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赤いエレカ














 いつまでも続く雨音を心で歌いながら、窓から見える空を眺めていた。
 鉄格子に区切られた青、その空の色は鮮やかな記憶を思い起こさせる。


 信号が変わって歩みを止めた自分の目の前を、赤いエレカが横切っていく。乗った男女は知らないはずなのに、茶の髪の男が、ひどく懐かしく思えたのが不思議だ。
 記憶をまさぐり出す前に、赤いエレカは視界から消えた。見送った自分をバカバカしく思いながら視線を戻すと、信号が青になるところだった。
 アクセルを踏み込む。自然と手になじむハンドルを操って、交差点を曲がる。フラッシュバックする宇宙空間。
 右のモニターに、接近したリィオウが映った。コントローラを操って、ビームサーベルを振り下ろしつつ、後退する。遠くに、ひし形のばかでかい物体が見えた。落ちる、と、とっさに何を思ったか自分は、そう感じて、スロットルバーを押していた。自分の機体が、その物体に向かっていく。身体中をつらぬくかのようなGがかかって、気を失いそうになる。…子供が。
 急に飛び出した子供に驚いてハンドルを切ったら、反対車線へ出た。幸い誰もいない。逃げるように去っていく子供を自分に重ねながら、元の車線に戻った。
 桜並木を行く。地球という故郷の、小さな島国を模して作られたこのコロニーの一年は、四つの季節に彩られている。今はスプリング。春。プリマベーラ。桜の咲く季節なのだと云う。
 花見、誘われたが断ったそれに、行ってみてもよかったかもしれないと思う。今からでもいい、行ってみようか。誘ったのは誰だったか。青い瞳の。
 青空が視界を埋め尽くした。手をのばす、掴んだのは操縦桿で、それを引くと体にGを感じた。みるみるうちに、空が近くなってくる。加速による重力と、摩擦による熱と。赤い記憶の中で成層圏を抜けた自分が、暗い宇宙空間に出たのに気付いた。ぼろぼろの機体を操って、仲間の待つ場所へかえろうとする。
「俺は…」
 俺は誰なんだろう。
 ぼんやりとした意識の中で、見えるものが少しずつ輪郭をとっていく。青い瞳が。


 黒い柵を乗り越えた少年は、警備員の制止の声を無視して内側に着地した。近寄ってくる大人達を一瞥してから、入口へ向かう。手慣れた様子で暗証番号を打ち、難無く中に入った。
 そこに待っていたのは、まだ若い元軍医だった。今は政府組織の傘下で、平和維持活動のようなことをやっている女性である。
「ご苦労さま。…髪、伸びたわね、デュオ」
「ああ。切ってから結構経つしな」
 サングラスをとったデュオは、どこか幼さを残したままの笑みを浮かべた。大戦を生き抜いた英雄のひとりとはいえ、デュオはまだやっと成人したばかりだ。
「さっそくだけれど…」
 若い元軍医――サリィ・ポォは、書類をデュオに渡した。


 部屋にひとり佇んだままのかつての戦友を、多分、自分は「知識として」知っているにすぎなかった。
 名も生まれも経歴も、そして5年前、自分達がどこでどんな関係で何をしてたのかも、識ってはいた。
 けれど彼について覚えていることなど何ひとつなく、あえていうならときどきふらりと、こうやって自分に会いにくることくらいだった。
「何の用だ」
 冷たく言い放つ自分の言葉に、相手は動じた様子もなく立っている。
「おまえがどうしてるかと思ってね」
 本心かどうかわからない台詞。黙っている自分に、なおも話し掛けてくる。
「…俺の名は?」
「デュオ・マクスウェル」
「俺の出身は?」
「スイパーグループ」
「俺の経歴は?」
「…5年前はガンダムのパイロット、そして大戦を生き抜いた英雄」
 最後のは余計だな、とか何とか云いながら、彼は大袈裟な身振りで天井を指した。
「おまえ、自分が宇宙を駆け回ってたこと、覚えてない?」
「知らんな」
 そこで会話は打ち切られ、彼を部屋に残し、俺は外へ出た。


 信号が変わって歩みを止めた自分の目の前を、赤いエレカが横切っていく。乗った男女は知らないはずなのに、茶の髪の男にひどく見覚えがあると思ったら、そうだ、あの男だ。
 最初に来たときは女みたいに髪を伸ばしてた。カトリックの神父みたいな格好で来た変な男。
 宇宙生まれ宇宙育ち、ならば死ぬときも宇宙だろう。そんな男が何故自分にかまうのか、わからなかった。
 大きなひし形の物体が落ちていく、俺は必死になってそれを追いかけて、追いかけて、追いかけて。
 加速による重力と、摩擦による熱と。俺は…。
 気を失いそうになりながら、破片の最後のひとつを破壊して、俺は仲間のところへ戻ろうとする。

「俺は誰だろうか」


 デュオが部屋を出ると、彼はそこの壁に背を預けた格好で眠っているようだった。
「ヒイロ?」
 呼んでみると、軽く目をあけた。
「それが俺の名か。俺はどこで何をしていた」
 らしくないヒイロに戸惑いを覚えつつも、デュオはこう云ってやるしかなかった。
「おまえはヒイロ・ユイ。ガンダムのパイロットだった男だ。…俺はそれしか知らない」


 青い瞳。茶髪の長い三つ編み。ガンダム。宇宙。地球。戦争。
 どこからが自分の記憶で知識なのか、わからなくなることがある。
 「――――――俺は、ヒイロ・ユイ」
 云ってみても、なんだかしっくりこないことだけは確か。


 信号が変わる。赤いエレカが通っていく。
 色が重なって、赤い機体がその向こうに見える。赤い長い武器を手にしてる。


 目が覚めると、主治医のサリィ・ポォではなく、あの男が傍らに座っていた。
 面倒なので体を起こさずに、見た夢の内容を淡々と話す。
「赤い機体? つぅと、ヘビーアームズかエピオン、あとメリクリウスなんかも赤いな。どれだ?」
 云いながら彼――デュオとか云ったか――は、書類に目を通している。
 つぅかおまえ、今云ったやつ全部乗ったことあるだろ。うわめんどくせえ。
 そんなことをぼやいている。
「デュオ」
 興味に駆られて、名を呼んでみる。
「あん?」
「俺は誰だ。主観的に答えろ」
「あー? 無鉄砲なとことか?」
 自分の知らない「ヒイロ・ユイ」を、この男は知っている。その事実だけが、無性に嬉しく思えた。
 いつの日か、自分を思い出すこともあるだろう。

 いつの日か。
 それが十年や二十年先のことでも。

 「デュオ」
 知識ではなく記憶の中から、その名を見つけて呼ぶ日がくるだろう。


 いつまでも続く幸せを心で願いながら、窓から見える空を眺めてる。
 鉄格子に閉ざされてた自分の過去を呼びながら、桜並木を走っていく。花見の場所へ走っていく。


































赤いエレカ あとがき

 珍しくタイトル決めずに書いた話。一度やってみたかった、ヒイロが記憶喪失になる話。
気付いてみたら、赤い色がキーワードになっているみたいなので、タイトルに入れてみる。
「夏」というキーワードも好きですが、季節外れながら、ここではあえて季節は春に設定。
 なんだかんだで、ガンダムウイングから離れていた一年間。すっかり知識抜けてました。
最近ファンタジーしか書いていなかったため、語彙が片寄っていることに気付かされたり。
しかも最初、赤いのはヴァイエイトのほうだと思っていましたし。確かめといてよかった。
 壮大な物語を書きたいです。物凄く長い話を。もちろん連載形式で。一年くらいかけて。
というのは理想論だとしても、某リク小説、早く書き始めないと。いつのことになるやら。

(2001年7月1日。夏休みまで、あと一ヶ月。)






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