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 夢見     鞅りつける銖かな 
 夢見      しばりつけるわずかな 



 やわらかい陽に温められた風が抜けていく。
 城壁の周りに造られた平野の、赤く塗られた風車の羽根を風が回している。水を汲み上げることも粉を挽くこともその小さな風車はできなかったが、地上にある同じ形の仲間に負けじと羽根を回していた。羽根のからからと回る音が耳に心地よかった。
 人の背丈とそう変わらない高さしかない風車を、窓越しに見つめる瞳がある。城の外側の小さな塔、その中程の高さの窓から、少年が灰色がかった深緑の双眸で静かな視線を投げかけていた。
 見ているのは、風車ではなかったかもしれない。
 例えば、風車の動きを見て考えているのは、羽根の枚数だとか一回転する速度だとかだったかもしれない。
 あるいは、少年は窓ガラスの厚みを目で測っていたのかもしれない。
 目の前を真っ白な鳥が遮っていくのにも気付かないふうで、少年は視線を動かそうとしなかった。
 そのとき扉を叩く音を二度聞いて、少年はようやく部屋のほうを振り向いた。敷き詰められた絨毯も置かれた調度品も豪華な品であったが、そんなことに少年は感心を持ったりはしなかった。
「どうぞ」
 扉の外の人間に向かって、静かに言う。顔はまだあどけなさを浮かべていたのに、それはひどく不自然な声色に聞こえた。声に応えるように、扉が開く。
「シリョウ、外へ出てみませんか。風が暖かくなってきたわ」
 両の頬に微笑みを浮かべて姿を現したのは、シリョウと呼ばれた少年の母親。女性はややくすんだ金色の髪を結い上げていた。今年四十一になるが、白髪はひとつも混じらず、しわもほとんど見えない。優しさを湛えた新緑のような翠の瞳は誰もが綺麗だと褒め称えるほどだった。しかしその姿を、子たる少年が美しいと感じたことはない、一度も。
「気持ちの良いものですよ、ときには陽にもあたりましょう」
 母の誘いにうなずく素振りを見せて、シリョウは窓から離れた。
 肩ごしにちらりと見やった空は、変わらぬ青さを湛えている。



 風のない青空に、たくさんの小魚が群れを成したような小さくて白く丸い雲が固まって並んでいる。それは河原に転がった小石のようにも見える。雲の真白さが空の濃い青に強調され、一段と際立って見えた。
 ときおり穏やかな冷風が流れていく中を、栗毛の馬が騎手を乗せて駆けていった。
 金の混ざった焦げ茶の髪の青年が、騎馬を操っている。風が髪を揺らし、陽が髪を輝かせた。
「はっ!」
 耳障りの良い掛け声が響く。
 しばらく走るうち、騎手は自分の馬の足音に違う足音が重なるのを聞いた。
 さっと後ろを振り返れば、近付いてくる別の騎馬がある。
 葦毛の馬を駆る騎手の髪は、短いながら艶やかに輝く黒髪をしている。
 不意に現れた騎馬に驚いて、栗毛の馬の騎手が少し速度を落とさせた。後からやってきた騎馬も、それに倣う。
「…誰?」
 やや見下すような声色で、追われた側の栗毛の馬の騎手が問う。
「さぁてね」
 ややふざけるような声色で、追った側の葦毛の馬の騎手が応えた。
 しばらく二騎は遅めのギャロップを続け、そして止まった。
 沈黙が流れて、風が揺らいで、足下の草が傾いて戻る。
「僕に何の用事があるんだ、一体」
 先に声を開いたのは、栗毛の馬の騎手だった。不機嫌そうに彼が言えば、後からついてきた葦毛の馬の騎手は、笑いを浮かべて答えた。
「用事なんてないさ。ただ、他の誰かが馬を駆ってる姿って、久しぶりに見たから」
 いくら広いと言われていても、所詮ここは空中の楼閣。馬が走れるような地域は限られていたし、何よりこの地に滞在を許された者が限られている。
「あんた、名前は?」
「……」
 一つか二つ、年の若い少年にそう尋ねられて、問われたほうが憮然とした表情を返す。
「ああ、俺はガイユ。これでも伯爵の跡取り息子なんだぜ」
「…ラジョウ、だ」
 栗毛の馬の騎手、ラジョウは身分までは明かさなかった。
 明かせば、せっかく見つけた話せそうな人を失いそうな気がした。離れていってしまうかもしれない、のは嫌だ。
 城主の従弟の息子ラジョウは、伯爵の息子と名乗るガイユという少年が気に入った。おもしろい、と思った。
「ふぅん。じゃあ、よろしく、ラジョウ」
「よろしく」
 ラジョウの空のような蒼い瞳と、ガイユの緑がかった黒い瞳とが合う。端から見れば初対面とは思えないほどに親しみのこもった握手を交わして、二人は別れた。




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