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  さよならの一つも言えるだろ







 部屋に戻ると鍵キーがかかっていた。あいつはそんなに用心深かったっけと思いながら、デュオはキーを差し込んだ。軽い電子音とともに、ドアが開く。予想に反して中は暗い。
「ただいま…って、ヒイロー? いねぇのー?」
 さして広くない部屋で、デュオはすぐに探し場所を失った。無口な同居人はどこにもいなかった。
「何処へ行ったんだ?」
 自問し、何処へ行こうとオレの知ったことじゃないし、と思い直す。
 だが今日はウェザーレインが発動する日だと気付き、デュオは誰もいない部屋の奥を、やれやれとばかりににらみつけた。
「探しに行くかな」
 風邪を拾ってこられても困るし。と言い訳をつけたす。
 かけてあったヒイロのコートをつかみ、壁から外すと、デュオは雪の降り出す外へと飛び出した。

 小さく降り始めていた。地球で見たものより、かすかに軽く降るように見える雪は、自然のものと見まごうばかり。不規則に落ちてくる人工の雪は、大地したでのできごとを思い出させもする。
「あいつは南極まで行ったりしたんだっけ」
 そういえば戦争中は、じっくりと雪など見ている暇なんてなかったように思う。本物の空は、もっと白くうめつくされているんだろうか。
「こんな、灰色が見え隠れしてる嘘の空なんかじゃなくてさ」
 けれども雪は降る。万人の上に均等に。地球に住む人々だけでなく、コロニーに住む人々にまでも。
「あいつが雪に埋まる前に、探し出してやらないと」
 あまり縁のなかったL1は、デュオにとって見知らぬ土地だった。ヒイロの行き先の心あたりなどない。が、少なくともヒイロがいないと思えるその通りを、デュオは抜け出した。
 本質的に同じ性格の身、同じように雑踏が嫌いであるとすれば、と勝手な仮定を立てる。結論はすぐに出る。向かうのは人のいない場所だと。証明してやる気はなかったが、デュオは飛び出してきた手前、ひっこみもつかずに郊外へと足を向けた。






 はたして。
 居住区とブロックを隣にする地へ、デュオは迷い込んだ。雪を白くかぶってわかりにくかったが、周囲には幾つもの墓標が、人為的に並べたにしては乱雑に並んでいた。
『共同墓地?』
 短い間だけとはいえ、教会育ちのデュオだった。自然と肌がぴりぴりしてくるのを感じ、それを雪のせいだろうと強引にこじつけて頭を振った。
 過去の念を振り切るように、あたりを見渡す。白く厚く、積もった雪の量が見てとれる。その中に動く何かを見つけた。白い視界の中に、灰色の服を来た人が、すっくと立ち上がったのが映った。
「ヒイロ?」
 そいつはこちらをちらりと盗み見たが、すぐに視線を下に戻した。ヒイロではないとデュオは気付いたが、その上でその人へと近付いた。
「すみません。オレの連れを知りませんか? 黒髪でむすっとした表情の――」
「あそこにいるのは違うかね」
 くぐもった声を立て、その人は後ろを親指で指した。デュオが視線を向けると、そこに見なれたシルエットがうかがえた。
「あっ。…ありがとう、ございますっ」
 お礼を言うのももどかしく、デュオは黒い影へと歩み寄った。
「ヒイロ!」
「……お前か」
 座っていたヒイロは、顔をあげるとそうつぶやいた。ここへ足を踏み入れたときから、ヒイロがこんなところにいる理由が理解できなかったデュオは、その疑問をすぐにぶつけた。
「何やってんだよ、ヒイロ…」
 言いかけて、ヒイロの足下に立つ小さな墓標が目に止まる。女性のものと思われる名が刻まれていた。生きていた時間は、A.C.187〜A.C.194、とある。
「誰?」
「大昔の…友人だ」
「友人ー? っておまえ、訓練所って、年下どころか同世代だっていなかったんじゃなかったっけ」
 標された数字から求めた時間は、およそ7年。戦争中の自分達の、たった半分の年齢、7才の少女。
「何者だそいつ」
「…言いたくない」
「あ、そ」
 黙り込んで、デュオは降る雪の冷たさに、手にした荷物のことを思い出した。持っていたそれを、ヒイロに差し出す。
「ほらよコート。おまえ、ちゃんと着ていけよ」
「必要無いと判断した」
「風邪ひくぞ」
「俺は莫迦だからひかない」
「……っ」
 意外な答えに返事に困り、デュオは降参のしるしに手をあげた。なんだってこう、とっつきにくいんだろう。
「でもさー、わざわざ雪の降る日に来なくても」
「今日でなければ意味がない」
「なんで?」
「……」
 ――5年前、俺はここであの子とあの子犬を殺したんだ…
 爆音と悲鳴と、民間施設に倒れ込んでいくリーオーのシルエットを、ヒイロは今でもはっきりと思い出せる。
 沈黙を決め込み、答えようとしないヒイロに、デュオはふうんとうなずいた。
「じゃ、それ済んだらオレの墓参りにも付き合ってくれない?」
「…お前はL2育ちだろう。L1に知り合いなどいるはずが」
「いたんだよ、すぐ近くに」
 ヒイロの言葉を遮るように、デュオは企みを秘めた笑みを浮かべて、楽し気にささやく。ヒイロはさっと立ち上がった。
「用なら済んだぞ」
 それを聞くと、デュオは雪のかぶった大地を蹴って、土をのぞかせた。その中から適当な大きさの石を拾うと、見た目垂直に地面に立てた。
「何のつもりだ」
 ヒイロの怪訝な顔が、不機嫌そうにゆがむ。
「誰だと思う? この墓石の下に眠るもの」
「どこが墓だ」
 ヒイロは怪訝な顔をさらに一層険しくした。
 デュオは石を指差した手を、ヒイロへと向けた。
「さっきまでのおまえ。『昔の』ヒイロ・ユイ、だ」
「何が言いたい」
 ヒイロの手がのびて、デュオの肩へとかかる。デュオはそれを片手で払いのけると、腕を斜めにし、手をそのまま額にあてた。まるで敬礼でもするかのように。
「…忘れちまえよ、そんな過去。何があったのか知らねえけど、たぶん似たようなもんはオレだって持ってる。でも、あったって邪魔だし、なくて困るもんでもないだろ? いらないぜ、それ」
 敬礼した手を、降ろす。
「行こうぜ、『今の』ヒイロ君っ」
 てきとーにごまかして、笑って。
 不機嫌さを隠そうともしないヒイロを笑って。
 デュオは背を向けた。それぞれを呪縛するトラウマという名の過去に。






 冷たく降る雪のかけら。ウェザー・レインは明日には止むと言っていた。白く凍えそうな吐息を洩らし、ふっと振り返る。首だけ後ろにやったとき、同じように過去の想いを捨てたらしいヒイロが、後ろから抱きかかえてきた。
「お、おい、ヒイロ…っ」
「お前のせいで予想以上に時間をくった。雪の下にいすぎた。体が冷えて寒い。…早く帰るぞ」
「…ああ、そーだな」
 帰れる場所などもはやないと思っていたが、世の中そんなに冷たくない。帰る場所は、ある。
 たとえば、過去など顧みなくてもいい、『今』、住んでいる部屋、とか。

 二人の上に、造られた雪は積もり続く。




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