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足 掻 く





 まるでDVD-Rのようだと笑ったとき彼は、何世紀前の地球を見てたんだろう。

 

「だーかーらー! なんどもゆってるように、オレはそんなことしねえの!」
 わざと大袈裟な身ぶりで、デュオはベッドから立ち上がった。古ぼけたベッドは重みを失って跳ね、たわみ、そしてまた跳ねた。揺れが小さくなる頃には、デュオはもう、端末の前に座っている。
 その手には古ぼけた通信機。
 「だからさ、なんでそういうのをオレに回してくるわけ!」
 幾分おかしそうに、適任だから、と言ってきた相手に、デュオは無言で答えた。乱暴に床に投げ付けられた通信機は、しかし大して破損もせずにそこにある。
 まるで誰かの記憶のようだとデュオは笑った。



 こじんまりとした部屋。
 必要最低限の、というよりそれに更に加味された程度のデザイン性さえ伺える調度。
 けれどもう何年も誰も使っていないことを表す、壁の亀裂や床の埃。
 そのどれにも関心を抱かずに、ヒイロはただ、窓から一番遠い部屋の奥のベッドに座っていた。さっきまでいたデュオのぬくもりも、もう感じられない。冷めたベッドに触れると、かすかにデュオの匂いがした。血とか、硝煙とか、コクピットのシートの匂いとそれは言うのかもしれないが。
 出ていったデュオの声は、酷く嗄しわがれて聞こえた。唇が動いて何か紡がれても、響きはしない言葉。頭のなかでしか再生されない声。
 何をそんなに怒鳴り散らしていたのか、ヒイロにはわからない。わかるべくもない。
 自分がどうなったのかだけは、はっきりと覚えている。
 そのとき何を思ったのかを、しっかりと記憶している。
 コクピットの中で。
 避けられたはずの軌跡を避けなかったのは後ろにデュオの機体があったから。足をもがれて動けないデュオがいたから。動いてはいけないと思った。そしてミサイルをその身に受けた。機体は大破し、自分だけがかろうじて一命を取り留めた。
 左の光りと、両の音、という犠牲を払って。
 もしもそのとき誘爆を恐れたのなら、自分は一歩前進していたろうと思う。
 けれど案ずることもなく誘爆は起きず、デュオはその悪運を証明した。



 失われた光りを差し込むかのように、デュオはヒイロの見えない左目を覗き込んだ。そこにプルシアンブルーの輝きはない。醜い痕が残るだけ。せめて神経をやられただけだったら、その深い瞳が失われることはなかったろうにと思う。
 もしもあのとき自分が動けていたら、彼は一歩後退していたろうにと思う。
 いつかヒイロが、もう片方の目を失ったら。
「そしたらおまえ、どうする?」
「何もかも忘れるだけだ」
 そんなはずねえだろという言葉は声にならなかった。
 半分の光りを失ったヒイロは一度戦線を離脱したはずなのに、本人が希望するからという理由で前線に戻ってきた。その介護を押し付けられて数日、経つ。思ったよりも症状は悪く、体調は良かった。
 だから彼は戦場に立つ。
 見えないはずの半分の世界を、そして多分、別の器官で認識している。
 例えば音。けれど彼に音は伝わらない。
 例えば熱。それは鮮烈な信号となって彼の身体を巡るだろう。
 例えば匂い。彼が覚えているのはデュオのそれだけかもしれなくても。
「喉が乾く」
 言いながら立とうとしたヒイロを押しとどめ、デュオは電気の通っていない冷蔵庫からミネラルウォーターを出した。温い水が、乾いた喉を潤すかどうか。
「古いんじゃないのか、これは。まるでどこかで飲んだ泥水だ」
「しっかり覚えてるじゃねえかよ」
「すぐ消える」
「嘘つけ」
 


 記憶の上書きができないんだろ。
 消してくことができないんだろ。
 まるでおまえ、DVD-Rみたいだよな。
 容量だけはでかいのに。



 デュオが腰掛けると、二人分の重みを恨むようにベッドが軋んだ音を立てた。耳障りなそれは、しかしヒイロには届かない悲鳴。



 何世紀前の地球を見ていたのだろう、その群れるように青い瞳は。
 その空は血とか、硝煙とか、コクピットの匂いとかでない何かに満たされている。
 狂気とも違う。
 憎しみや怒りとも違う。
 それはまるで焼き直しのできない記憶のように、増殖しながら染み渡っていく。
 前進も後退もできない戦さの場で、唯一できたのは明日への渇望。
 今、そのために足掻く。




















あ と が き

 なんとかギリギリ12日更新です。
 ヒイロ氏満身創痍です、ごめんなさい…。
 傷付いても傷付けても傷付いた誰かを看取っても、それでもきっと彼らは、
 足掻くことを止めはしないんだろうな。

2003/02/12 飛尽昴琉 拝






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