が ん だ む う い ん ぐ
last update 1999.01.01
登場人物の名前の由来 付録
■ ルクレツィア・ボルジア ■
Lucrezia Borgia
友人に詳しい方がいたので、教えてもらいました。文章編集ナシ。そのままです。
ル |
ルクレツィア・ボルジア 1479年4月19日、イタリア。彼女、ルクレツィア・ボルジアは「毒薬使いのボルジア家」として悪名高い家柄の、美しい金髪を持つお姫様としてこの世に生まれた。ボルジア家の毒薬として有名なのは、カンタレラ。ただし、その効能はたいした事はなかったらしい。彼女の父ロドリーゴ・ボルジアは、後のローマ法王アレッサンド6世。母は身分の低い婦人、ヴァノッツァ・カタネイだった。 彼女の人生は、波瀾に満ちていた。野心家であった父と、すぐ上の兄チェーザレ・ボルジアが行った、数々の悪行の一つの翻弄された結果である。その悪行の一つとは、政略結婚。彼女は生涯に、三度の政略結婚をさせられている。 最初の結婚は、ミラノのスフォルツァ家御曹司であるジョバンニ・スフォルツァという若い美男子とで、その時彼女は14歳。ミラノとローマの同盟を図る為の、政略結婚だった。後にミラノとローマの関係が変わり、ボルジア家の計らいで離婚している。 二度目の結婚は、18歳の時。ナポリのアラゴン家庶子である、ビゼリア公アルフォンソに嫁いだ。結婚翌年にはロドリゴという男の子も生まれたが、1500年8月のある日、兄チェーザレの雇った暗殺者によって、アルフォンソは殺害されてしまう。チェーザレのイタリア侵略に、ナポリが邪魔になった為と言われている。 三度目の結婚は、1500年12月。21歳で、フェラーラ公エステ家の当主アルフォンソ1世に嫁ぐ。エステ家はイタリア屈指の大国、フェラーラを支配している名門貴族の家柄。この時から、1519年6月に産熱で39歳で亡くなるまで、彼女は優しい夫と男子4人、女子1人の子供達に囲まれて、幸せに暮らした。 さてルクレツィアは、兄であるチェーザレに兄以上の感情を持っていたと伝えられている。そのチェーザレは、1507年3月に戦死。父のロドリーゴも、1503年に流行病で死亡している。 (文責:真咲麻都殿) |