軌跡
Wiへと導かん
lt lead ye to the loci
風が舞う。竜の子レオンは、風の抜けていく森の中を、妖精のプアジェを伴って歩いていた。故郷とは違う草木の感覚は、それとなくささやきかけては、レオンを不安にさせる。
(早く帰りたい……)
空を見上げながら思うレオンの横で、エルフのプアジェは機嫌がいい。ここは人の手の加えられていない、生の自然が残る森だ。故郷と同じ匂いがする。
不安そうなレオンの水色の瞳に懐郷の念を見たプアジェは、エルフらしい滑らかな旋律で言った。
「ここから遠いの? ベテルギウスは」
「わからない。空に出てみて、見えればいいんだけど」
「でも、小さな島じゃないんでしょ?」
「小さな島だよ、竜だけの聖域だから」
(竜の大きさで「小さい」のって、きっとすごく「大きい」んだ)
プアジェは地面から突き出た樹の根の上に立った。右の頬に風があたる。さわやかで優しい風が吹いている。
「風が吹いてくるから、きっとこっちで合ってるわよ」
竜の子どもが羽撃はばたけるような開ひらけた場所を思って、プアジェは言う。根からひょいと降りると、身軽なエルフは右手のほうへと歩き出した。その小さな背丈の生き物に、レオンはついていけばいい。風はしかし、やがて優しさを失って、強張り始めた。
「何?」
眉をひそめてプアジェが言えば
「見て、プアジェ。あれは何?」
遠くを見る眼差しで、レオンが言う。ずっと向こう、樹々の枝々の緑にまぎれて茶っぽい壁が見える。
「何かしら、待って、」
目を落とし、しゃがんだエルフは、潰れた葉を見つけていた。誰かの足跡。
「ね、これ、ヒトの……」
「じゃああれも?」
二人は顔を見合わせた。森の樹々がつくる天井が切れるところ、そこは開けた場所だと思っていた。でもその開けた場所に、人工物が在る。
「いいよ、行こう」
「レオン?」
「ヒトの作ったモノを、見ておこう。せっかく外界そとに出たんだから」
レオンは言うと歩き出した。
前方から無言の風が吹いてくる。二人が嗅いだことのない匂い、ヒトの営みの気配を乗せて。
□□
真新しいまっさらなローブを羽織った者が、レグルスの森にいた。儀式を終えたばかりの魔術師院の最高峰、セファルだ。
(どこ行った……)
まだ若い責任者は、儀式のとき姿を見せなかった少年を一人、探していた。すすけたような、明るい茶のくすんだような色の長い髪が白いローブの上に揺れる。
(まさか結界の外に出た?)
魔術師院の周囲には、薄い膜のように小さな結界が張られている。それは魔術を跳ね返すものだ。結界の内側にいるうちは、外側からの魔術に脅やかされることはない。しかしもし、外側にいたとしたら。
セファルは、ひとつ軽く息を吸い込むと、息を整えた。
「我が視界は開かれたり。千の眼捉えたるぞ総て、全き万物映りたる」
詠唱とともに目を見開らけば、見つめたものが見えてくる。目の前に次々に迫ってくる。草木をわけ、枝々を追い越し、過ぎてゆくものを横目に、視覚だけで森のなかを駈けてゆく。
それでも見つけられずに、さすがのセファルも焦りを感じたとき、青いローブの裾が見えた。樹の根元に寄り掛かるようにして、子どもが一人眠っている。うつむいていて顔は見えない。その顔にかかる短い茶の髪。
(いた……!)
安堵は、かえって集中を乱した。あっという間に視界が戻る。見えていた景色が遠のいていく。セファルは魔術が切れて元に戻った目を瞬しばたたかせてから、少年がいた場所へと歩き出した。それは思ったよりも近い場所、魔術師院のすぐそばだ。「……い、おい、起きろルディオ」
声に、ルディオは目を覚ました。誰かが肩を揺らしている。
(……誰?)
焦点の定まらない目で見上げれば、髪の長い――
「……あ、セファル導師」
「あ、じゃないだろ。何してる」
「ちが、俺……あれ?」
ルディオはぐるりと周囲を見渡した。傾きかけの陽がまぶしい。陽射しを遮るように、すぐそばまで樹々が迫っている。
(森の中?)
眠りについたのは、白い建物の中にある隠れ処だったはずだ。
(ばれた……?)
セファルの顔をうかがっても、むすっとしていてその心は測り知れない。
「導師こそ、こんなところで何してるんですか」
「お前を探しに来たんだよ、ほら、帰るぞ」
(ちがう)
ばれたのではないと、とっさに直感する。セファルの口調は怒っているが、本気じゃあない。誰か他の人間が、運んだ?
(俺を? わざわざ?)
セファルにうながされ、立ち上がりながらルディオは、つと横を向く。風か何かが頬にあたって冷たかった。
歩き出したセフェルについて、いく。
「何故、儀式をさぼった?」
振り返らずにセファルが言う。答えにつまって、けれど正直に吐く。
「……好きじゃない」
「好き嫌いの問題で測るんじゃない、あれは……我々の証を知る場だ。この次は必ず出席すること」
そこで振り返って、セファルがルディオの両肩を、両手で掴む。
「返事は?」
「えっと、はい」
「えっと、は、余計だ」
(いつか分かる日が来るさ)
アウレン、とあのとき少女は言った。再びその音を口にする日は、来る。必ず、来る。それまで、守りきることができたなら。
「帰ったらフェストが待ってるぞ」
「え、待ってなくていいよ」
自分の師の名を出されて、その性格を思い出して、ルディオが嫌そうに答えた。
□□
傾きかけの陽が窓から差し込み、長細い光の影を作っていた。石造りの魔術師院の中は、だからまだ灯を点すには明るい。二つの建物の間に渡されたゆるやかな階段を、ルディオは上っていくところだった。目の前をゆくのは、同じ魔術師の少年。
「それで、フェスト導師になんて言われたの?」
「いろいろ言われたよ。儀式サボったの相当怒ってるみたいでさ」
「そりゃあお前が悪いよ、あれは全員が出席してこそ意味あるものだ、ってセファル導師も言ってたじゃないか」
「ラースはああいうの好きだから、平気なんだよ。俺は、だめ」
「好きってわけじゃないけど」
(でも確かに嫌いじゃないな)
ラースは自分で自分に納得したようだった。ただ彼の癖のある茶色の髪は短くて、前髪をかきあげるのは仕種だけで終わる。右腕にはめた証の石が、陽に反射して白く光った。
ラースはルディオより3つ年上で、別の師についている。だからあまり接触がないはずなのに、何かとルディオをかまう。それは魔術師院に来た時期が一緒だったせいなのかもしれなかった。ルディオはそのときのことをあまり覚えてはいないが。
「とにかく、今日は」
前をゆきながらラースは宣言した。
「今日こそはつき合ってもらうからね。お前練習もかなりサボってるだろ」
「だって、何の役に立つんだよこれ」
「……自らの存在を否定するようなことを平気で言うなあ、お前は」
魔術師が魔術を扱えなくてどうする?
そう言いたげな瞳で、ラースは年下の少年を見遣った。しかしルディオはさして気にもとめずに。
「一緒に入ってきたやつで、どの導師にもついてないやついっぱいいるだろ。あいつらは、どうなの?」
「どうなの、ってお前、それじゃ魔術師やってるのは嫌なの?」
「別に嫌なわけじゃないけど……」
「じゃあ、頑張りなよ。お前が立派になったら、セファル導師とか、泣き出すな多分」
「あ、それいいかも」
感涙にむせぶ我らが師院の最高峰、セファルの姿を想像して、二人して笑った。ルディオは不意に、窓のほうに目をやった。魔術師院に向かって、誰かがやってきたのが見えた。遠目にもわかる、水色の髪の人と、金色の髪の人。背は小さく、子どもほどしかない。
「あれは……!」
頭の中で何かが叫ぶ。立ち止まるなと叫んでいる。
(行かなきゃ……!)
「先行ってて、俺ちょっと用事できた」
「おい?」
「ごめん、ラース。また後で!」
言うなりルディオは駆け出していた。ゆるやかな階段がもどかしい。踊り場を過ぎ、廊下に出るとスピードを増した。駆け足で、下階へと降りていく。
□□
侵入者は、結界を越えてやってきた。
魔術師院の最高峰セファルが張った結果を、いとも容易く通り越して。それが何を意味するのか、わからないセファルではなかった。
儀式用の真新しいローブから、いつものすすけたローブ――生地は滑らかで丈夫、元は立派な飾りもあったローブに着替えたセファルは、侵入を知ると同時に、自分の他に二人の導師級の魔術師を連れ、その場に駆け付けていた。
対峙する相手は、二人。どちらも小柄な、子どもほどの背丈しかない。水色をした髪の少年に、白い肌と金の髪、尖った耳を持つエルフ。
「何をしに、参られたか」
(ヒトの言葉が通じるならば)
セファルが身構えたまま、問うた。答えは無い。言葉が通じないのか、それとも。
詠唱を始めるために、セファルが深く息を吐く。三人の導師達の間に緊張が走った、そのとき。
「待って! 待って……ください、セファル導師!」割って入ったのは、一人の魔術師の少年。
茶の髪を乱しながら、乱れた呼吸を整えながら、ゆっくりとルディオは言葉を紡いだ。「待って、ください。あれは俺の」
(……俺の、なんだ?)
「俺の……」
そのまま言葉が続かなくなったルディオを見て、セファルは言った。
「そうか、来た、か。……リーン導師、フェスト導師、あなた方は戻られて結構です、ここは私に任せてください」
「セファル導師……?」
「しかし」
「大丈夫だ、お戻りください、導師」
いつになく強い口調で、セファルが言う。
(ほんとうに、一人で向かうかセファル)
フェストが、眼差しだけで問いかけた。
(一人で向かわねばならぬ時もあるでしょう)
セファルはその眼差しに強く答えた。そのまま二人、微動だにせずに。
状況を見て取ったリーンが、先に動いた。セファルの意向を汲んで、その場から退く。その動きにつられるように、フェストが静止を崩す。
「あなたばかりが気負うな」
師院の中に消えたリーンを追って、自らも建物へと向かいながら、フェストはそう言い残した。
(そう気安く言ってくれるな)
セファルが息だけで小さく笑った。導師が二人いなくなり、セファルとルディオと、侵入者二人だけがその場に取り残される。
セファルはルディオのそばに寄り、言った。
「それを言うなら、俺の客だ、だろ」
「ちが……」
「この者達と行く、と言うのなら、私は止めない」
「導師?」
「今はまだ、お前は何も知らない。誰もお前に知らさなかったからな。しかし行くんだ、ルディオ」
「何の話をしてるんです?」人間が二人、こちらを向いて立っている。大きいほうが、小さいほうの肩を押さえたまま、言った。古いにしえのヒトの言葉で。
「時来きたり、徴しるしし現れたり。然しかれば旅はじまりたり。我らが古えなる約定に、我此処に承諾せり。いざ立てよ証しの者、然そうして軌跡へと導かん」
それは旧い人間の言葉だと、二人には分かった。しかしレオンにもプアジェにも、その意味するものは掴めない。
別の言葉をつぶやきながら、大きいほうの人間が片手をひと振りさせた。その手の中に、薄い灰色の布が現れる。ヒトの衣装だ。一枚の布は、セファルのローブと同じ素材で出来ていた。柔らかで、丈夫で、軽い。セファルはルディオの肩にひらりとそれを舞わせると、もう片方の手に“召喚”した小さな留め具で布を留めた。簡単なマントの出来上がりだ。
留め具には、青い石がひとつついていた。魔術師院の紋章が入った、輝石だ。それは魔術の上達の証に与えられるもの。
「セファル導師、これは……?」
「これは“護りの石”だ。ほんとうはまだ早いが、今授ける。『汝、輝石の御加護があらん事を』。旅の途中で、これがお前を守ってくれる。お前も誰かを守ることができる」
「待って、なんで……俺には無理だ!」
「そう、まだ無理だ。時期が早まったのか、私が遅すぎたのか。……どちらにせよ、お前は行かなければならない」
真摯な眼差しで、魔術師院の最高峰は言う。誰もが従うその言葉の重みを、今になってルディオは知った。身を以て知らされたのだ。
「いいか、お前は、現れるべくして現れた。だから行くんだ、この方々と共に。そして世界を……軌跡を、見てこい」
「世界を? 軌跡……?」
「そうだ、ここと違って堅苦しくない世界だ。ここと違ってお前が何も知らない世界だ。お前が見えた世界を、ただ行けばいい」
耳もとに、セファルの声。眼前には、見知らぬ子どもにエルフが一人。
見たことがない二人なのに、どこか見覚えのある子どもとエルフ。ルディオは、肩に置かれたセファルの手に、自分の手を重ねた。
「ラースに、ごめん、て伝えておいてもらえますか」
手を振り払い、ルディオは一歩、踏み出した。
そのまま二歩、三歩と前に出ていく。
やがて、少年とエルフの元にたどり着く。一度だけ振り返って、セファルの目を見た。その茶色い眼差しは、隠さずにまっすぐ不安を伝えてくる。
「ああ、伝えとくよ。だから心配なんかしないで行ってきなさい、ルディオ・ハーディ」
セファルが笑うと、子どもは背を向けた。
二人の異質な侵入者を伴って、その影が森の中へと消えていく。消えていく三人を見送って、セファルはそっと思った。
(私の最初の契約は、これで果たされたのか……?)
不安なのはむしろ自分のほうなのかもしれなかった。胸の中で、ずっと溜めてきた言葉を唱えた。それは代々、魔術師院の責任者だけに伝えられてきた、契約を伴った、古い言葉だ。時来り、徴し現れたり
崩れ壊すべきは訪れたり
然れば旅はじまりたり
辿りて見し途みちなる世界ならば
そは繋ぐ奇跡の柱、輝石の柱
我らが古えなる約定に、我此処に承諾せり
いざ立てよ証しの者、然して軌跡へと導かん軌跡へと導かん――
第2話「選ばれし者」完