陸とも呼べんような島にいたんでは、とても世界など見えんからな」
「リゲル大陸へ渡るんですか?」
「そうだ。間もなく大陸からの連絡船が来る。この村に物資を運んできてくれる船だ。その船が大陸へ戻る時、乗せてもらうといい。私から話をしておこう」
急に楽しそうな顔になったガーザリレル村長につられるように、ルディオも笑った。
「ありがとうございます」
行く先が、見えた気がした。リゲルへ渡れば、何か想像もつかないことが迎えてくれる気がする。第一大陸へ行くなんて、それこそ思ってもみなかったことだ。
「どうせならそれでベテルギウスまで行けるかもしれないぞ」
冗談めいて、レオンにささやく。
「いいよ、僕は飛べば帰れる」
レオンがほんのり笑う。
「シリウス島も、“最初の9つの大陸”のひとつだがな」
村長のつぶやきは、3人の耳には入っていなかった。
□□
二日後、一行を乗せた船は港を離れる。一面の青空のなかへ、雲一つない海へ。船首はリゲル大陸を見据えて、航路をゆく。