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    安らかに

    安らかに




     安らかに





君のいない夏を、迎える




















海の見える丘








 …からん…

 色とりどりの花が色彩豊かに店内を飾る。幾つもの香の混ざった空気は、鼻に刺激を与えるよりも、心に安らぎをもたらしてくれる。
 フラワー・ショップのカウンターの奥から、2、3人の頭がのぞいた。
 今、入り口のドアのチャイムが鳴って、客人が一人入ってきたのを知らせたからだった。
「いらっしゃいませー」
 黒髪の若い客人は、ちらっとこっちに視線を向けたが、すぐに花へと視線を戻した。

「ねぇねぇ。あの人また来てるわよ」
「几帳面ねー。初めて来たときから、半年以上は経つのに」
「どなたに差し上げているのかしら」
「きっと片想いの相手によ。たぶん…なかなか振り向いてもらえないから、毎日、口説き続けてるのよ」
「まぁ、ロマンティックだわ」
 店員達はいつも、そう言って噂し合っていた。

「これを」

「え? …あ、はい」
 突然差し出された花の束に、店員達は慌て、そしてすぐにレジを叩いた。
「全部で……64,100リラになります」
 黒髪の青年が、いつもほんの少しだけ買っていくことを知っていた店員達は、今日は量がちょっと多めだったので首をかしげた。だからリボンなどかけないことも知っていたが、念のため聞いた。
「リボンはおかけいたしますか?」
「いや、いい」
 いつも通りの返事を返し、青年は数枚の紙幣と硬貨を1つ、置いた。花の束をカウンターから拾いあげ、無言で入り口に向かった。からん、というドアのチャイムの音にはっとして、店員達は声をそろえた。
「ありがとうございましたー」

 ショー・ウィンドウのガラス越しに見えていた外の青年の姿は、すぐに見えなくなった。
























 ヒイロは、白い花を片手に、急ぎ足で街の中央とは反対側へ抜ける道を進んでいた。
 半年以上も通い慣れた道は、静かに、ヒイロに行く手を示す。
 けもの道とも思えるような舗装されていない道を、小高い丘の頂上へと登る。
 潮の香がした。
 街中より海抜が高い分、風に運ばれてきたそれが、そのままヒイロの鼻をくすぐった。
 視線をずらせば、右手側に、群青の海が遠く、広がっているのが見える。
 コバルトブルーの瞳を思わせる、深い、包み込むような色。

 ヒイロは丘の途中の大樹の横を通ったとき、いきなりの突風に目を瞑った。磯の匂いが鼻をなで、通り過ぎていく。そのまま、歩みを止めないで、進み続ける。
 風が緩やかになってまぶたをあげると、目の前には小さな墓標があった。先の大戦で失くした、戦友の墓標。
 ヒイロは毎日のように、その墓標に花を添えに来ていた。
 義理でも任務でもなく、

ただ、約束を守るためだけに。
























 去年の夏、ヒイロはまだ"ヒイロ"という名を持っていなかった。彼は多少経験を積んだまだ若い傭兵で、一介のモビルスーツ乗りに過ぎなかった。
 戦争が長引いていて、人手が不足していた。だから彼は、若干15歳にして、すでに戦場の人となっていた。所属していた第14部隊から第6部隊へと移動が決まった次の日、彼はそこで、同じくらいの年齢の少年に、出会った。
 明るい茶色の長髪をひとつに編んで背中に流していたそいつは、曇りのないコバルトブルーの瞳をしていた。
「チャオ。新顔さん、こんにちは」
 そう言って、話しかけてきたそいつに、彼ははじめ、興味などなかった。だから無言のまま応えたのに。そいつは屈託のない笑みを浮かべた。
「デュオ。それがオレの名前。おまえ、何てゆーの?」
「……名前などない」
「じゃあ何て呼ばれてたんだ?」
「特に定まっていない」
「おいおい」
「仕事仲間はいつも俺を、番号で呼んでいた」
「何だよそれ。ロボットじゃないんだからさ」
 デュオと名乗った少年は、あきらかに同情した様子を見せた。おまえ、苦労してたんだなー。とでも言いたげな瞳を向けてきた。
「じゃあ、オレが名前つけてやる」
「おい」
「そーだなぁ…。ヒイロ! ヒイロにしよう」
「おい、勝手に…」
「いーの。オレはおまえを番号なんかで呼びたかねーんだから」

 …ヒイロ、か。
 その名を反すうする。デュオは知ってか知らずか…それはかつての平和的指導者、偉大なる英雄のなまえ。
 ただの、戦線拡大するだけのモビルスーツ乗りには、俺には不遜すぎる名前だな。
 だが、たまには、そういうのにでもあやかってみても悪く、ない。
 彼はそう、思った。

「…勝手に、しろ」
「やりぃ」
 そいつとの出会いは、そんな感じだった。
 その日から彼は、"ヒイロ"という名を持った。










 上からの指示で、二人のいた部隊は動いていた。一緒に行動することもあれば、別行動になることもあった。一介の傭兵なんかが口出しできることではなかったから、二人は大人しくその指示に従った。
 けれどその代わりに、戦いの終わった後、必ず合流して戦果を報告し合うことにしていた。言い出したのはデュオのほうだったが、ヒイロも否定もせずに、むしろ楽しんでいる風もあった。

 モビルスーツのモニター越しに、デュオが問いかけてきた。
「今日は何機、落とした?」
「7機。まぁまぁだな」
「相変わらずすげぇな、おまえ。それってオレの倍近い数字だよ。オレ4機だった。敵さん手強くってさ」
 言い訳めいたことを言って、デュオは肩をすくめた。
 実力はあるくせに、手を抜いている気がする。ヒイロは今日も、そんな感想を抱いた。デュオはどこか、心ここにあらずといった、投げやりな感じで戦っている気がした。
「そんな調子だと、いつか命を落とすぞ」
「大丈夫。オレが死んでも、誰も悲しませないから」
 身寄りなど一人もいない。台詞の最後が聞き取り難いほど小さくなったのは、無意識なのか。デュオは暗にそう告げた。

「それに」

 声の調子をいつもの感じに戻して、デュオは続けた。

「死に神が死んじゃ、シャレにならない」



「? …何の話だ」
「オレのこと。これでも自称・死に神なんだぜ。…オレの姿を見た奴は、みぃーんな死んじまうんだぞ〜」
「ふざけた奴だな」
「そうでもしなくちゃ、やってらんないって。でもさ…」
 そのとき別モニターに隊長の顔が映し出された。
「いつまで喋っている気だ。15番機と23番機、指示通りにさっさと戦線離脱しろ」
「りょーかい。15番機、今すぐ離脱しまーっす」
「23番機、了解。15番機と行動を共にする」
「隊長機、了解した。じゃ、ゆっくり休めよ」
 第6部隊の気さくな隊長は、若い傭兵達の駆る2機の機影が、自機レーダーから消えるのを確認した。

 二人は、近くの街へと向かっていた。次の指令がくるまで、そこで休むつもりだった。
























 その夜。

「デュオ、お前はもう戦うな」
「何だって?」
「戦って何になる? お前は命を無駄にしようとしているだけじゃないのか?」
 デュオが目を伏せて、またすぐに開いた。

「幼い頃から好きだった場所があってさ。
 そこ、小高い丘なんだけど、頂上のちょっと手前に、一本の樹が生えてるわけ。けっこー大きくて樹齢もう何百年にもなるやつで、その下で休憩するのがすげぇ気持ちいい」
「思い出話か?」
「そんなんじゃねーけど…、でも頂上を目指すには、その樹の下でもたれたままじゃダメなんだ。一休みは好きだし大事かもしれないけど、
 …そこを抜け出さなくちゃ、頂上には行けない」
「頂上には何が、あるんだ?」
「あぁ。オレの故郷が一望できる。海岸に面したきれいな街で…上から見てると、潮の香とかするし、風も気持ちよくて、すげぇ眺めいいんだ。
 あの景色は、他の何ものにも代えられない宝物だよ」
 ふと、ヒイロはデュオが何かを言おうとしているのに気がついた。
「だからオレは…」

「何を迷う? 最後まで聞かせろ」
 言い淀んだデュオを、うながす。
「今は休むけど、オレはまた戦場に戻るよ。歩き出さないと、頂上へは行けないんだ。"終戦"っていう名のすげぇ眺めは、まだ見えちゃいないんだから」
「そういうことなら…、了解した」

 夜は、更けてゆく。
























 大きな仕事が舞い込んできて、再び彼らは集まった。隊長は命を捨てる戦いになりそうだ、と隊員達に話した。
「けど我々は軍人じゃない。命を張りたいやつは止めないが、そんなくだらないことで命を落とす必要はない。どうせこの任務が終われば、この部隊は解散することになっている。
 各自、好きなように、やれ」

 だから生き残ることだけを考えろ。

 隊長は、ヒイロとデュオだけに、そう、そっと言ってよこした。
「わかってますって。隊長も、死なないでくださいよ?」
「おれを誰だと思ってるんだ?」
「はいはい。隊長がすげぇ強いんだってことくらい、オレ達はよぅく知ってますから」
「じゃ、機会があったらまたどっかで会おうな」
「戦場じゃないといいんすけどね」
「そうならんよう祈っといてやるよ。……またな」
「お世話になりました。アリヴェッデールチ、隊長」
「グラーツィエ。アリヴェデルチ、隊長」
 ヒイロもそう言って、モニターの向こうの人の良い隊長に、最後の挨拶をした。

 画面を切り替え、ヒイロはデュオに通信を入れた。
「デュオ。今度だけは本気でやれ」
「大丈夫だってば。…万が一、」
 デュオは、ふっと口元を緩めた。
「オレが死んでも誰も悲しませないから」
「俺は数えないのか?」
「おまえでも悲しむことあんの?」
 ヒイロの忠告を封じ込めようとでもするかのように、デュオは話題をすり替えた。ヒイロはそれと知ってて、わざとのった。
「墓標に花くらいは添えてやる」
「うわぁ似合わねぇー。
 …どーせだったら、ついででいーから覚えといてくれよ」

「…何を?」



「オレっていう相棒がいたこと」

「誰が相棒だ」
 言ってて、そう間違っていないな…、とヒイロは思い直した。
「さぁて、冗談はこのくらいにして。ひとつ格好良いとこを見せつけてやりましょーかね?」
「そうだな」
 二人はそれぞれの駆る機体の、操縦桿を強く握りしめた。
 向かう先は戦場。そしてそのあとには、いつものように互いの戦果報告が待っている。こんなところで、無駄に命は捨てられない。
「行くぜ、相棒!」
「俺は死なない!」
 威勢よく、敵陣に突っ込んでいった。
























 戦いが終わり、あらかじめ決めておいた合流地点にヒイロは来ていた。
 デュオの機体の姿はない。レーダーにもまだ反応はない。

 戦いの前の会話をふっと思い出し、ヒイロはつぶやいた。

「相棒、か。そんなことを言われたのは、はじめてだったな…」




 それから小1時間程が過ぎ、ヒイロは、おかしい、と気付いた。今までにこんなに遅くなったことはない。まさか…。










 予感が的中したと知ったのは、だいぶ経ってからのことだった。
 幸か不幸か、デュオの機体が撃墜される瞬間を、隊員の一人が目撃していた。その隊員は、何とか拾った幾つかのデュオの骨が入っているという小箱を、ヒイロに渡した。

 あいつは戦場で、帰らぬ人となったのだ。






 ───死に神が死んじゃ、シャレにならない

 そんなことを言っていたくせに。




 得体のしれない感情が渦巻き、ヒイロは何も考えられなかった。

 ただその小箱を持って、無意識のうちに向かっていた。
 デュオの話していた、

あの海の見える丘へ。



 坂道を登っていくと、デュオの言っていたと思わしき大樹があった。
 その木陰に入ると、暑い陽射しを遮ってくれて、
涼しくて、確かに気持ちよかった。

 そこを抜け出して、もうしばらく登ったところが、頂上だった。



「連れてきて、やったぞ…デュオ」

 話の通り、すばらしい眺望が見えていた。
 眼下に広がる街並は美しく、
 遠くに横たわる群青の海が、鮮やかに煌めいている。

 その色は、デュオのコバルトブルーの瞳を連想させた。




 ヒイロはその地に、デュオの骨を埋めた。
 土をかぶせたあと、少し大きめの手頃な石を立てて、墓標代わりにした。










 それから半年たらず後、
戦争は終焉を迎えた。




 真冬の最中、ヒイロは再び、デュオの眠る地へと来ていた。
 海岸に面した街にも雪が積もっていて、クリスマスカラーに彩られた家々が、ほのかな明かりを灯していた。






 俺はお前と…この"終戦"という名の眺めを、見渡してみたかった…。


 墓標に花くらい添えてやる───

 そう言った自分の台詞を思い出して、ヒイロはあたりを見渡した。
 草木が風に揺れていたのが目についたが、雪のせいか、
あいにくと花は咲いてなかった。

 丘を降りよう、と思った。

 ここへ来るときに、途中の道にフラワー・ショップがあったことを、ヒイロは記憶していた。


























 あれからもう1年が経つのか…。

 ───最初にこの丘を訪れてから。




 再び強い風が吹いて、ヒイロは目をつぶった。磯の匂いが鼻の先をかすめ、通り過ぎていく。風が緩やかになってまぶたをあげると、目の前には小さな墓標がある。半年以上も前に終わった大戦の最中、命を落とした戦友の墓標。

「どこまでもふざけた奴だったな…」

 立ったまま、しゃがもうともせずに、ヒイロは無造作に花束を投げ出した。放られたそれは、風に舞ってばらけ、墓標のまわりの大地を飾った。

「俺はお前と、
 …この"平和"という名の絶景を、
          眺めてみたかった…」

 …らしくないな、こんなことをつぶやくのは。
 ヒイロは、ふっと苦笑した。





 ヒイロ、か。

 その名ではもう、誰からも呼ばれることはない。
 唯一そう呼んでいた人物は、今はこの大地の下に眠っているのだから。






















 安らかに

 安らかに




  安らかに

        眠れ

        眠れ




  眠れ、          

    我が愛しい人よ…







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