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奇 跡 の 柱 輝 石 の 柱

第 3 話「 闇 の 夢 」

――――在 り し 世 の 定 め に 従 う 者


何処
Wh

から来、何処へ行く -1-
ere do you come from and go? I


 どこまでもまっさらな空を、雲がゆっくり進んでいく。高い空で風に乗る雲は白い。雨になりそうな気配はない。ときおり真っ白な鳥が、その雲の下を横切っていった。
 リゲル大陸へと向かう船の甲板に、ルディオはいた。茶色の短い髪が潮風に遊ばれている。ルディオが寄り掛かったマストは、風をはらんで膨らんだ帆をしっかりと支えていた。新しいわけでもないだろうに、帆は陽に照らされ白くまぶしい。片膝を立てて座って、その白さを見ていると、思い出すものがある。
 シリウスの魔術師院の近くにあった、一人だけの隠れ処。白い建物。決して近付くなと言われれば言われるほど、遊びに行ったあの場所。気に入っていた、とても。
「そうだ。あのときも……」
 あの建物の内部にあった崩れかけの柱の中で、その日も昼寝をしていたのだ。
 目覚めたときには、ルディオは柱の中にいなかった。そこは森の中だった。
 気付いたときには、目の前にセファルが立っていた。魔術師院の総責任者を務める唯一の人物で、それにしてはまだ若い魔導師。
 魔術師院に戻って、儀式をさぼったことを師たる人に怒られて、それから兄とも言える人と一緒に魔術を教えてもらいに行こうとしたとき、レオンとプアジェが現れた。理由もわからないままに、セファル導師は行けと言った。その二人と一緒に、世界を見に行けと。








□□
 3つの影が、森の中を移動していた。どれも小さな、子供の背丈ほどの影。
 先頭をゆくプアジェと、すぐ後に続くレオンと、やや遅れて2人を追い掛ける形のしんがりのルディオの影だった。こんもりと生い茂った森は、しかし不思議と月明かりをよく通していて、歩くぶんにはあまり困らない。ただ、夜だということもあって、ときおり吹き寄せる風のせいで、空気は少しひんやりしていた。
「プアジェ、寒くない?」
「いいえ、全然平気」
 薄着のエルフを心配してレオンが言うと、森の娘は笑って答えた。
「レオンこそ平気なの? ここは寒いんじゃない?」
「平気だよ、それに空の上のほうはもっと冷たい風が吹いてる」
「そっか、大地は暖かいものね」
 前方から風がまたふわっと吹き抜けて、3人の顔をなでた。レオンとプアジェの長い髪が、風に舞ってなびく。月明かりに反射して、それぞれ水色が白く光り、金色が煌めいた。
(綺麗だなー)
 後方でそのを見ながら、ルディオは、ふとああと思った。
(俺、この2人のこと何も知らない……)
「待って!」
 突然の背後からの声に、びっくりしてプアジェとレオンが振り向いた。
 ルディオは自分でもその声にびっくりしながら、勢いに任せて、言う。
「君らさ、どこから来たの?」
 エルフのほうが、何かをささやいたようだった。しかしそれはルディオの耳に届かない。
「え、今なんて言った?」
 答えの代わりに、木の葉のざわめきのような音が響く。
 それがエルフの言葉だと、もう一度繰り返す前にルディオは気付いた。彼らは人間の言葉を話さないのだ。
 男の子のほうも、何か言ったようだった。でもそれは低すぎて聞こえない。
(俺の言葉はわかるのに?)
「なんでだよ!」
 もどかしく吐き捨て、無意識に胸に手をやった。セファルのくれた簡易マント越しに、何かが手に触れる。手のひらに収まるほどの大きさの、丸くて硬い……。
(言葉の石!)
 ルディオはマントの下に手を潜らせて、魔術師の青いローブに付けてあった“言葉の石”に触れた。輝石と呼ばれるその石は、夜の大気のようにひんやりと冷たい。
(唱えるんだ、何か言葉を)
 魔術師院での記憶をまさぐる。必死になって記憶をたどれば、多分何か出てくる。何か覚えてるはずだ。
 何か――。
 しかし何も見つからずに、探索の果てにルディオは言った。
「あー、もうちょっと導師にちゃんと習っておくんだった!」
 いつも厳しい師の、それしか知らないしかめっ面が不意に思い出される。
「大体セファル導師だって、送り出すなら言葉くらいどうにかしてくれても良かったんだ、これじゃこの石だって役立たずだ」
 振り返ったまま、きょとんとした顔でたたずむエルフと少年の顔を見て、最後にルディオは言った。魔術師院でしか使われない、どこかの古いにしえの言葉で。
これじゃ言葉の石が可哀想だよ、セファル導師
 言葉の終わりと同時に、そのとき光が弾けた。
(なんだ!?)
 夜の森を一瞬、光りが駆け巡る。まるで落ちた稲妻のように、鋭くて青白い輝き。
 白はすぐさま霧散して、夜の静けさが森に戻る。
「なんだ、今の……」
 ルディオは辺りを見回しながら、驚きに思わず握りしめていた手を離した。すると胸元から、青い輝きが溢れた――。

 目の前に、楕円形の水たまりが出来ていた。
 目の前だ、大地の上ではなく。
(!)
 一枚の薄いガラスのように、きらきらと月明かりを映しながら、宙に水たまりが浮いていた。

 レオンもプアジェも、驚きとともに警戒心を持って、それを眺めていた。
「あれは何?」
「わからないわ、少なくとも精霊じゃない」
 耳を研ぎすまして、エルフは精霊の言葉を待ったが、その水からは優しい声は聞こえてこない。

「ルディオ」
 代わりに聞こえたのは、人間の声。
 ガラスのように滑らかな水面がさざ波を立て、像をつくり出す。水面を離れた水滴が、水蒸気が、ヒトの顔の像を結ぶ。向こう側がかすかに透けていた。顔は、ルディオの良く知った人間のものだった。
「セファル導師! 何をして……」
「お前が呼んだんだよ、ルディオ」
「俺が?」
「そうだ、“言葉の石”は、相手の名を唱えることで、遠くにいる同じ輝石を持った相手と会話できるんだよ。もっとも今は、私のほうから干渉しているんだが」
「……じゃあ、『見て』たんですか、導師?」
 見知った人間の行動をある程度は知ることができる、遠視の魔術があることをルディオは知っている。それを使っていたのかと、聞いているのだ。
「違うな。お前が呼んだんだ。だから干渉した」
「でも」
「お前はまだ知らなかったんだ、だから今言おう。私の姿の見えない時、声の聞こえない場所で、むやみに私の名を唱えることは許さない。いいか?」
「――はい」
 顔だけは神妙に、ルディオはうなずいた。その理由を聞いても答えはしないだろうと、わかってもいた。だから質問を変える。
「それで導師、お聞きしたいことがあるんです」
「わかってるよ」
 声を和らげて、魔術師院の最高峰は答えた。
 音がした。滑らかなリズムで、打楽器が奏でるような断続的な旋律が流れた。
 それは古の言葉だ。アセト・レデアルという名を持つ言葉だということを知る者は少ない、魔術師達の言葉。
司りしは音、伝えるは意圖、そは力持つ
 短い単語の連なりが、対象事物に影響をもたらす、不思議な言葉。
 セファルの唱えた詞ことばは、ルディオの“言葉の石”を包み込んだ。
 青い煌めきが、ルディオの胸元に付けられた石へと吸い込まれていく。それは夜の森のなかで、一種幻想的な光景だった。








□□
「どうしたんです、導師」
 部屋に入るなり、ラースはそう言わずにはいられなかった。
 師であるリーン導師に頼まれて、ラースはセファルのところに書を2つ運んできたところだった。
 そのセファルは、机に突っ伏している。
(震えてる?)
「セファ……」
「そこに置いといてくれ」
 声だけはしっかりと、魔術師院の最高峰は答えた。書を近くの椅子に重ねながら、「大丈夫ですか」と尋ねずにはいられない衝動を抑えるのに必死で、ラースは気付かなかった。セファルが右手に何かを握りしめていたのを。
 そのまま無言で礼をして、ルディオと同時期に魔術師院に来た少年は出て行った。
「は、はははは」
 セファルは、泣いていた――涙も無く、理由わけも無く。
 あの少年は完全に手許から離れていった。もう会うこともないだろう。
 あれほど不安だったのに、恐れていたのに。かえって今は、あの子を想って止まない。
(カディア。もうすぐだよ、カディア)
 思い浮かべた少女の、それだけ知っている凛とした顔がつと消えた。








□□
 煌めきが消えると、目はすぐには夜の暗がりに慣れてくれず、何も見えなくなった。
「セファル導師?」
 瞬きを繰り返すうち、月明かりを反射する水のガラスが見えてくる。水滴に綴られた顔が、歪んだ。それは笑ったのか、泣いたのか。
「『“言葉”よ、我が意を伝えよ』だ。あとは自分でどうにかしろよ?」
「はい」
 心から神妙に答え、つい礼をした。頭を上げたときには、もう。
「セファル導師?」
 宙に浮いた水たまりは無くなっている。
 視線のその向こうに、エルフと少年の姿がある。


 ――『“言葉”よ、我が意を伝えよ』だ。


 セファルの言葉を頭の中でくり返す。
 そうしてゆっくりと、唱えた。
“言葉”よ、我が意を伝えよ
 とたん広がる、晴れ渡るようにすっきりとした解放感。
 今度はすんなりと、エルフの声が聞こえてきた。

「ねえレオン。あの子ってやっぱり魔法使うのかな。今のって……そうよねえ?」
 レオンと呼ばれた少年が、困った顔をするのが見える。
(聞こえる!)
 確信を持って、ルディオは声を張り上げた。
「ねえ!」
「なに?」
 軽く首をかしげるような仕種とともにエルフが答えた。
(全部わかる、今度こそ)
「聞きたいことがたくさんあるんだ。君らはどこから来たのか、とか」
 問われたレオンとプアジェは顔を見合わせた。
 その様子を、困っているのだと判断したルディオが、慌てたように付け足して言う。
「俺はルディオ。ルディオ・ハーディ。見ての通り魔術師だよ。まだあんまり強くないけど」
 プアジェは承知して、いたずらっぽく笑った。
「私はプアジェ。森の娘よ、光の森に棲むエルフなの」
 見ての通りのね、と小さく口ずさむ。
「そしてこっちが」
「レオン。僕は」
 プアジェの言葉を遮るように言ってから、レオンは言葉を途切れさせた。
「うん、何?」
 ルディオが無邪気に問う。
 レオンは、自分が竜であることを人間に言うのをためらっていた。言わなければ人間の子どもにしか見えない姿なのだ。
(言わないほうがいいかもね、あの子、人間だからね)
 プアジェはそんなレオンの心を見透かして、何もかもに正直にならなくていいと暗に告げる。
 でも、レオンは嘘を付くのは好きではなかった。
 堂々としていればいいのだ、自分が竜であることに。
「僕はレオン。ベテルギウスからやってきた」
 一瞬、面喰らって、それからルディオは、頭の中を整理した。
「え、ベテルギウス、ってお前、あの島の異名知らないのか? “空竜の島”って言うんだぞ?」
「それは知らないけど、でもそうだよ」
「そうだよ、って空竜エアドラゴンしか棲んでないから“空竜の島”って言うんだよ?」
「うん。そう、僕は竜なんだ」
「竜!?」
 お前がか?と言わんばかりのルディオの驚きようがおかしくて、プアジェが横でお腹を抱えてしゃがみこむ。
「そうよ、私がエルフなんだもの、この子が竜でも別に変じゃないと思うけど?」
 心地よい響きで笑う声が、レオンの言葉を肯定する。2人の言葉に嘘はないと、わかる。でもその意味するところをにわかには信じ難いルディオは、空竜に関する事柄を頭の中に描いた。
「俺が知ってる限りじゃ、空竜エアドラゴンは竜族の中で最も軽く、最も早く空を舞う種族なんだ。てことは、じゃあお前……レオンも空を飛べるの?」
「飛べるよ、でもまだそんな速くはないけれど」
「いいなー!」
 簡単な魔術しか知らない魔術師が、空を飛べるようになるまであと何年かかるだろう? そう思うと、ルディオはレオンのことがうらやましくなってきた。
「それで、レオンにえっとプアジェ、君らはどこへ行くんだ?」
「どこへだろう?」
「なんだよ、それ」
 間髪入れずにルディオが言えば、
「わからないのよ、私達。どこへ行くべきか、これから何をすべきなのか」
「そして“軌跡”とは何なのか」
 エルフと竜の少年が口々に答える。レオンは続けて言った。
「でも僕達はここに集う。だから行かなければならないし、しなくてはならない。“軌跡”を完成させるために」
「でもその“軌跡”って、一体何のことなんだろう? 俺も見てこいって言われたんだ」
「じゃあ目的は一緒なのね」
 軽やかにエルフが歌う。そうだね、と人の子が答えた。
 3人は再び、森の中を歩き出していた。月がずいぶん高く昇っていた。森の中が、月明かりに照らされて明るくなっていく。



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