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 臥待月 ――――見よ、黎明の世界を。それは迷いの消えた空

 


 
 
 独特の匂いを発する本棚の前に立つ。ミャクイクの書斎の本棚と違ってあまり掃除されることのない、倉庫の本棚の前で、キエンは背表紙を眺めていた。聞いたこともないような人の名前がずらりと並んでいる。
 簡単に言えばここは、前の城主の趣味の宝庫なのだろう。魔法とかいう分野が多かったが、あいにくキエンにはその趣味はない。
 「スピードボート以外にも何か古いもの探そう」とソウカが言うので二人で文献を漁っているところだった。趣味はなくても、需要があるかもしれない。
 もう使われていない、古えの字でも、二人は自由に読み書きできたし発音も出来た。もし「奇蹟の力」に関する文章が見つかれば、滅んでしまったその力を、蘇らせることもできるかもしれない。
 何かとうるさいオーシュやミャクイクにこんな姿を見られたら、ただでは済まないような気もしたが、二人はかまわずに文献を漁った。
 フウカは今頃、一人で部屋にいるのだろう。誘ったものの、落ち込み気味の彼には何を言っても無駄だった。だったら一人にしておいてやろうということで、強引に連れてくるのはやめた。
 やめて正解だった。
「こんなとこ、いるだけで気持ちが陰気くさくなる」
 キエンが機嫌悪そうに言った。
「我慢我慢。もうあんまり時間はないし、でも他にすることはない」
 言いながらソウカも、ここの空気にいい加減嫌気がさしてきていた。
 棚から分厚い書を、何冊か下ろす。
 二人がかりでそれを抱えて、部屋の外に出た。通路を吹き抜けていくやわらかい風が気持ち良かった。
 自分の部屋に戻るとき、ミャクイクとすれ違った。案の定、彼の目が険しくなった。
「それはなんだね」
「今から掃除するところ」
 適当なことを言って、二人は駆け出す、走って逃げた。部屋につく頃には息があがっていた。重い書籍を持っていた両腕が痛かった。
 それでも休む間もなく、拾ってきたそれを広げた。最近あまり見ていない古い文字が踊っている。挿し絵は皆無。ただひたすらに続く、小さい文字に閉口しながら、二人は作業を開始した。


 滅びのときまであと数歩。


 満天の星の下に三人、仰向けになって空を見ていた。キエンとソウフは昼間の疲れを癒すかのように、フウカは思い出すのを止めるかのように、遠く見える地平線までも続く空の神話をじっと眺めていた。
 冷たい風が吹く。
 潮の香を含んだ、決して寒くはない風が髪の毛を揺らす。
 周囲に明かりはない。だから空の星々の輝きは強い。
 飲み込まれそうなほど広い空。迫ってくるような夜空。
 仲間達があの中にいるのだ、と思うと、手を伸ばしたくなる。
「どこにいるんだろう、サレイは…」
 思わず呟いたフウカの声に、キエンが飛び起きた。
 表情の消えた冷たい顔で、フウカに近付いた。
 と、いきなりフウカに殴りつけて、その光景に驚いたソウフが慌てて二人を引き離した。
「何してるんだ、キエン…」
「思い出すな、って言われただろ? 何聞いてたんだてめえ!」
 はっとして、キエンの顔を見るソウフ。
 彼は自分を見ていない。映っているのは、多分フウカでもなく。
 …怒りに我を忘れている。
「やめろ、キエン。落ち着け。落ち着くんだ。お前がここで騒いだって叫んだって、ラクスイは戻って来ないんだぞ」
 故意に語気を荒げて、ソウフはキエンの肩を掴んだ。
「誰も戻ってはこないさ、…そう、誰も」
 態度を一変させてキエンは呟いた。何も声をかけられずに、ソウフは彼の肩を離した。
 海へ向かって自由になっていったラクスイの顔が浮かんで消えた。
 失言を懺悔するみたいに、フウカが空へ向かって叫んだ。
「自由なんて、目的の持てない負け犬の遠ぼえっ」
 それっきり、また沈黙が訪れる。
 冷たい夜風が屋根の三人をかすめていく。



 はじまりを予感させる陽の光り。広がっていく視界。
 白く輝きだした空の裾を、蒸気船が横切っていく。
 風を受けて、揺れる海。
 祈りの詠唱も後悔の念も全て飲み込んで、広がっていく意識。
 なんだか気持ちが大きくなる。
 空へ向かって昇っていきたくなるくらい、気持ちの良い風が吹く。
 その風に乗れば、どこへでも飛んでいけるような気がする。
 飛んだ先に仲間が待っているような気がする。
 今にも空に手が届きそうな感覚。
 なんだか気持ちが大きくなる。
 今なら飛べる気がする。




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