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道往く者に告げる
振り返る事を知らない君に言い残す、声



 目の前を過ぎようとしたものに、反射的に手がのびた。全ての骨がやっとくっついたばかりの子供の手は、15歳の少年の手は、それをしっかり捕らえ、握りしめた。胸の前まで戻した手を、そっと広げて、なかを見る。
 なんのことはない鳥の羽根。
 小さな、羽毛。
 指を丸め、もう一度手のひらを閉じようとする前に、風に乗ってそれは消えた。
 視界から消えてく白い、綿毛。






 モニターに映った敵機は、すぐに眼前に迫る。だがヒイロが何かするよりも速く、それは爆音に煙をまとって燃え上がる。ミサイルを撃とうとしていた指はすぐに動いて、自機を下がらせ、誘爆の憂き目を逃れた。
(余計なことを……)
 声には出さず、唇だけが動く。
 その言葉が届いたはずもないのに、コピクット内には陽気な声が響く。
『ギリギリで撃つなんて真似はやめろよ。オレだって好きで援護してるんじゃないんだぜ』
(好きで援護してるんだろう)
 唇が、口元がわずかにゆるむ。
 けれど、
「わかってる」
 独り言のようにつぶやいておく。
『わかってねえよ』
 そして律儀に返ってくる答え。


 戦闘が終わって、なんとか勝って、ヒイロは乗っていたリーオーのコクピットから這い出した。
 ガンダムは、余りに目立つから隠したままだ。
 次の作戦内容が送られてくるまで、民間ゲリラに紛れて、民間機に乗って戦闘を繰り返している。そうやって、もう半月が経つ。
 やっぱりリーオーから這い出してきたデュオとかいう男と、目が合った。
 その瞬間、デュオの顔に笑みが広がる。
「礼は? さっきの」
「感謝して欲しくて援護するくらいなら、始めから援護などするな」
「おーおー手厳しいことだ」
 どこか嬉しそうに言う。
 それに応えた自分の顔が仏頂面だという事くらい、指摘されなくてもヒイロにはわかる。
 何も言わずにいると、デュオはさっさと降りてどこかへ行ってしまう。
 残されたヒイロは、ふっと空を見上げた。
 雲の谷間に、淡い上弦の月が見えた。




過ぎてゆくものを捕まえようと手をのばす。
逃したら二度と会えない気がするから。
彼の背はあまりに孤独で、
人を拒絶していて、
それでもなお、恋い焦がれてやまない何かを持っている。
それは欲望。
確かなものを求めてる。
彼は未来に飢えている。
自分は前に何も見出せていないというのに。




 月が出ていた。
 夜だというのに外は明るい。
 ノートPCを操る背に、気配を感じたが、それが誰のものか知っているヒイロは、別段気にも止めずに作業を続けた。
 とたん首筋に、冷たい感触が走った。
 微動だにせず目だけを動かせば、良く切れそうな銀色の輝きが首に当てられていた。
「何のつもりだ」
「それはこっちの台詞だよ。……おまえ、どこと連絡取り合ってる?」
 いつもより低い、デュオの声。
 怯えているのでも、脅しているのでもなく、静かに問いただす声。
「お前には関係無い」
「関係ないのはわかってる。だから聞いてる」
 人を切ったことがあるだろうナイフからは、血臭はしない。
 それは彼の手に身体に染み込んだ血臭にかきけされているだけなのだと、わかる。
「言えば俺を殺すのか」
 ヒイロの問いに、デュオは答えなかった。
 代わりにナイフを退く。
 と同時に、ヒイロはノートを放り出し背に跳ねた、デュオが反射的に身を屈める。
 その手に光る銀色の月、けれどかまわずヒイロは踏み込んで、しゃがんだデュオにぶつかっていく。
 組み伏せられたのは、デュオだった。その手にあったナイフはもう、ヒイロが奪い、手近な地面に突き刺してある。
「誰に命令された」
 詰問は、デュオの顔に笑みをもたらしただけだった。
「何を笑ってる」
「いやあ、おまえでもムキになることがあるんだなーって」
 危機感のない答え。
 ヒイロはそれにかまわず冷静に、問う。
「言え。それとも死にたいか」
「死に神が死んじゃ、シャレにならない」
「……何が言いたい」
 彼は未来に飢えている、自分は前に何も見出せていないというのに。
 一瞬の隙は、死の鎌を振る者にとっては十分な時間だった。
 ヒイロの腕を振払い腹を蹴り上げ、自称死に神の少年はすっくと立ち上がる。蹴られたヒイロは身をかわしながら、地面の上を転がって距離を取る。構えたヒイロに、けれどデュオは構わずに、地に刺さったナイフを抜いて懐に収めただけだった。
「おまえ、変わってるよな」
「よく言われる」
 警戒をゆるめずにヒイロが答えた。
「まるでオレみたいだ」
 言いながら、デュオが暗闇に溶けこんでいく。
(違う。お前は俺とは違う。)
 声は、音にはならずに時間の狭間に消えていく。
 ヒイロはゆっくりと、地面に放り出されたノートを拾い上げた。


 翌日の朝は、恨めしいほどに晴れ渡っていた。
 デュオは屈託のない笑みを浮かべ、昨晩は何もなかったという顔で歩いている。
 ああ、とヒイロは気付いた。
 同じだ。
 同じように傷を抱えているのだ。あまりにも深く誰にも見せられない見せたくない醜い傷を。
 声をかけてやりたいと、思った。
 彼の欠けた心が痛いほどよくわかるから。
 けれどそれは叶わぬ思い。
 一瞬浮かんだ言葉は形にならずに消える。
 振り返る事を知らない君に言い残したかった、声。
 そしてヒイロは、誰にも何も言わず、リーオーを駆ってその場から離れた。
 デュオが同じガンダムのパイロットだとは、露ほども知らないままに。




 彼はまるで月のようだ。
 と、ヒイロは思った。
 満ちては欠け、欠けては満ちる。
 背中に抱えた傷を隠したまま、
 こちら側にはずっと同じ、笑った顔しか見せない。
 陽が昇れば身を潜め、
 陽がいなくなれば姿を表す。



 まぶしい空を見上げれば、青い海に白い月が出ている。
 視界の端に消えそうなほどに薄い、膨らんだ楕円。
 十三夜月は、静かに在る。
 間もなくヒイロはふっと視線を外した。
 満ちゆくものに言うことばは、何も無いから。


































あ と が き

 新年二回目のイチニの日。
 なんとか小説更新です。
 でもなんだか暗いです……。ヒイロ視点は難しい。
 ヒイロは月なんか見上げるのか、そんな殊勝なことするのか、という疑問は忘れるとして。

 昨年はお世話になりました。今年もよろしくお願いします。

2003/01/12 飛尽昴琉 拝






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