十六夜月 ――――瞳を閉じて誓って。決して闇を恐れぬと
いつの間にか視界は黒く濁っていた。意識がぼんやりとする。
そういえばいつから、自分はこんなことをしていた?
キエンは身を起こし、周囲の気配を探った。誰も何もいない。
目を開けているのか、瞑っているのか、自分でもわからなくなりかけて、そこが闇の中であると気付いた。
「…誰か、いないのか?」
声が空しく消えていく。
目を開けても続く虚無に、少しばかり身震いをした。仲間を待つ。不安は消せない。戻ってきたのが三機だけだと知って、サレイはまた一つ、身震いをした。
今度は誰を失ったのだろう…。
格納室へと向かう足取りは重い。
順番に出てきた学者達の顔を、一人一人確かめる。
無言の似合わない表情を浮かべて、ソウフが歩いていった。そのすぐあとに続くフウカ。サレイと目が合うと、やはり彼は睨んできた。
そして最後にオーシュ。冷めた眼差しが辛かったが、サレイは聞かずにはいられなかった。
「じゃあ、キエンが…?」
「まだ戻ってきていない、それだけだ」
抑揚のない声で、オーシュは告げて、サレイの脇を通り過ぎた。
サレイの後ろにはミャクイクが立っていた。その横を抜けようとするオーシュに、彼は声をかける。
「見当はついているのだろ。助けにいってやったらどうだ?」
「あいつがそんなこと、望むと思います?」
「人が望むことだけをすればいい、ってものじゃないよ」
「…わかりました。けれどフウカは置いていきます。代わりに」
と、そこで区切って、オーシュはサレイの肩に手を置いた。
「代わりにサレイに来てもらう。いいですね?」
反論を許さない声色で、ミャクイクの目を見る。
彼の目は笑っていた、楽しそうに。
「かまわない。いきなさい。フウカはまだ立ち直れていないだけ」
その上キエンまでいなくなったのだから、不安はなおさら募ることだろう。
ミャクイクの言わんとすることを感じとって、オーシュは頭を下げ、その場を抜けた。戸惑ったあと、サレイも彼に続く。
それから一時間と少し、経過した。
燃料を積み直した後、三機は空に舞い上がった。オーシュの大型エアシップ、ソウフの小型エアシップ、それとサレイのエアボート。
種類の違う三機は、頭上高くを飛行中の巨艦ゲイルシップを目指す。自分が闇だらけの檻に入れられていたことを、まもなくしてキエンは知った。
鍵の開く音がすると、闇が退いて視界が晴れてきた。目の前にいたのは、知らない人間。知らない装いで、知らない言葉を話した。
腕に手枷がはめられていたことを、明るさの中で知った。急かされるように歩き、いくつかの通路を越えていく。
ゲイルシップの中は思ったより広くはないようで、キエンはすぐに目的地に辿り着いた。そこにはこの艦の持ち主らしい青年が座っていた。
「初めまして、とでも言っておこう泥棒よ」
わざとらしいくらい高圧な態度で、席に腰を落ち着けた青年が言う。その口調にも内容にもむっとして、キエンは言い返す。
「初めての相手に泥棒はないだろう。それとも君の故郷では、そうやってもてなす習慣でもあるのか」
「もてなされてると本気で思っているのか、この泥棒め。冥土の土産に教えてやろう、私の故郷は、ちょうどのこの下に建つ城だ。勝手にネズミが住み着いていてな、今ちょうど駆除作業を行っているところだ」
彼の側に控えた兵士がとっさに押さえかからなければ、憤りに我を忘れたキエンが、間違いなく彼に飛び掛かったことだろう。
床に押さえ付けられて、なおもキエンは怯まなかった。
「捨てられた資源を拾って何が悪い? 誰があの貴重な遺跡をこれまで守ってきたと思ってやがるんだ。思い込みも大概にしろ」
相手は、余裕の笑みを浮かべたままだった。
「離してやれ、今のうちだけだ、そんなことを抜かしてられるのは」
立ち上がったキエンは、既に、相手に何を言っても無駄だと悟ってしまっていた。彼の言葉に嘘がなければ、数日の後に砦が奪われるか、その前に自分の命が奪われるか、おそらくその両方だろう、と考える。
引き立てられながら、部屋を出る時にキエンは振り向いた。
「名を名乗れ、城の真なる主とやら。それが礼儀ってもんだろう?」
「シリョウ、だ。…感謝してるよ、貴様らの無駄な保護活動に」
「無駄なんかじゃねえよ。お前には渡さない。俺はキエン。よく覚えておくんだな」
機嫌が悪くなったときのキエンは、相当口が悪くなる。吐き捨てるように台詞を残して、キエンは通路に出た。
どおん、という、揺さぶるような振動が伝わってきた。
…みんな? わずかな期待が、キエンの胸に沸いた。大型エアシップ、オーシュの主砲が火を噴く。振動がこちらにまで伝わってきて、大きな黒煙が立ち上る。ゲイルシップの横っ腹に大きく凹みがついたのが見えた。
「もう一踏ん張りだっ」
ソウフが嬉しそうに声をあげ、自らも弾を放つ。
武器を持たないサレイは周囲を旋回して、目を凝らしていた。敵機が来るのを見張っていた。
これだけの攻撃に、さすがにゲイルシップのほうも気付いたとみえて後方の開いた場所から、次々とエアシップが出てくるのが見えた。
オーシュの主砲が二度目の火を噴く。攻撃とともに、ソウフもサレイもゲイルシップに向かっていった。穴の開いた横腹につっこみ、内側に降り立つ。
煙りが充満しつつあった。砦のものとはまた違った警報音が、耳に痛いくらいに鳴り響いている。
「こっちだっ」
やけに知ったような顔で、サレイが走り出す。オーシュと、数秒送れてソウフも、追い掛けるように走り出す。
ゲイルシップの乗り組み員を避けるように進み、人影の少ない通路に出た。薄暗いそこは、たくさんの扉が両壁に続いていた。そのひとつひとつを、サレイは見てまわる。
奥から三番目の扉のところで、サレイは立ち止まった。
「来て、たぶん三人いれば開くはず」
かけ声に合わせて、三人は扉に体当たりした。もう一度同じことをすると、扉は耐えきれずに内側へ凹んだ。最後、三人で扉を蹴破った。
中には、惚けたようなキエンが立ちすくんでいた。
「キエン、無事だったか、キエン!」
「行くぞ、面倒なのはこれからだ」
来た時と同じように、サレイを先頭に戻っていく。入ってきたあたりは、物凄い勢いで煙が動いていた。しゃがんだまま走った。上手く走れずに転びそうになりながら、懸命に出口を目指した。
煙にまかれながらも、エアシップ二機とエアボート一機、破壊されずにその場にあった。キエンはサレイの後ろに乗り込んだ。武器を積んでいない分、スペースは充分にある。
オーシュが主砲を構えた。
「俺が放った瞬間にみんな出ろ。外はきっと、エアシップの海だ」
墜とされるなよ。墜とされるもんか。
無言のやりとりののち、オーシュはトリガーを引いた。起こる爆音。
風。
ソウフが飛び出し、サレイが続く。オーシュが負けじとついてきて、そのまま一気に加速する。周りなど見ていられない。とにかくこの空域を抜けなければ。何発かくらった、けれど致命傷ではなかった。
かなりの距離を飛んだところで振り返れば、かなり後方、遠くのほうに追っ手の姿が見えた。
彼らは、しかし、追うのを諦めた様子で、それ以上こちらへは向かってこなかった。見えているのは後ろ姿かもしれなかった。
そのことに誰よりもほっとしたのは、多分サレイだった。
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