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 望月 ――――目をむけていられない程の、強い真実がそこに

 



 輪郭を捕らえられない姿の中に隠された、物事の核心。
 空虚の中にいると、それが見えてくる。



 見回りをしていた、小型エアシップは高度を下げた。遥か上空、雲の中に見え隠れする何かを発見したためだった。出力をあげる。
 砦から飛び立ってまだ一時間くらいしか経っていない。しかしソウフの操るエアシップは、雲の覆う大空をつっきって、砦へと帰ってきた。
「非常事態!」
 最近耳慣れてしまった警報音が、けたたましく城内に鳴り響く。
 ちょうど通路の掃除をしていたキエンとフウカは、その音に顔をあげた。そしてすぐ、井戸から汲み上げた水を並々と湛えてあった容器を手にして、
「持った? …せーのっ」
 二人で容器を傾ける。ぶちまけられた冷たい水が、通路いっぱいに溢れた。汚れを落とした白い泡をのみこんで、小さな海ができる。フウカはしゃがみこみ、床の近くの壁に備え付けられた、木製のレバーを手にした。下に引く。
 がたん、と音がして、前方の床が四角く抜け落ちる。いくつもの泡を浮かべた水が、その穴に飲み込まれていく。渦を巻きながら滑り込んでいく水を、キエンとフウカは見守った。
 あらかた水が流れたのを確認して、レバーを元に戻す。床はまた元のように塞がって、湿った面を見せた。
 壁の、丸いガラスのはめこまれた窓枠を押す。上下にくるり、と回転して、それは水平になる位置でかたん、と音を立てて止まる。外を巡っていた風が吹き込んでくる。まもなく床が乾くことだろう。
 ベルが鳴り続けていた。キエンとフウカは、格納室へと駆け出した。
 待っていたらしいオーシュが二人の姿を確認して、自機のコクピットに滑り込んだ。オーシュの大型エアシップは、小型エアシップ二機がいる限り、動こうにも動けない位置にある。二人は急いで自機に飛び乗り、起動させた。
 二機が次々とハンガーを飛び出していく。そのすぐ後に、オーシュの機が続いた。
 先行するソウフの機影が、ずっと先のほうに見えている。

 ずっと昇っていくと、巨大な艦の腹が見えた。それが少しずつ大きくなっていく、近付いてくる。上昇していく、キエンの駆るエアシップが、突然、言うことを聞かなくなった。舵がきかない。
「なんだ? どうした、ランドエンド」
 いくら名を呼んでみても、機械はそれに応える言葉を持っていない。
『来れ、光を知らぬ子供達よ』
 声がした。振動を感じない心の叫び。空から降ってきた呼び掛け。
 ゲイルシップの中から、誰かが呼んでいるのだ、と瞬間的に悟る。
「キエン、惑わされるな、操縦桿は誰の手の中にある?」
「捕まってたまるかっ」
 オーシュの声がキエンを呼ぶ。コントローラを握りしめて、キエンは無理矢理に舵をとった。なんとか自分の意志に愛機が反応してくれた。
 不意に、光の奔流が、光という言葉のイメージが、キエンを襲った。
『光って、なんだ? 暖かい…優しい…眩しい…そうなのか?』
「誰だっ。名を名乗れっ」
『わからない…それとも。光は冷たいのか?』
 頭痛と吐き気に襲われて、キエンはまともな思考力を手放した。
『光は冷たいと思うか?』
「冷たい――冷たいよ、だってラクスイは光の中に飲み込まれた…」
 思い出してしまった、忘れるつもりであったのに。
 羽撃く白く大きな鳥の幻影を見る。
 左右にきっ、と広げられたまっすぐで厚みのある翼が、空気を切ってこちらへと来る。鳥?
 …違う、あれはやつらのエアシップだ。
 残された正常な心が、そう判断を下した。けれど体が動かない。
「どこ見てる! 前を見るんだ、来るぞキエン!」
 ソウフの声。フウカが自分を呼ぶ声も聞こえる気がする。
 酷く眠たい。ここがどこだかわからな…否、ここは空の中。今、自分は、自分のエアシップの中にいる。でも実感がわかない。
 近くで爆発音がした。自分に向かってきた敵機を仲間が落としてくれたか、敵機が自分の機体を攻撃したか、そのどちらかだろう。



 ゲイルシップの艦橋に、一段高く据えられた席がある。一人の青年がそこに腰を下ろし、窓から見える空を眺めていた。
「懐かしいな」
 親から譲られた記憶の中に、この空の風の色が刻まれている。
「もう、どのくらい経つというのだろう」
 自分の親が、この場所を離れてから。この場所が海になってから。
 いくら想いを馳せても、それが自分の記憶でないことを承知してはいるつもりだった。
「シリョウ様。もう一度、御言葉を」
 父、偉大なる魔法使いと同じ名を呼ばれて、彼は我に返った。
「ああ、わかった」
 意識を集中させる。蒼窮と陽をイメージする。精神が広がっていく。
 かつて父親が唱えたであろう、言葉を思い起こす。
 一音一音はっきりと発音し、それを紡ぐ。
「来れ、光を知らぬ子供達よ」
 それは視力を奪う意味の言葉。閃光が弾け、何も、見えなくする。



 ホワイトアウトしたと思ったのは間違いで、メインモニタは故障していなかった。その証拠に機械の動くじぃんじぃんという音がしている。
 では何が起きたのか。
 それを考えることは、キエンの気持ちを幾分沈めた。もしそれが本当ならもう砦には帰れないかもしれない。絶望的な思いが胸をよぎった。
 ホワイトアウトしたのは、キエンの視界だった。
 一面に続く眩いばかりの白。光に遮られて、他の何も目に映らない。
 コントローラを握ったまま、為す術もなく途方にくれた。
 機体の上昇がまだ続いていることを、肌で感じとった。




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