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 居待月 ――――戦跡を眺め、思い出すのは空っぽの自分

 



 
 
 
 
 
 
 
 古えの城より遥か上空、雲の谷間に潜む巨艦ゲイルシップ艦内へと、二機の複座式エアシップが滑り込んだ。
 彼らの携えた報告が、シリョウの元へ届く。
 訃報がもたらされて、やや悲しげな表情をシリョウは浮かべた。
「そうか…サレイが死んだか…」
 報告には、誤って、とあった。それが真実かどうか、考えるのは馬鹿らしいことだった。始めから追い払うつもりで、兵士達は彼を出撃させたのだから。サレイもまた奇蹟の力を宿し、それ故に孤立していた。
 そんなことに気付きもせず、彼は嫌な顔ひとつせず出ていってしまった、それが仲間の為になるのだと信じて。



 やわらかい風が吹き抜けていく。窓を開けておくだけで、通路さえも洗われていくような、優しい風が吹いている。
 ここのところ、砦とゲイルシップとの間では、頻繁に小競り合いが続いていた。それも大抵、仕掛けてくるのはゲイルシップのほうだった。
 もとより堅牢な造りの砦の中で、学者達と一人の技師は守ることに徹していた。それが何年も前からの、外敵に対する彼らの姿勢だった。
 切り岸に立つ砦からは、真下を波打つ海面も見えた。風の穏やかなこんな日は、海面に揺れはほとんどなく、透き通るような深い碧の中に銀色の魚が群れをなして泳いでいく様子さえもうかがえる。陽を浴びて銀に染まる海面の下を泳ぐ、銀の魚。上から見つけるのは決して容易いことではないのに、空を駆ける猛禽の鳥達は、それをいとも簡単に捕らえては、高く舞い上がっていずこかへと飛んでいった。
 仲間を呼ぶような、鋭い鳴き声が、海の上を流れていく。
 上空には、ところどころ広い雲がかかっていた。そう厚くはない、陽の光を透かす程度の雲の塊。風のない空を見えないほどの速さで動いている。小さな影が三つ、雲の合間をかすめたような気もした。
 猛禽の鳥が滑空していく、その数は二つ。二羽の足が同時に別々の場所で海面を叩くと、その次の瞬間に舞い上がったそれらの足には、いきのいい銀の魚がしかと握られていた。
 遠ざかっていく。おそらく巣に戻り、雛に与える餌とするのだろう。



 午後のほとんどを泣いて過ごしたらしいフウカが、目を真っ赤にしたままでミャクイクの部屋を訪れたとき、キエンはその場にいてその光景に正直驚いていた。彼が泣くこともあるのだ、という意外な事実に。
「まずは深呼吸だ、フウカ」
 ミャクイクの言葉に、彼は息を吐くと、深く吸ってまた吐いた。
「そうしたら、話してごらん。少しは気が楽になるだろう」
 言いながら目配せしてきたミャクイクの意図を汲んで、キエンはそうっと部屋を出た。
 出るとばったり、そこにいたソウフと目があった。
 同じように珍しい光景が気になったようで、後をついてきたのだと言う。キエンが通路を歩きだすと、ソウフもそれに倣った。
 


 夜風が流れていく。開いていた窓を片手で閉めて、オーシュは小さく呻きを洩らした。
「…こうなることを、予測できなかったわけじゃない」
 自分も、彼も。まして彼なら、容易に予測できたはず。
「何故サレイ、こんな場所へ来たんだ…来てはいけなかったのに」
 瓦礫に埋もれた彼の姿が記憶に蘇り、医務室のベッドの上のきっとした彼の顔が蘇り、ゲイルシップの中を駆けていく彼の後ろ姿が蘇った。
 駆けていく彼は、止まらず、振り返らず、そのまま行ってしまって。
 …いつだったか私の前から走り去っていった彼の姿が記憶に…。
「…サレイ」
 思い出してはいけないと、溢れてしまう力を抑えて。
 窓枠にかけていた手を離す、向こうから歩いてきたフウカを見つけたためだった。うなだれたままフウカが歩いてくる。
 彼も、オーシュの姿を認めたようだった。一瞬、歩みを止めかけて、思い直したようにまた速度をつけて、歩いてくる。
「キエンも、ソウフも…」
 言われて気付けばオーシュの後ろに、二人の姿があった。
「サレイがかばってくれた、僕は何もできなかった…サレイがいなくなることを止めらんなかった」
 フウカが顔をゆがめて、泣きそうな表情を浮かべた。
 オーシュはそれを、冷ややかな視線で見守り、口を開いた。
「泣かなくていい。悪いのはお前じゃない―――――――私の機嫌だ」
 毒を吐く。そうなることを予測していながら、対策を講じなかった私が悪いのだ。自分の行動力のなさに吐き気がする。
 そっぽを向いたオーシュと、床を見つめたフウカとを見比べて、その場の雰囲気を変えようと、ソウフが提案した。
「空へ行こう? エアシップではなくて、もっと速いのに乗って」
「そうだよ、倉庫を探せばスピードボートくらい出てくるはずさ」
 キエンが後押しするように続けた。
「そうだな…。外の風にあたって、涙を飛ばすんだな。忘れろとは言わない。だがもう、思い出すな」
 オーシュが低い声音で告げて、その場を後にした。残された三人は、様々なもののしまわれている倉庫のほうへと、歩き出した。



 暗がりの先は見えない。入り口から差し込む光が、ほんのわずかに床を照らすだけ。キエンは持ってきた燭台を掲げた。
 とたん、明るさが広がって、奥のほうの壁に大小の影を映し出した。
 あまり掃除されていない、それでも整然と整った倉庫を歩いていく。埃が舞うたび、くしゃみをしては、涙目になりながら奥へ行く。
 思ったより簡単に、スピードボートは見つかった。
 古い型だったが、溜まった埃を払ってやれば、まだ飛べそうだった。



            スピードボート
 翌早朝、砦の上空を舞う 快  艇 の姿があった。数は三つ。キエンとソウフとフウカが、それぞれ乗っていた。彼らは乗り心地を確かめると、銀色の海へと勢いよく滑り出した。
 気持ちの良い風が吹いていた。後ろを見やれば、砦の窓の幾つかが開放されているのが視認できた。良い風の吹く日はときどきああやって、通路に溜まった濁った空気を入れ替える作業をするのだ。
 行き交う潮風を追い越していく。
 古くても、エアシップよりはスピードが出る。
 晴れ渡った空の下、遥か遠くに見える対岸を眺めながら飛んでいく。
 ずっと先を、やや楕円形の巨大な船が横切っていくのが見えた。動きはとてもゆっくりで、こちらからは止まっているようにさえ見える。
     スチームシップ
「すげえ、蒸  船 だ」
 遠く船の頭上に、薄く細く、蒸気が上がっているのが見える。スチームシップには、客船と貨物船とがあるが、大きさから言って、多分、見えているのは貨物船のほうだろう。
「どこへ何を運んでいくんだろうね」
 久しぶりに輝いたフウカの顔を見て、幾分嬉しそうに、キエンが応えた。この辺でスチームシップが見られるのは珍しいことだ。
「何かいいことあるかもなー」
 ソウフも応え、ややスピードを落とす。
 なだらかな丘陵に沿って低空飛行するみたいに、海面近くの空中を上下しながら飛ぶ。海面下を泳ぐ銀の魚の群れが、突然落ちてきた影に驚いたように逃げていく。
 のどかな、一時の休息。けれどそれはすぐに破られることとなった。
 海面に、彼らのものではない影が落ちた。
 振仰げば空高く、雲の中をかすめるように飛ぶ、三つの機影がある。
(ゲイルシップ…っ?)
 三人同時に沸いた疑問は、けれど、口に出すことはなく。
 キエンらの操る三機は、編成を解いて散開した。
 敵より下にいるのは危険だ。機首を持ち上げて、昇っていく。
 影が大きくなってくる、視認できるようになるとそれは、彼らの思った通りゲイルシップの搭載機だった。
 いきなりドッグファイトが始まって、弾が乱れ飛んだ。
 逃げて、追って、撃って、撃たれて、昇って、廻って、逃げて。
 キエンとソウフが撃った弾が、それぞれ相手の片翼を捕らえ、失墜させた。くるくると落ちていく、人工の鳥。
 反対にフウカはコクピットの脇に弾を喰らって、操縦が出来ないでいた。舵がきかない。
 キエンはとっさにワイヤー弾を撃った。弾はフウカの船首を捕らえ、上手くフックがひっかがった。ぴんと張られた、銀の命綱。
 最後の一機に手こずって、ソウフはとっておきの一発を放つ。
 ぱぁん、と広がった輝きが、敵機の目をくらました。
 ソウフの放った照明弾が聞いたようで、戸惑う敵の姿がバックミラーに映った。留めとばかりに煙幕を大量に張って、三人は一目散に逃げ出した、フウカのスピードボートを、キエンのそれが引っ張って。
 文字どおり命からがら帰ってきた彼らを、オーシュは何も言わずに迎え出た。フウカのボートの傷を確かめて、「よく戻ってこれたな」とだけ呟いたのみ。
 彼は労いの言葉をかけたつもりだったのだろうが、その言葉を聞いて無力な自分というものを、フウカは再認識してしまった。
 軽く唇をかんだ。悔やまれる記憶は、まだ消えない。
 振り返って見えるのは、何もかもなくした空っぽの自分だけ。




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