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      瞳無き巨蟹 



 たとえ真昼でもろくに陽射しの差し込まないだろう小さな窓の側に三人、男がいる。二十三、四の男が二人、それと十六、七の男が一人。三人とも髪は黒かったが、少しずつ違う色を見せている。
 窓際に立ち、外を眺めている男は、光もはね返さないような真っ黒な髪をしていた。彼は鞅銖ヤンツゥという名前だった。この部屋の持ち主でもある。彼のすぐ脇で足を広げて床に座っている男は、珍しい銀の混ざる黒髪を持つ瑣黎スオリー。普段は鞅銖の隣の部屋で暮らしている。きしむ音をたてる寝台の上に腰掛けている男は、顔色の青白さとは対照的な綺麗な黒髪を持ち、梓陵ツーリンという名前だった。鞅銖の部屋の上の階に部屋を持っている。
 三人は、同じ建物の違う部屋に住む者同士、こうして一つ所に集まることも少なくは無かった。
 
 光もはね返さないような闇色の髪が窓ガラスに触れる。漆黒を映したような闇色の瞳で窓の外を見下ろしながら、鞅銖がこともなげに言う。
「俺は、義務だとか言ってるやつらの気がしれない」
「同感だな」
 灰色がかった新緑の瞳を伏せながら、梓陵が短く相づちを打つ。窓の外から部屋の中へと視線を移し、鞅銖は続けた。
「ここには、そんな約束事をした奴はいない。勝手にやってきて、縄張り荒らされたら困るのはこっちだ。何が奉仕か」
「でも、彼等は私達に尽くそうとしているんじゃないの」
「尽くす? そんなばかな。来るとすれば、嫌々来るだろうな」
 静かに反論する瑣黎に向かって、梓陵が平淡に告げる。
「何故そんなことを言う。…何がしたいんだ、鞅銖」
 窓際から離れた鞅銖を見て、床に座っていた瑣黎は手をついて立ち上がった。銀の混ざる黒髪が小さく背で揺れる。
「俺にだって意地はある」
 そう断言した鞅銖を、瑣黎は灰色の瞳で見返した。
「わかった」
 短く答えて、それ以上は何も言わない。割り切ったつもりはなくても、本人がそう言うのならば仕方ない。だが、せめて。
「私にできることは」
「ついてくるな」
 鞅銖は反論を許さない声色で言い、漆黒の闇を映すその両の瞳に、瑣黎は身をすくめた。何もできないのだ、と思った。自分にはついていくことさえ許されないのだ、と。
 二人のやりとりを端で黙って見ていた梓陵が、静かに告げた。灰色にくすんだ新緑の瞳には、感情を湛えずに。
「結論は出たな。部屋に戻ってもいいか」
「勝手にしろ」
 いつにも増して機嫌の悪そうな声で、鞅銖は冷ややかに返す。今はそれが精一杯の譲歩だった。憤りが胸の中で渦巻いて、思考回路さえ邪魔してくる。抑えようと思うほど、それが勢いを増していく。
 梓陵が部屋に出るのに続いて、瑣黎も部屋を出た。最後にちらりと振り返り、こちらを見ようともしない鞅銖に向かって。
「さようなら」
 返事も期待せずに言った。もうきっと、会うこともないだろう。
 雨音が耳奥でかすかにした気がした。
 前にも後にも進めない。見えなくなれば左右にさえも動けない。


 皆、離れていく。
 二つの月が重なるように見えても、それが見せ掛けでしかないみたいに、決して交わることがないみたいに。
 一度近付いた月は、それ以上間をつめることはできず、徐々に離れていく。もう二度と互いの影を踏むこともないだろう。

 
     スオリー
 数日後、瑣黎はその部屋を去っていった。
 ヤンツゥ
 鞅銖が闇夜を滑る白い鳥を見たのは、それから更に数日後のことだった。
 ツーリン
 梓陵が遠くに汽笛を聞いたのは、それから三年近くも過去に遡ったことであったが。




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