九日月 ――――優しい夢の真偽を問う、現実の鐘の音を聴く
光りの矢の中に立つ。
見開いた目にささるのは眩しさと痛み。
降り注ぐ輝きの濁流、星屑の滝。
巨大な隕石が降った夜のように、暗闇の中に浮かぶ明るい球形。
爆音。そして衝撃。
幾つもの意識の輪。記憶の唱和。
歌が聞こえる。
幼い頃に聴いた頭の中に響く自分の声が。
耳を塞いで、声張りあげて歌った懺悔が。それは夢。それは全て一瞬のできごと。
意識が、弾ける。
ゲイルシップから離艦した数機のエアシップを相手に、キエン達四人は交戦中だった。彼らは四人とも無名でこそあれ学者で、そして同時にエアシップの名手でもあった。ここ数年の間に目覚ましく操縦の腕をあげ、シップ乗り顔負けのアクロバット飛行を繰り返した。
実弾を使うのを好まなくても、相手が撃ってきたなら、正当防衛の名の下に撃つことを潔しとしなければならなかった。
彼らは名手だった、射撃の腕においてしても。
ソウフが囮となって敵機の前に躍り出る。敵機が気付かずにソウフを追い、狙い定めたとき、その後ろにはすでにフウカが回りこんでいて、照準を敵機に合わせている。
決意とともに引かれるトリガー。
間髪挟まず、弾が飛び出し、敵機の翼を捕らえる。折れて浮力を失った敵機が、為す術もなく墜ちていく。
古いが堅牢な、この砦を狙うものは少なくない。
ある者は手に入れるために、また別のある者は破壊するために。古代の昔に絶えてしまった不思議な奇蹟の力を、この砦は宿すという。だから人々は憧れもし、恐れもする。
邪念のこもった想いで砦を狙う者達を、キエン達は幾度となく退けてきた。
砦を守ること、それは自分達自身の過去であり記憶であり共通の財産であるこの遺跡を、後世に残すことであると、そしてそれは自分達の役割であると、皆は信じている。
キエンの目の前を、敵機が横切った。狙いを定めずに、上へ逃れて下を見やれば、一瞬前までキエンのいた場所を、弾が通り過ぎていった。目標を失った弾が高度を落とす。
下のほうへ墜ちていくそれが、砦の外壁に命中したのが見えた。
噴き上がる黒煙、と同時に沸き上がる不安。
脳裏をかすめた爆発の映像。光と衝撃と、眩さと音と。それは頭の中だけで浮び上がって、消えていった。
背後に機影。振り返ったときには遅く、こちらに向けられた砲。
爆音、そしてあがった鈍い煙の中から、オーシュの機体が飛び出してくる。翼を滑っていく薄い煙は、すぐにかすれて消えていく。
キエンを狙った機を墜として、オーシュが自機を近付けてきた。
「目を開けて眠るな、それとも永遠に眠りたいか」
「フォロー有難うっ」
彼の冷めた瞳はいつものことだ、と沈みかけた自分に言い聞かせて、キエンは礼を言った。と、オーシュの瞳が何かを捕らえたように鋭く動いた。はっ、として。
瞬間、二人はすぐに機体を離す、その間を弾が滑っていく。
「あちらにも礼を返せと」
機影を確認して、オーシュがそちらに砲を向けた。
大型エアシップの主砲が、一瞬の間を置いて火を噴く。
結果を見る前に、キエンは戦線を離脱していた。ソウフの機体が遥か上方に見えた。陽の中に飛び込む影、側で何かが爆発するのが見えた。
昇っていくと、ソウフが手を振ってるのが見えた。
『掃海、完了』
最後の一機を墜としたようだった。空で砕けた機体の破片が、目の前の空を墜ちていく。海に向かって墜ちていく。
キエン達は各機体を操って、自分達の暮らす砦へと向かった。修理の終わっていない外壁に触れる。下から吹き上げてくる風に身をさらしながら、作業台の上でラクスイは空を見ていた。
サレイがゲイルシップと呼んだ巨大な船から、小さな影が飛び出す、それを追って駆ける仲間の機体を見ていた。
逆光なので、よくはわからない。それでも見なれたシルエットが空を飛び回る様子を、ラクスイは羨ましそうに見ていた。
眼下には海。何ものにも捕われない自由の象徴。
片付けの終わっていない瓦礫を抱えて、ラクスイが砦の中に戻ろうとした、そのとき。
流れ弾が、空を滑ってきた。立ちすくんで見守るだけのラクスイへと、それが向かってくる。
爆音。そして衝撃。
幾つもの意識の輪。記憶の唱和。走馬灯のように巡る仲間の顔。
光りの矢の中に立つ自分を、外側から認識するような…。
意識が、弾ける。
体が軽くなったような錯覚。
ふわり、と宙に浮く自分を、何の疑いも抱かずに感じていた。
眼下には海。何ものにも捕われない自由の象徴。自由が近付いてくる。海が近付いてくる。自分を飲み込もうと、身を広げている。
視界いっぱいを覆い尽くす、碧い自由の色。
意識が、弾ける。空を舞っていた四機が、次々と屋根に着地した。そのまま格納室へと機体は滑り、それぞれの定位置につく。
オーシュが最後に格納室を出たとき、通路に佇むサレイを見つけた。顔いっぱいに浮かべた表情は、不安とも悔恨とも違う、複雑な想いを現せずにいた。
「なんて言ったらいいか、わからない」
とても低く、けれどはっきりとした口調で。
「自分のせいなんだ。…ラクスイが…」
懺悔するみたいに、告げて、言葉を詰まらせて。
「…ラクスイが、海に、墜ちた」
けれどはっきりとした口調で、サレイは訃報を伝えた。
彼にしては珍しく、とっさに言葉を選び損ねて、オーシュは無言を返すことしかできなかった。
肩が小さく上下した。
顔だけを背けたサレイは、きっと泣きはじめたのだろう。それはまだ、ゲイルシップの影が見えないうちだった。
瓦礫を運びながら、ラクスイは、珍客のことを考えていた。だから足音に気付かず、背から来て追い抜いたオーシュにもびっくりして、気を落ち着かせるように息を吐いた。
怪訝な顔で、オーシュがこちらを見ている。
ごまかすように、ラクスイは早口で言葉を繋いだ。
「いいとこに来た。悪いけどオーシュ、師匠を呼んできてくれないか。外壁は、修理がまだ、終わってないんだ」
瓦礫を掲げてみせながら言う。オーシュは事情を察知したような顔で、わかった、とだけ答えた。
ミャクイクは確か、造ったばかりのエアボートを、サレイに試乗させているはずだった。屋根のほうへ足を向ける。
オーシュが早足に去っていってしばらくもしないうちに、別の誰かが走ってきた。ラクスイは危うくぶつかりそうになりながらも、懸命に避けて、見ればそれは試乗しているはずのサレイだった。
怯えている? …その理由を聞くのは気がひけて、瓦礫を運ぶのを手伝ってくれるよう、控えめに言うと、彼はすぐに承知した。
瓦礫を運ぶのを手伝いながら、サレイは、「ここにいてもいいのかな…」と、ラクスイにこぼした。
ああ、そのことか。と、彼は笑って答えた。
「ミャクイクがエアボートをくれただろ。大丈夫、師匠はここのみんなをまとめてくれてるんだ、だから、師匠がいいって思ってるんなら、それはみんなの意志だってことだ」
「しかし反対してる人がいるって…」
誰から聞いたんだ、という言葉を、ラクスイは飲み込んだ。
「フウカを、悪く思わないでくれ。あいつはただ、不安なのさ」
「それは自分だって一緒だ」
「だろ。皆一緒さ。この砦は頑丈だけど、いろんな奴が狙ってるから、あまり安心はできないのさ」
「狙う? こんな、古いだけでさして重要でもない砦を?」
「師匠がこれは大切なものだって言ってたんだけどな。俺には重要さはわかんないけど」
今度聞いてみるよ、とささやく。
「…だから、もしサレイが嫌じゃなければ、守ってやってほしいんだ。フウカや、他の誰かでも、俺の手の届かないような場所にいるとき。
…ほら、俺は飛べないから」
「飛べない? エアシップに乗ったことは?」
「乗ったことはある。でも操縦したことはない。ただの一度もな」
淋しそうに笑ったラクスイの顔を、サレイはたぶん、一生忘れることはできないだろう、と思った。
瓦礫を運んでいく。途中で冷めた瞳のオーシュに出くわした。
自分を診察してくれた人だと、サレイは本人から聞いている。
彼の冷たい視線が心に刺さる一方で、彼だけが唯一安心できる場所だと思えて、不思議な矛盾を感じていた。言葉を交わさずにすれ違う。
後ろを歩いていたラクスイは、オーシュに声をかけた。
「師匠には伝えてくれた?」
オーシュはああ、とだけ答えた。サレイの肩に手をかけると、びくん、と揺れた。
「何を考えている」
オーシュの氷のような眼差しが、サレイには辛かった。
「これが夢ならどんなにいいか、だと」
まるで心を見すかしたかのように、オーシュが言う。サレイはうなずくこともできずに、目を背けた。
「これは夢なんかじゃない」
オーシュのものではない、別の声がした。キエンが立っていた。
低く、心を揺するような、低い鐘の音が聞こえてきた。
「フウカが、鳴らしているんだ」
その名前に、サレイは冷たい響きを感じた。心が冷めていく。
「…これは送別の鐘だ。さよならを告げる鐘。これは夢じゃない」
キエンの声が、遠くに聞こえるような錯覚を抱く。
梵鐘の音だけが、やけにはっきりと聞こえてくる。
狂ったように鳴り続く、音。海のさざ波の音が、それに重なる。
墜ちていく前、宵闇に浮かぶ雲の谷間から見えた、夜の海の様子が、まざまざと脳裏に蘇ってきた。
空から見たのは、切り岸に立つ砦。
雲が晴れていく。視界が昼間のものに切り替わった。
明るい、陽の下で、そこから誰か、墜ちていく映像が見える。
「目は覚めているか」
はっ、として。
オーシュの冷めた、けれど優しい声にサレイは我に返った。
キエンの怒ったような表情が、見えた。
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