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曇った視界に














 風を入れるために開け放された窓から、潮の香が漂ってくる。無風状態の空は蒼さがかすんで見えた。低い空には、薄く引き伸ばされた綿飴のような、かすれた雲がかかっていた。
 湿度は低く、それほど暑いと感じない。ただ暖かな陽気に瞼まぶたが重くなる。

 眠りに落ちる。




 白煙の中、人の声がする。聞いたことはあっても耳慣れない誰かの声。
 モニター越しに見えた顔は、一度記憶したものだった。
 顔が笑い、何かを告げる。その言葉を読み取ることはできたのに、わざと目を背けた。
 彼を思わず拒絶してしまうのは、同じ匂いがするから?
 拘束された手足は、別に不自由なほどではなかった。ゆっくりと手を動かす。少しくらいなら動かせた。
 突然、音と爆発とともに白煙が立ちこめた。
 人の声がして、モニターの中にいたはずの彼がすぐ側にいた。
 離れて欲しいと、思った。
 手首をひねり、力任せに動かす。固定されていた拘束具が外れ、手首に僅かな感覚が走る。常任ならばそこに「痛み」を伴うはずだが、自分にはそれは感じられない。赤い、生温い血が手首を伝うのが見て取れるだけ。
 助けに来たつもりなのか、彼が先に立って走っていく。出口までだと言い聞かせ、その後を追った。
 眼下に広がる崖と、その先にある海と。
 彼が背に何かを追うから、自分もそれを身に付けた。
 海へと飛ぶ。
 自由落下は、大気圏再突入にも似て、不意に自分の立場を捨てたい欲求に駆られる。
 あるはずのない風に身を任せ、落ちていく、感覚。
 上のほうで、彼が怒鳴るのが聞こえた。
 夢見が悪くなる、と。
 自然と体は動いていて、背に追う装置を作動させる。だがパラシュートが満足に開かないうちに、やがて崖に打ち付けられた。全身を襲う感覚。落ちていく。




 目が覚めて、しばらく呆然と天井を見ていたヒイロは、風が吹いているのに気付いた。
 そばに、デュオが立っている。
「……」
 無言で問えば、彼が笑う。
 何かを告げたが、それはヒイロの耳には届かなかった。
「今、なんて……」
 聞き返す問いに、答えはない。
 デュオは多分、さきほどの言葉を飲み込んでしまったのだろう。
「しっかしなー。相変わらず無茶ばかりしてるな、おまえ。まあ、危なく夢見を悪くするところだったぜ」
 屈託のない笑みは、余裕の素振りだと気付いて、ヒイロは彼から余裕を奪うようなことをしでかしたのだと、気付いた。
「俺は何を?」
「あん? 覚えてねえの?」
 きょとんとしたデュオの顔が馬鹿みたいに可笑しい。
「まーいいんじゃん。それはそれで」
 説明を回避したのは、面倒からか、それとも拒絶からか。
 どちらとも付かなかったが、別にヒイロにとってはどうでもよかった。
 天井に向かって手を伸ばすと、先ほど見た夢が、もう何年も前の出来事であったと気付いた。
「落ちていく夢を見ていた」
「そりゃまた結構なことで」
 現実じゃなくてよかったなと、デュオが言う。
「無茶すんなよ」
「お互いさまだ」
 ヒイロが目を閉じたので、思わずデュオははっとして。
 それから自分を落ち着かせて。
「じゃあ、また来るな」
 無言で答えるヒイロを後に、病室を去っていく。

 






















「おまえが生きてて良かったよ」
 もう少しで視力を失うところだったんだよ、ヒイロ。
 どうせおまえには、未来なんか見えてないんだろうけどさ。


































あ と が き

 しばらく更新せずにいたので、1*2ウェブリングの非更新期間限度3ヶ月を意識して書いてみるも、妙なパラレルものに終ってしまう。反省。

2002/07/12 飛尽昴琉 拝






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