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      踊れる双子 



 すべての終わったあとに
 すべての終わったことに
 すべてを終わらせた人に



 異国の旋律を奏で、揃いの衣装をまとった二人の女性が、リズムに合わせて軽やかに踊っている。薔薇色に染まる赤い頬とくっきりとした目鼻立ちとが印象的な、よく似た顔の二人。彼女らは双生児だった。
 足が地に着く、すぐに影と本体とが離れ体が宙に浮く、手のひらで大気を掬うように腕をひく、両手が背に回され、後ろで組まれてすぐ肩の高さで左右に広げる。
 詩のない曲を違う音程で二人は歌い続け、それに合わせて衣装の襟も裾も紐も踊る。異なる早さと高さの歌が重なり合い、彼女らの舞いを飾った。
 最後につま先立ちのまま右回りに一回転して、はずみを利用して腰を引き頭をさげた。二人がそうやっておじぎをすると、周囲で拍手が沸き起こる。見ていた人々が口々に上手さと華麗さを褒めた。
 硬貨や紙幣を投げようとする人を広げた両手で制して、双児の妹のほうが言う。
「我々はただ、皆様の手を打たせるためだけに踊っております」
 するとまた、割れるような拍手の渦が沸き起こるのだった。


              アイヤオ     ナァカオ
 双児はそれぞれ、姉のほうを皚踰、妹のほうを那皋と言った。
 皚踰は背の中程までもある豊かな黒髪をゆったりと流して、同じ色に少し金の混ざる艶やかな髪を、那皋は後頭部できつく束ね上げている。衣装を着替えた二人は、装飾のあまりない、普段着ている服装に戻って街の中を歩いていた。
 通りの先まで連なる幌のかかった出店からは、道行く人を盛んに誘う声が聞こえてくる。戦地から離れているとはいえ、その賑やかさは争いのない世界に放りこまれたかのような錯覚に囚われそうになるほど。
「これくらいの活気、故郷にも欲しいよね」
「そうね」
 姉の皚踰が呆れるように言えば、妹の那皋が相づちを打つ。
 彼女らの故郷では若者が少なくなってきている。同世代の仲間達は兵役に就くことを義務付けられ、戦地へと赴いているため、郷里にはほとんど残っていない。いるのは子供と老人ばかり。
 兵役を嫌い、この姉妹のように異国へ旅立つ者も少なくない。しかし、異国での奉仕が兵役の代わりであることもまた事実。一定期間が終了するまでは、帰りたくても帰れない状況にある。
「どうしてるかしら」
「兄貴のこと? まだ悩んでるのよきっと」
 那皋が、兵役にも就かず故郷に残った兄を思い出して言えば、皚踰が深く考えずに答える。義務とはいえ、始める年齢を選べることもできたから、双児の兄は余裕目一杯まで悩み続けることだろう。
「深く考え過ぎよ。少しは楽しみなさいって」
 踊っているときとは別人のように静かな表情を湛える那皋の手をとり、それより、と言いながら皚踰は強く引っぱる。
「美味しいものを食べにいきましょ。これだけ店があるんだから、一つくらい名店があってもいいはず」
「そうね」
 微笑んだ妹を、安心したように姉は見遣った。人通りのある細い道を、波にもまれながら歩いていく。繋いだ手を離さないように。離れないように。
 権威ある書は言う、水は決して触ることはできない、と。繋いだ手のぬくもりに安心しながら、それが消えてしまわないよう、皚踰はしっかりと握りしめていた。人の流れが少し落ち着いたところで、皚踰は妹の手を離した。
「何かあるのかしら」
 人だかりのする道を振り返って那皋がつぶやく。こちらへ渡ってきてからしばらく経つが、それでも異国の言葉は上手く理解できない。歩いている人に聞いてみたとしても、満足のいく答えは得られないだろう。
 溢れ出る人込みを避けるように、二人は更に細い道へと入った。こちらへ来てから覚えたのは、こういった迷路のように入り組んだ道の歩き方だった。人気のない通りを抜けていく。




 弓張り月のぼんやり浮かぶ夜。      ナァカオ
 部屋を抜け、涼しい夜風にあたろうと思った那皋は外へ出た。風はほとんど無かった。雲が薄く月にかかり、月の周囲を淡く染めていた。まるで透ける糸から作られた輝く衣に身を包んだみたいに。
 風が無いことにがっかりして、那皋が戻ろうとしたとき、夜道を歩いていく人影に気付いた。こんな時間に何をしているのだろう、と少しの好奇心が湧く。帰ることを止めて、那皋はそっと歩き出した。後をつけるみたいにこっそりと、しかししっかりとした足取りで。
 雲がゆっくりと晴れるたび顔をのぞかせる月の明かりは、時に道を照らす。那皋の前を行く小柄な人の、肩で切り揃えられた髪の毛が、月明かりを反射して銀のような輝きを見せた。
 那皋は思い出したように髪を束ね直し、歩みを速めた。その人の顔が見たいと思った。すぐに追い付く。
「ねえ」
 声をかけても相手は止まらない。那皋はくるりと前に回り込んでその人の顔を見た。月明かりが届かないせいだろうか、灰色の瞳が見えた。
「こんな場所で、何をしているの」
「…誰?」
 思ったよりも低い声でその人は言った。那皋は小柄な背丈から女性だろうと思っていたのだが、その人は男性のようであった。まだ若い。十七、八くらいだろうか。
「私は、ほかの国から来た者よ。この街に住み始めてから随分経つけれど。貴方は?」
「私は、もうずっと長い間この街に住んでる」
 那皋よりもたどたどしいような、感情の込められていない口調でその少年は言う。
(外から来たけれど私よりは長くいる、と言いたいのかしら)
 那皋はどう続ければいいか迷った。と、雲が晴れたのか月明かりが再び地を照らし、二人はお互いに相手の顔がよく見えた。那皋は、明かりの中にあってさえ灰色に見える、感情を映さない瞳を見た。その瞳がかすかに揺れた。
     スオリー
「私は、瑣黎。貴女は?」
 ナァカオ
「那 皋よ」
「初めまして、那皋。綺麗な瞳をしているね」
 瑣黎は抑揚のはっきりとしない発音で、那皋を褒めた。那皋の持っているような瞳を見たのは初めてだった、海より深い紺色を宿したような瞳は。そんな綺麗な目をした人間は、瑣黎の周りには居なかった。
 那皋は展開に戸惑い、ありがとう、とだけ答えて、瑣黎の銀の混ざる黒髪を見ていた。どこから来たのだろう、と、相手の出生が気になる。
 やや厚い雲が静かに流れ行く風に乗って運ばれてきて、弓のようにしなる月を覆い隠した。あたりには暗い沈黙が流れ、再び月明かりが照らすまでに、瑣黎の姿は消えていた。
「…瑣黎?」
 驚いて、那皋が呼ぶ。すると前方で、かすかに動く人影が見えた。
 暗かった間に、瑣黎は行ってしまったようだった。それ以上追いかける気にもならず、さようなら、とつぶやく。
 月明かりが道を照らしてくれている間に。
 迷わないうちにと、那皋は踵を返した。



 すべてを終わらせた人に与えられるものは何だろう
 それは希望か
 それとも絶望か




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