柱・
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竜の子どもの唇に、重たい声が乗せられる。
声は、自らを神であると名乗った。
竜達は驚きもせずにその事実を受け入れ、受け入れたことを示すように長く啼いた。子どもが、竜とは異なる声音で何かをつぶやき、傍らに聳そびえた光の柱にそっと触れた。
触れた手のひらが光に包まれる。
声なき声がはじまり、その場にいるすべての竜のなかに入ってくる。
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この世界には、護りのために結界が張られている。それは目には見えないし、触れることもできないが、ただ井然せいぜんとそこに存在する。誰もが知らぬところで、誰もが知らぬ脅威からすべてを護っている。しかし、その結界を支えている柱が、いつの間にか自然崩壊をはじめていた。
それは、予期した事態だった。
複数ある柱は、そのうちの一つや二つが崩れても、どうということはない。だがすべての柱の崩壊が今、始まっていた。そのままでは、やがて結界に支障を来きたす。
白き闇よりこの世界を隔てしもの。悪しき魔獣よりこの大地を護りしもの。決して失うわけにはいかないもの。それが世界を覆う、ひとつの結界。失うことだけは何としても避けなくてはならない。この世界をつくる自然、すべての生き物と人間達を残すためにも。
天上に住まう神々は、そのために交わした契約を、発動した。旧ふるきもの崩れしときには新たな柱を建て、現存する結界の力を維持する、古き契約。
大地の下、ずっと深い場所に、基盤を支える9つの柱がある。それと同じものを、古い契約の名の下もとに、この大地の上にも建てる。そう、“最初の大地”と呼ばれる9つの大陸や島々に。そうして結界を守ろうという。その“最初の大地”の一つがこの島であると、子どもの姿で神は言う。竜族の聖域とは言え、この大地にも「柱」を建てなくてはならない。神々の力すら容易に及ばないこの地に、竜族の力を借りて。
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朝焼けに染まるベテルギウスの竜が、普段は大人しい空竜エアドラゴンが、憤りも隠さずに吼える。
「我らが聖域は、然も有り、神の力すら及ばぬ場所」
「何ゆえ、我らが人間界の護りに手を貸さねばならぬか」
「我が種族に危機迫れば、我ら自身が護りぬく」
それは、同胞はらから思いの空竜エアドラゴンらしい言い種だった。彼らは異物を受け付けたくないのだ。腹の底から、この侵入者に出て行って欲しいと願っている。
しかし一方で、年老いた竜はその侵入者が気紛れでやってきたのではないことを悟ってもいた。竜王が現れたのだ。とうに現世への未練など捨てたはずの、竜の上位種が。
「話を」
若き竜どもを制して、老いた竜が言う。
「続けよ、神なるものよ」
「……我々は、汝らが聖域を侵すつもりは無い。ただ、柱を建てたし」
竜がまとった人間の姿で、神が言う。
「我々、神の力でなく、汝ら竜の力を以て」
神は傍らに輝く実体のない柱を示して、
「このような柱を」
するとまるで何かの合図のように、柱の光は薄らぎ、弱々しくなった。人間の子どもの姿で、神が空を見上げた。暁のまぶしい空を。
竜族は互いに顔を見合わせた。『汝を、我ら定命あるものは信じて良いのだな』
上位種たる竜王に問わば、その命無きものは「無論」と応えた。
信じるしか、あるまい。
今はただ、竜王を。この小さき竜に宿る意思のことばを。
全員の意志を汲んで、年経た竜が応える。
「我ら、汝が望みを受け入れよう」
その意図を汲んで、年若き竜が続ける。
「柱を建て、そして如何いかがするのか」
竜の目を真直ぐに見つめ、竜ならざるものは答える。
「汝らの建てし柱に、我々の力を重ねよう。それを以て完成とす」
そして続けた。
「我々は、この世界の各地に点在するかつての柱をたどろう。それらを建て終えし後に、再び此の地を訪れよう。その時までに、柱を」
竜族は、言葉を受け入れ、承諾したことを示すように長く啼いた。幾頭もの声が重なる。竜の声を受けて、神の声は言う。
「この器は、必ずや返さん。汝らの許にではなく、この器が最も望むべき世界に」
子どもの瞳は閉じられた。
一陣の風の後に、そこに一頭の小柄な竜が現れる。空色の鱗をまとった、最も速く空翔る竜。小さな竜は翼を広げると、力強く羽撃く。すぐさま体躯が宙に浮く。そして真直ぐに空を目指した。すでに陽の高い、北東の空へと。
第1話「空翔る竜の島」完
>>> 第2話「選ばれし者」
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