エ
ン
ス
ト
「花見に行ってくる」
「こんな時期にか」
「じゃあ酒盛り」
「――――そうか」息で白くくぐもっていく窓ガラスに指を這わせて、無理矢理外と中とを繋ぐ。
今のヒイロにははそれしかできない。
それしかすることがなかった。
嘘はつかないとか言ったのはどの口だったか。
花見だか酒盛りだかに行くと告げて出かけていったデュオは多分、花を捧げに行ったんだろう。
その相手が誰だか、知らないわけじゃないが知りたくもなかった。
彼らを犠牲者と呼ぶなら自分達は偽善者だ。
彼らは自分達によって殺され――否、自分達が殺した人間だ。多分、そうだ。
無意識に這わせた指は、いつしか小窓を綴る。
外の様子がその窓の向こうに看て取れた。
落ちてくる天使。
落ちてくるのは、白い羽根。
雪だ。
「コロニーも器用になったもんだな」
人工の天使は、しかし、まるで地球のそれのように舞い降りてくる。
本当の天使は、しかし、誰も知るはずがないというのに。
ヒイロがデュオの部屋を訪れたとき、はじめデュオは頑かたくなに拒絶した。
「だめだ」
「……何故だ?」
「オレ、怖くてしかたねえんだよ」
怖い、と言ったときのデュオの目は、何かに怯えているような、そんな眼差しではなかった。
「何が怖いという」
「さあな。対人恐怖症ってやつ?」
似合わない台詞を吐いたデュオが、妙に深刻な面持ちだったのを覚えている。
「お前の場合は、対俺恐怖症だろう」
そうかもな、と死んだ目が言う。
「あー、殺されかけたしな」
帰ってくれと言わんばかりの口調に、放っておけなくなった。
それは、駄目押しだった。
「殺したくなったら出ていく」
「じゃあ、そうしてくれ」
そしてあっさりと、道を譲ったデュオの横顔が忘れられない。
ドアから部屋へと続く道。
デュオの前を通り過ぎるとき、何かがどこかで弾け飛んだ。
それは緩んでいた心の箍たがだったのかもしれない。
デュオの横顔はどこか喜びを滲ませていた。
死に切れない己を殺してくれる人を見つけた喜び。
小窓の向こうに降る雪は、止みそうになかった。
白くくぐもっていくガラスは多分、自分が息を止めれば曇らなくなるとわかっている。
だが窓のそばを離れたくはなかった。
二時間前、外から戻ってきたデュオが、またすぐ出かけようとしたから、引き止めたかった。「花見に行ってくる」
「こんな時期にか」
「じゃあ酒盛り」
「――――そうか。……墓参か」一瞬、驚いた顔を見せたデュオはすぐに顔をしかめる。
「なんで……」
「懺悔ならここでしろ」
床を指したヒイロに、デュオは笑って答えた。
「ほらオレ、これでも教会育ちだからさ」
だから、花見に行ってくんの。
懺悔じゃねえんだよ。
そう、言葉に出さずに目で告げてくる。
「教会っ子なの、オレは」
「そうか、俺もだ」
「まさか」「冗談だ」
意外だとでも言いたげに手を振って、ドアキーに手をかけたデュオ。
「それとも俺が出ていこうか」
「……殺したくなったのか?」
「いや、」嘘はつかないとか言ったのはどの口だったか。
それにあやかりたかったわけじゃない。
だが嘘をつくのはためらわれた。その隙にデュオは出ていった。
息で白くくぐもっていく窓ガラスに指を這わせて、無理矢理外と中とを繋ぐ。
今のヒイロにははそれしかできない。
俺が行けばお前は残るんだろうと言いたかった。
でも今はもう言えない。
デュオが戻ってきても、多分。
小窓の向こうに降る雪は、止みそうになかった。白い結晶にいい加減見飽きてきて、窓のそばを離れた。
そのときドアのキーが照合する音がして、習慣的に身構えた。
開かれたドアと、崩れ落ちてくる人影。「デュオ!? どうした?」
特に傷があるわけでもない背と、上下に揺れて息をする肩。
「ごめ……ちょ、つらい」
「寒いのに無理をするからだ」
無理矢理、外と中を繋いでいたデュオの体を引きずる。
ドアを閉めても、逃げた熱気はすぐ戻らない。
すぐに動かない、デュオ。
「何があった」
「いーや何も」それは懺悔を済ませた者の眼差し。
ちょっとエンスト、と軽くおどけたデュオは多分、ヒイロに殺される不安を忘れた瞳で笑った。
あ と が き
たとえばやがて英雄と謳われる少年が、死神の住処に訪れてきたら。
英雄の偉業など気にしない死神は、ともに笑って過ごすだろう。
けれど英雄の苦しみも救われない足掻きも知ってしまった死神は、鎌を降り下ろさずにはいられない。
空を裂く死の鎌は、英雄の痛みを断つだろう。
だから懺悔する。
二度としない後悔を、二度と繰り返さない偽善を。
そして両手からこぼれてしまった過ちを。
それは燃料の切れた二つの魂が唱う、代え難い明日への祈り。2002/12/12 飛尽昴琉 拝